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ルーナ物語  作者: 白栞
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ルーナ物語3

第四章 奪われた英雄


朝日が。


焼け焦げた学園を静かに照らしていた。


夜空を埋め尽くしていた魔法の光は、少しずつ消えていく。


砕けた結界の欠片が。


青白い光となって空を漂っていた。


黒いローブの者たちも戦いをやめ、後退を始めている。


校門。


中庭。


崩れた渡り廊下。


各所に残っていた敵が、森の方角へ距離を取っていた。


けれど。


学園に勝利を喜ぶ声はない。


失われたものが。


あまりにも多すぎた。


白かった校舎の壁は黒く焼け。


窓は砕け。


教室の机や椅子が瓦礫の間に散らばっている。


時計塔の針は止まり。


鐘は半分に割れていた。


中庭には大きな穴がいくつも開き。


植えられていた花は、灰になっている。


石畳には。


戦った者たちの血が残されていた。


教師たちは負傷者を運び。


上級生たちは瓦礫の下に取り残された者を探していた。


「治癒班をこちらへ!」


「まだ息がある!」


「担架が足りない!」


「西棟の中も確認しろ!」


疲れ切った声が響く。


魔力を使い果たした教師が。


傷ついた生徒を背負って歩いている。


片腕を押さえた上級生が。


崩れた壁を必死に持ち上げていた。


泣きながら名前を呼ぶ声。


痛みに耐える声。


助かった者を抱きしめる声。


そのすべてが。


夜の終わった学園に残されていた。


その中で。


クレアはクロエのそばから動けなかった。


石畳の上。


クロエは静かに横たわっている。


破れた制服。


血に染まった胸元。


閉じられた瞳。


握った手は。


少しずつ冷たくなっていた。


「クロエ。」


クレアは小さく呼びかける。


返事はない。


「ねえ。」


指先を握る。


力は返ってこなかった。


何度名前を呼んでも。


クロエが目を開けることはない。


分かっていた。


分かっているはずなのに。


手を離すことができなかった。


少し前まで。


クロエは隣にいた。


一緒に逃げると約束した。


その声も。


笑った顔も。


まだ近くに残っているような気がした。


「起きてよ。」


クレアの声が震える。


「帰るんでしょ。」


クロエの頬に触れる。


朝の冷たい風が。


二人の髪を揺らした。


瓦礫を踏む音が近づいてくる。


校長だった。


長い外套は裂け。


肩から血が流れている。


握っている杖には亀裂が入っていた。


その後ろを。


数人の教師が歩いてくる。


誰も無傷ではなかった。


校長はクロエの前で足を止めた。


動かない少女を見下ろす。


いつも生徒たちへ向けていた厳しい表情は。


そこにはなかった。


校長はゆっくりと膝をつく。


震える手を伸ばし。


クロエの額にかかった前髪を、そっと整えた。


「……よく、守り抜いた。」


低い声だった。


風に消えそうなほど。


小さな声だった。


クレアは顔を上げることができない。


クロエの手を握ったまま。


肩を震わせている。


教師たちも集まってきた。


誰も言葉を発しない。


一人が杖を下ろした。


隣の教師も。


静かに杖を下ろす。


そして。


英雄へ頭を下げた。


遠くにいた生徒たちも。


その姿に気づいて足を止める。


泣いていた者も。


負傷者を支えていた者も。


静かにクロエを見つめた。


朝日の中で。


学園から音が消えていく。


風の音だけが。


焼けた校庭を通り抜けた。


その時だった。


瓦礫の向こうから。


足音が聞こえた。


ゆっくりと。


一定の速さで近づいてくる。


誰かが瓦礫を踏んだ。


石が崩れ。


乾いた音を立てる。


教師たちが顔を上げた。


煙の向こう。


黒い影が動いている。


一人の黒いローブの男が。


崩れた校舎の間から姿を現した。


男は杖を下げたまま歩いている。


周囲では。


まだ撤退していなかった黒いローブの者たちが立ち止まった。


森へ向かっていた者まで。


足を止める。


「止まれ!」


教師の声が響く。


数本の杖が。


一斉に男へ向けられた。


男は歩みを止めない。


教師たちの姿も。


向けられた杖も。


目に入っていないようだった。


真っすぐ。


クロエのもとへ歩いてくる。


クレアは立ち上がった。


足に力が入らない。


それでも。


クロエを背にして前へ出る。


震える手で杖を構えた。


「来ないで。」


声がかすれる。


男は近づいてくる。


「クロエに近づかないで。」


杖の先に。


小さな光が集まった。


涙で視界が揺れている。


けれど。


クレアは目を逸らさなかった。


校長が立ち上がる。


クレアの前へ出た。


「それ以上は進ませない。」


男の歩みは変わらない。


校長が杖を振る。


白い光が地面を走った。


