2 出会い その①
北へ伸びる細い道を、ガジュは歩いていた。
道沿いにある宿屋の主人の話によると、占い師のいる村は、人の足で三日ほどかかるらしい。そして今日は、その話を聞いてから三日目。ようやく村らしきものが遠くに見えてきた。
タルタラ村の檻の中にいたときは、ろくに運動もせず、日がな一日、村の様子を眺めているだけだった。それがここ数日は歩き詰めだ。足はもう棒のようになっている。
しかし、その筋肉痛が今は心地よい。凝り固まっていた筋肉が、痛みを伴いながら目覚めていく。
体調が好転すれば、心もそれに同調した。タルタラ村の悲劇に沈んでいた心も、少しずつではあるが、回復の兆しを見せていた。
歩いていると、ガジュ以外の旅人の姿もちらほらと目に入った。旅人たちは挨拶を交わす程度で、足早に通り過ぎていく。みなそれぞれに旅路を急いでおり、余計な詮索はしてこない。
精霊人だとバレれば、なにか厄介ごとに巻き込まれるかもしれない。帽子を被り、精霊人の特徴である長い耳を隠しているガジュにとって、旅人たちの無関心はありがたかった。ガジュも挨拶程度に留め、なるべく他の旅人とは関わらないようにした。
しかし、今度ばかりは無関心を装えない。
砂埃を上げて、馬車が通り過ぎて行く。馬車の荷台には檻があった。
家畜でも運んでいるのだろうか? そう考えたガジュであるが、運ばれていたのは家畜ではなかった。
檻の中に少女がいる。赤いワンピースから、すらりと伸びる四肢が、陽光を反射して眩しい。漆黒の髪は風を受けて、柔らかな曲線を持つ頬に張りついている。
十人が見れば、十人ともが美人と評すに違いない。特に印象的なのは目だ。猫のように吊り上がっており、黒猫のような黄色の瞳をしている。
少女がガジュに気づき、目が合った。その瞬間、ガジュの世界の中心は、その少女に変わった。
馬車が通り過ぎ、我に返ったガジュは、慌てて馬車を追いかける。いや、我になど返っていない。名前も知らない少女のことで、頭はいっぱいになっていた。
「ちょっと待って下さい!」
馬車を操る商人を、ガジュは呼び止めた。
商人は馬車を停車させると、ガジュに視線を向ける。
「私になにか御用でしょうか?」
ガジュは少女のいる荷台を指さした。
「荷台の女の子はどうしたんですか? なにか悪いことでもしたんですか?」
檻の中にいる理由として、真っ先に思い浮かぶのは、少女が罪人ということだ。だが、その予想は外れた。
「いえ、彼女は罪人ではなく奴隷ですよ」
「奴隷? 奴隷って、主人の命令には、なんでも従わなければならないっていう、あの奴隷?」
「左様でございます」
ガジュは少女の様子を伺う。
少女はすべての事柄に興味を無くしたかのように、なにもない空間をぼんやりと見つめていた。体だけでなく、その心までもが牢獄に閉じ込められている。
ガジュが少女を見る熱い眼差しに、商人は気づいた。口の端を緩めると、早速セールストークを開始する。
「この奴隷は上玉です。これほど容姿の整った奴隷はそうそういません。朝昼はメイドとして使って、夜はもちろん……お好きになさればいい」
商人が下卑た笑みを浮かべる。その笑顔を見て、ガジュは少女が心配になった。
奴隷として売られた少女は、おそらく酷い扱いを受ける。神の寵愛を受けて生まれたような美しい少女が、悪魔のように野蛮な男に汚される姿を想像したくなかった。
「ただこれだけの上玉になると値段もそれなりにします」
「いくらですか?」
「私も商売ですから、金貨40枚は頂かないと」
「40枚か……」
金貨が一枚あれば、一年は働かずとも暮らせる。金貨40枚とは、それほどの大金だ。
ガジュは革袋を開けて、中の金貨の数を確認する。商人も鼻の下を伸ばして、一緒に金貨を数えていた。
「ダメだ。24枚しかない」
落胆したガジュであるが、商人の反応は真逆だった。金の匂いのしないガジュが、思わぬ大金を持っていた。このチャンスを逃すまいと、すぐさま商人はガジュに擦り寄る。
「そんなにこの娘が気に入ったのですか?」
「僕はこの女の子を自由にしてあげたいんです」
檻に入っている少女の姿が、数日前まで同じく檻に入っていた自分の姿と重なった。少女を助けたい。その気持ちに偽りはない。
しかし、ガジュの言葉を商人は信じていなかった。ガジュのように正義感ぶって奴隷を買い、その奴隷をボロ雑巾のように使い倒した男を、何人も知っていたからだ。
奴隷を買うという行為が、すでに浅ましい行為である。少女を性奴隷として買うのであれば、なおさらに浅ましい。それなのに、この期に及んでまだ外聞を取り繕おうとする。そんな人間は、奴隷商人からも嫌われていた。
しかし、商売を台無しにしたくない商人は、ガジュに対する嫌悪感を隠し、感心した顔で何度も頷いて見せた。
「あなたのその優しさに、私は心を打たれました。わかりました。その優しさに免じて、半額の金貨20枚で、この娘をお譲りしましょう」
「本当ですか⁉ ありがとうございます!」
喜ぶガジュであったが、まんまと商人の商売に乗せられていた。いくら少女が美しくても、金貨20枚は高すぎる。商人は初めに高い金額を提示して、ガジュから少しでも多くの金貨を巻き上げようとしたのだ。
つい最近まで檻の中に閉じ込められていたガジュは世事に疎い。ましてや奴隷の相場なんて知るよしもない。騙されているなんて露知らず、相場より数倍も高い金額で、ガジュは少女を買った。
「それでは、その娘は頼みましたよ。私は先を急ぎますので」
商人は馬を鞭できつく叩いた。あまりの鞭の強さに、馬は驚いて立ち上がる。それから、砂埃を上げて走り出した。商人の姿は、あっという間に小さくなる。大金を盗んで逃亡したと言って差し支えない。




