117.女神の攻撃! 勇者様は精神に致命的なダメージを受けそう!
突如、兎が試合の選手から勇者様の身柄を狙う誘拐犯にジョブチェンジしました。
こうなるともう試合どころじゃありません。
「まぁちゃん、どうしよう! 勇者様の身柄と貞操が危険で危ない!」
「おいおい落ち着けよ、リアンカ。錯乱中か?」
「だって勇者様ですよ!? 美貌の熟女に拉致監禁されるなんて、可哀想な末路しかないじゃないですか!」
「おっとリアンカちゃん、そのアイディア良いね! 美貌の金髪お色気むちむち熟女に都合を一切顧みられず強引に拉致されて、豪華なキングサイズベッドの上で緊縛された勇者君……可哀想ってか爛れた未来! よし、次回作は決まった!! シーツの色は白が良いかな、赤が良いかな……縛り方は××××……道具はどうしよっかなー♪」
「おい破廉恥馬鹿、んなとこで創作意欲駄々漏れにすんな。ここにはリアンカもせっちゃんもいるってのに……捻るぞ、おい」
「どこを!? 陛下、俺の何処を捻る気!?」
「……口に出して欲しいのか? あ゛?」
「いえ、いいです……」
「あに様ー、勇者さん縛られちゃうんですのー?」
「よし、ヨシュアンの奴を捻るか」
「そんな御無体な! 思い留まって陛下!」
「しっかりせっちゃんの耳に入っちまってるじゃねーか!! 精神衛生上よろしくねえ情報ばっかり吹き込みやがって……最期の情けだ、脳ミソと肝臓どっちが良いか選ばせてやろーじゃねえか」
「マジでどこ捻る気ですか陛下!? 俺、出来れば足一本くらいで勘弁してほしいんですけど!」
「足なら執筆作業に支障ありませんからね」
「その通り!! って、リーヴィル……!?」
「陛下、筆を取るのに関係のない個所ではヨシュアンも堪えないようですよ。ここは利き手の指を全てへし折ることを提案致します」
「お前……ヨシュアン、軍人としてそれってどうよ? 戦闘に支障のない箇所、じゃなくって執筆に関係あるなしが判断基準かよ」
「ごめんなさい、勘弁して下さい陛下ー!」
ぺき、ぺきと。
まぁちゃんが指を鳴らしてヨシュアンさんの頭を鷲掴みにします。
どうも今からエグいプチ惨劇が繰り広げられつつあるようです。
私とリリフはそっとせっちゃんの手を左右から掬い取り、さりげなく視線を試合場の方へ誘導しました。
「せっちゃん、勇者様が大変ですよー」
「リャン姉様、ヨシュアンも大変そうですのー」
「うん、せっちゃんはこっちを気にしよっか。ヨシュアンさんの悲しい姿は見ないであげよう?」
「哀れヨシュアン、安らかに眠れ」
「ロロイ、まだヨシュアンさんは死んでないんじゃ……?」
ヨシュアンさんが混ぜっ返したせいで、まぁちゃんに打開策を貰うことは出来ませんでした。
こうなればこの遠く離れた観客席から、私は見守る意外に術もなく。
だったら何かした方が良いのかな、とも思うんですが。
いま、勇者様達から目を離す勇気がありません。
目を逸らした一瞬の間に、何か見過ごせない事態の動きがありそうだったので。
というか兎が凄いことになりつつあったので。
試合場の、真ん中。
そこで頭部(着ぐるみ)を失った兎(着ぐるみ)が、何やら……
ぴんく色に、光ってました。
ふぉんふぉんふぉん……と何か空気の唸るような音を伴い、兎の身体が宙に浮いています。
そうして見る間に……ラメ入りパッションピンクの光の中で、着ぐるみの頭部が再生していく!