石畳から光の壁が立ち上がる。


男の進む道を塞ぎ。


校庭の端まで伸びていった。


次の瞬間。


周囲にいた黒いローブの者たちが動いた。


一人が地面へ杖を突き立てる。


黒い魔法陣が広がり。


光の壁へ無数の亀裂が走った。


別の者が杖を振り上げる。


黒い炎が放たれ。


壁の中央へ激突する。


爆発が起きた。


衝撃が校庭を揺らす。


光の壁が砕け。


無数の欠片となって宙へ散った。


「前へ出すな!」


教師たちが駆け出す。


魔法が放たれる。


赤い炎。


青い稲妻。


鋭い風の刃。


黒いローブの者たちも杖を振る。


魔法と魔法がぶつかり合い。


朝の空を何度も照らした。


校長は最前線へ飛び込む。


足元の石畳が砕ける。


校長は杖を横へ払う。


巨大な衝撃が生まれ。


三人の敵が地面を滑った。


その背後から。


黒い槍が飛んでくる。


槍は崩れた校舎へ突き刺さり。


壁を大きく吹き飛ばす。


「負傷者を下げろ!」


校長が叫ぶ。


「動ける者だけで前を守れ!」


教師たちは倒れた生徒を庇いながら陣形を作る。


治癒を続けていた教師が。


杖を持ち直して前へ出た。


片足を引きずる教師も。


クレアたちの前に立つ。


男は戦いの中を歩き続ける。


その前へ。


一人の教師が飛び込んだ。


「行かせない!」


杖から放たれた光が。


男の胸へ向かう。


黒いローブの一人が割って入り。


光を正面から受け止めた。


身体が吹き飛び。


瓦礫へ叩きつけられる。


間を空けず。


別の黒いローブが教師へ杖を向けた。


黒い波が地面を走る。


教師は防御魔法を広げた。


光の盾が揺れ。


足元の石畳へ深い亀裂が入る。


男はその横を通り過ぎた。


校長が男へ向かおうとする。


けれど。


四人の黒いローブが前へ立ちはだかった。


同時に杖を掲げる。


頭上へ。


巨大な黒い魔法陣が現れた。


空気が震え。


焼けた校庭へ強い風が吹き荒れる。


「退け!」


校長が杖を突き上げた。


白い光が空へ伸びる。


黒い魔法陣の中央へ突き刺さった。


二つの魔力が押し合い。


空が黒と白に染まる。


教師たちは生徒たちを庇い。


クレアもクロエの身体へ覆いかぶさった。


光が弾けた。


耳を塞ぎたくなるほどの轟音。


衝撃で。


残っていた窓ガラスが一斉に砕ける。


黒い魔法陣が崩れ。


四人の敵が地面へ倒れた。


校長も片膝をつく。


杖を支えに立ち上がろうとした。


その前へ。


さらに黒いローブの者たちが進み出る。


一人。


二人。


倒れた者の隙間を埋めるように。


静かに並んだ。


校長の顔が歪む。


「道を開けろ!」


白い魔力が。


校長の周囲へ渦巻く。


外套が激しく揺れ。


足元に巨大な光の円が広がった。


教師たちが息をのむ。


校長が杖を振り下ろす。


光の柱が。


敵の中央へ落ちた。


大地が揺れた。


黒いローブの者たちが吹き飛び。


地面へ大きな穴が開く。


土煙が空高く舞い上がった。


その向こうで。


男はクロエの前へ立っていた。


クレアは顔を上げる。


男の足が。


すぐ近くに見えた。


「触らないで。」


クレアはクロエを抱きしめる。


男は何も言わない。


クレアを見下ろすこともない。


静かに腕を伸ばした。


「やめて。」


クレアは杖を向ける。


光を放とうとする。


魔力が集まらない。


何度力を込めても。


杖の先に現れるのは。


小さく揺れる光だけだった。


「やめてよ……。」


男の手が。


クロエの身体へ伸びる。


クレアはその腕へ掴みかかった。


「触らないで!」


男はクレアの手を振り払った。


強い力ではなかった。


それでも。


傷ついたクレアの身体は地面へ倒れた。


男はクロエの背と膝の下へ腕を入れる。


そして。


壊れ物を扱うように。


静かに抱き上げた。


クロエの腕が垂れる。


「クロエ……。」


クレアは息をのむ。


目の前で。


大切な友達が連れていかれる。


身体が勝手に動いた。


石畳へ手をつき。


立ち上がる。


「返して。」


男は歩き始める。


「返してよ。」


クレアは杖を拾った。


両手で握る。


残っている魔力を。


すべて杖へ流し込んだ。


身体の奥が焼けるように痛む。


視界が白く染まる。


それでも。


男の背中だけを見ていた。


「返してぇぇぇ!」


杖の先から。


眩しい光が放たれた。


一直線に。


クロエを抱いた男へ向かう。


一人の黒いローブが。


その間へ入った。


杖を振る。


黒い光が。


クレアの魔法を切り裂いた。


白い光が左右へ散り。


壊れた校庭を照らす。


クレアは目を見開いた。


黒いローブの杖が。


こちらへ向けられている。


黒い光が走った。


避けることはできなかった。


腹部に。


冷たいものが突き刺さる。


「……っ!」


身体の中を。


何かが通り抜けた。


一瞬。


痛みすら感じなかった。


遅れて。


