第四章 再びあの都市へ②
同時刻。
皇都ディノスの一角にあるグレスト伯爵邸にて。
煉瓦造りの訓練室で、その少女は鍛錬を繰り返していた。
歳の頃は十六ほどか。
勝気そうな美麗な顔立ちと、光沢を持つ飴色のショートヘアが印象的な少女。抜群のスタイルの上には学園指定の訓練着を着て、木剣を両手で構えている。
彼女の名はアリサ。アリサ=グレスト。
グレスト伯爵の愛娘だ。
アリサは一人で訓練している訳ではない。
彼女の前には一人の少年が木剣を構えて対峙している。
相手は同世代の少年だ。
アリサと同じくアノースログ学園に通う彼女の従生徒。
名前はダン=ロダー。幼少時から彼女に仕える従者でもある。
少し離れた場所には木剣を携えたもう一人の少年もいる。
彼も従生徒だ。名前はジャン=レイ。
二人はアリサの護衛であり、同時に気の置けない幼馴染でもある。
そのため、二人が訓練で手を抜くことはない。
しばしの沈黙。
そして同時に動き出した。
――カンッ!
木剣同士がぶつかり合う!
軽快な音が何度も響く。
アリサの剣は正統だった。基本に忠実な騎士の剣。
それだけに、幼少時より修練を積み重ねてきた彼女の剣は強かった。
――カンッ!
「……くッ!」
鋭い横薙ぎを防ぐ。
ダンも決して弱くないが、徐々に凌ぎ切れなくなってきった。
それも当然だ。アリサは学園でも五指に入る実力者なのだから。
そして、
――カァンッ!
一際大きい音を響かせて、ダンの木剣が宙を舞う。
アリサの木剣の切っ先は、ダンの喉元の前で止まっていた。
「……ここまでね」
「……はい」
ダンは小さく首肯した。
「お見事です。お嬢さま」
「いえ。まだまだよ」
アリサは、かぶりを振った。
「これじゃあ、まだまだ生徒会長には届かないわ」
「いやいや、お嬢よ」
見物してたジャンが木剣を肩に担いで近づいてくる。
「コースウッド会長は流石に別格だろ? 歴代の生徒でも屈指の天才だぜ。お嬢でも勝てなくても仕方がねえだろ?」
「そんな甘いことは言っていられないのよ」
アリサは木剣を下してジャンを睨みつける。
「私はハウルの血が薄いのよ。公爵さまも私は次点と言ってたわ。もしコースウッド会長がアルフレッドさまと婚約しないとなるともしかしたら……」
そこで眉をしかめつつ嘆息した。
「考えても仕方がないわね。今は武芸を磨くだけよ。ともあれ」
アリサは胸元の服を引っ張り、パタパタと扇いだ。
「流石に汗をかいたわ。シャワーを浴びてくる。あなたたちは登校の準備をしておいて」
そう言って、アリサは部屋を出て行った。
残されたジャンとダンは互いの顔を見合わせた。
「さっきの話ってやっぱ例の見合い話か?」
と、ジャンが言い、
「そうだろうな。お嬢さまは随分と乗り気らしい」
ダンが眉をしかめてそう返す。
「旦那さまは反対らしいが」
「まあ、相手がお嬢の推しじゃあ乗り気になんのも仕方がねえか」
ポンポンと木剣で肩を叩きつつ、ジャンが苦笑を浮かべる。
「俺もお前も瞬殺された相手だしな」
「…………」
ダンは無言だ。ただしかめっ面を浮かべている。
「俺やお前がどう思ったところで何も変わらねえよ」
ジャンは歩き出す。
「まあ、俺らはいつも通り、お嬢を見守ろうぜ」
不愛想なダンに目をやってそう告げた。
◆
(………ふう)
水が肢体を伝って流れ落ちる。
やや冷たい水だが、それがとても心地よい。
火照った体にも、高揚する心にもだ。
シャワー音だけが耳に届く。
アリサはしばしシャワーを浴び続けていた。
そうして、
「…………」
おもむろに、自分の腹部に両手を添えた。
あの日に彼から受けた、トスンという優しい衝撃。
あれは全く別の意味で衝撃だった。
『「参った」って言って欲しい。お願いできるかな?』
その後の彼の言葉を思い出す。
アリサは沈黙した。
そして、
「……はい」
アリサは赤い顔で俯き、自分の腰と肩を強く抱きしめる。
それから、ふへえっと口角を上げて、
「……参りました。参りましたあ。本当にもう……」
そう呟いた。
アリサ=グレスト。
騎士学校の名門・アノースログ学園の二回生。
勝気で負けず嫌いな性格だが、自分の技量に己惚れることもない。
騎士としても、常に高みを目指し続けている少女だ。
その結果として優れた成績を修め、学園では第四席についていた。武才においては学園主席のアンジェリカ=コースウッドにも迫るほどの才女である。
怪老と畏れられる老公爵・ジルベール=ハウルが見初めただけのことはある。
しかし、《悪竜》の花嫁たる最大の資質は魔竜の贄たる覚悟だった。
――心も、体も、力も、技も。
余すことなく自分のすべてを捧げて喰らい尽くされる覚悟だ。
アリサはまだその覚悟を知らない。
すでに花嫁である八人とは、そこが大きく違っていた。
果たして、アリサ=グレストが九人目の悪竜の花嫁となれるのか。
それは武才よりも、むしろ覚悟の有無の方が大きい。
逆説的に言えば、覚悟次第とも言える。
従って、その未来はまだ定かではなかった。