焼けるような苦しさが広がる。


鮮血が舞った。


杖が手から落ちる。


クレアの身体は地面へ叩きつけられた。


息ができない。


声も出ない。


腹部から流れた血が。


石畳を赤く染めていく。


「クレア!」


教師が駆け寄る。


クレアの身体を抱き起こし。


傷口へ手を当てた。


治癒魔法の光が広がる。


それでも。


クレアは前だけを見ていた。


クロエを抱いた男が。


遠ざかっていく。


「待って……。」


唇から。


血がこぼれた。


教師が身体を押さえる。


「動くな!」


「傷が深い!」


クレアは腕を伸ばす。


指先が。


何もない空を掴む。


「返して……。」


身体を起こそうとする。


力が入らない。


教師の腕から逃れ。


石畳へ倒れ込んだ。


膝を引きずり。


腕だけで前へ進もうとする。


傷口から血が流れる。


制服が赤く染まる。


「クレア、やめろ!」


教師が肩を掴む。


それでも。


クレアは地面へ指を立てた。


爪が割れ。


石畳に血が残る。


「クロエを……。」


呼吸が途切れる。


「返して……。」


男は振り向かない。


クロエを抱いたまま。


壊れた校庭を歩き続ける。


校長は敵の間を抜けようとしていた。


杖を振るたび。


黒いローブの者が倒れていく。


けれど。


倒れた者の後ろから。


別の者が前へ出る。


校長の肩へ黒い魔法が当たった。


外套が裂け。


血が飛ぶ。


足は止まらない。


白い光を放ち。


敵を押し退ける。


あと少しで。


男へ届く。


その時。


地面に倒れていた黒いローブの一人が。


校長の足首を掴んだ。


校長が振りほどく。


その僅かな間に。


別の敵が杖を突き出した。


黒い鎖が地面から伸び。


校長の腕と身体へ巻きつく。


「……っ!」


校長の魔力が膨れ上がる。


鎖が軋む。


一つずつ砕けていく。


教師たちも。


校長へ道を作ろうと魔法を放つ。


けれど。


負傷した生徒たちの近くへ。


黒い炎が落ちた。


「防げ!」


数人の教師が振り返る。


光の壁を作り。


生徒たちを守る。


炎が壁へぶつかり。


校庭に熱風が吹き荒れた。


校長は男を見た。


すでに。


学園の門へ近づいている。


追えば届く。


けれど。


背後では。


光の壁が崩れかけていた。


負傷者を抱えた教師たちが。


必死に魔法を支えている。


校長の手が震える。


歯を食いしばる。


杖を地面へ突き立てた。


巨大な光が。


生徒たちの前へ広がる。


崩れかけた壁を包み。


黒い炎を押し返した。


その間に。


クロエを抱えた男は門を越えた。


周囲の黒いローブの者たちも。


少しずつ距離を取り始める。


魔法を放ちながら。


森へ向かって下がっていく。


教師たちは追おうとした。


けれど。


瓦礫の向こうから。


助けを求める声が聞こえる。


倒れた生徒。


傷ついた教師。


魔力を失い。


立つことすらできない者たち。


校長は門の先を見つめていた。


黒いローブの男が。


森の入口へ入っていく。


クロエの髪が。


木々の影へ消えた。


敵が放った魔法が。


学園と森の間へ落ちる。


地面が爆発し。


大量の土煙が立ち上がった。


視界が塞がれる。


風が煙を流した時。


そこには。


誰もいなかった。


静寂だけが残った。


校長は杖を握り締める。


手の傷から。


血が流れている。


教師たちも。


森を見つめたまま動けなかった。


怒り。


悔しさ。


恐怖。


誰も。


それを言葉にすることはできない。


瓦礫の下から。


小さな声が聞こえた。


「先生……。」


校長は目を閉じる。


拳を震わせ。


ゆっくりと息を吐いた。


そして。


学園へ向き直る。


「……負傷者の救助を最優先とする。」


声は低く。


かすれていた。


教師たちは唇を噛み。


それでも頷いた。


「治癒班を分けろ。」


「瓦礫の下を探せ。」


「動ける者は、生徒たちを本館へ運べ。」


校長の指示が飛ぶ。


止まっていた教師たちが動き始める。


誰もが。


森の方角を振り返りながら。


救助へ戻っていった。


クレアは。


血だまりの中に横たわっていた。


治癒魔法の光が。


腹部を包んでいる。


教師が何かを叫んでいる。


けれど。


声は遠くに聞こえた。


クレアの目には。


森しか映っていない。


クロエが消えた場所。


何も残されていない。


暗い木々の間。


腕を伸ばそうとする。


指先は動かなかった。


「……返して。」


かすれた声が漏れる。


誰にも届かないほど。


小さな願いだった。


瞼が重くなる。


視界が少しずつ暗くなっていく。


最後まで。


クレアは森を見つめていた。


朝の光だけが。


何も残されていない石畳と。


血に濡れたクレアを。


静かに照らしていた。

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