異様な光景に、勇者様が唖然としていました。
三秒くらいであの気色悪い兎の頭部は完全にかつての姿を取り戻し、上空から勇者様を睥睨します。
あの兎に見下ろされるって、なんか気分が良くありませんよね。
ちょっと乱入ついでにロロイに指示して撃ち落とさせたくなります……いえ、実行に移すべきでしょうか。
この観客席の柵を乗り越えるべきか、否か。
逡巡する時間はあまりに短い。
それでもあの異様な兎が何かやらかす前にと、心を決めて。
私は柵に片足をかけた。
それと同じ、頃合いで。
パッションピンクの光に身を浸した兎が、両腕を広げました。
「ふっふふんふふ~♪ 今回は正式なお使いですからね! 以前の力を封じられていた吾とは一味も二味も違うってところをお見せするですよ!」
そう言った兎の分厚い着ぐるみの両手から。
パッションピンクの尾を引いて、七色の矢が勇者様めがけて発射されました。
弓なんてどこにもありません。
魔法的な、純粋な力による矢の射出。
見た目からの判断になりますが、矢そのものもきっとただの矢じゃありません。
「勇者様ー!?」
彼の実力的に、視認できる程度の速度しかない矢如きに傷を負うとは思えませんでしたが。
それでも心配するかしないかは別問題。
相手は得体の知れない兎です。
放たれた矢の効果が未知数とあっては、心配しないでいられる筈もない。
だけど勇者様も、そこは心得ていたようで。
軽い足取りで、矢を次々に避けていく。
警戒心の表れか、間違っても矢を受けることのない様。
錫杖で受けることのない様、避けることに腐心する。
しかし兎は、それもまた読んでいたのでしょうか。
「い・け・ど・りっ!! いっぽぉぉぉおおおん!!」
魔法に不慣れな勇者様では、きっと予想しきれていなかった。
ピンク色の光の軌跡を残して、降り注いだ矢。
その、ピンクの光。
矢の軌跡が、消えずに空間に残り続ける。
いいえ、矢の走った後に残り続けるだけじゃなく……『光』は実体を持ったかのように動き、たわむ。
まるでキラキラと光る、縄の様に。
物理的な拘束力を有して。
全ての矢が勇者様に避けられた後、そこには天の兎から勇者様へと延びるピンクの拘束網が顕現していました。
「く、こんな光なんて……!」
それでも数々の戦闘を潜り抜けて培った経験則が、勇者様の身体を動かすのでしょう。
相手が得体の知れないピンク色だとしても、それが『光』である限り、陽光の神の加護を受ける自分の敵ではないと思ったのか。
それが『光』なら、確かに強い光属性を持つ勇者様にとっては与し易い相手でしょう。
それが『ただの光』なら。
でも違ったようです。
兎が、相手の正体を掴みかねている段階で迂闊にもピンクの光をぶち抜こうとした勇者様に、思い出したように言葉を放り投げました。
「あ、言い忘れてましたがー」
「なんだ!」
「吾、愛の眷族なんで。……それ、触ると愛の光ばっしばしですよーぉ!」
愛の光、ばしばしとな。
その言葉の含むところはよくわかりませんが、何となく不穏な物を感じたのでしょう。
というか勇者様に愛のなんたらとか、あまり言葉の印象的に良いモノじゃなさそうです。
だから、でしょう。
光を物理的に振り払おうとした勇者様の動きが、ぴたりと止まりました。
そのままの姿勢で、視線を上げることなくポツリと。
空虚な声音で、勇者様が口だけを動かしました。
「………………愛の光、とは?」
兎の返答は簡潔でした。
「すっごい媚薬効果」
「NO! NOっ!? dじゃおてゃおいpれああっ!!」
「ちなみに相手は男女見境なしです! 魅了と呼ぶにも生温い痴態を発揮しちゃう姿は見ている側からしたら抱腹絶倒待ったなし!」
「えcばヴぉあՀաڣ٣いばあܔॐぷՑڃえbわろjさいヴぁরਔあdjz!?」
……あまりに衝撃的だったのか。
勇者様が人間の言語を失って取り乱しました。
間違ってもピンクの光に触れないよう、身を縮め。
ちょっと触りそうになるとビクッと肩を震わせて怯えます。
魔法効果的な薬効だったら、薬物耐性も意味ありません。
光に耐性があっても、副次効果までは無効化出来ないでしょうし。
肉食女子と異性から薬を盛られることに対して負の思い出満載の勇者様に対して酷なことを……その分、兎の狙った効果は如実に表れてるんでしょうけれど!
「あの兎、ヨシュアンと気が合いそうですね……」
りっちゃんが眉間に皺を寄せて難しい顔をしています。
なんだか頭痛を堪えているようにも見える顔です。
「ひっどいなぁ、リーヴィル。俺は実際に媚薬盛ったりしないって。相手の同意がなかったら。あ、でも作品の中は話が別だけどね!」
「やっぱり気が合うんじゃないですか?」
いつの間にまぁちゃんの折檻を免れたのか。
平然とした顔で観戦に戻っているヨシュアンさん。
ですが、媚薬ですか。
こういう時の対処法って……
「魔法的な効果なら、解毒剤みたいな薬じゃ効果ないかもしれないし。ヨシュアンさん、こういう時ってどうするものなの!?」
「よっしリアンカちゃん、俺がここぞとばかりにレクチャーを……」
「おいこらリアンカ、聞く相手は選べよ。まず間違いなく、ヨシュアンは答える相手に向いてねえ!」
「うわ、陛下酷っ! だから俺は、作品の中ならともかく実際にはしないってば。作品の中ならともかく」
私の知る限り、この中で媚薬とかそういういかがわしい道具に一番通じてそうなのはヨシュアンさんです。
勿論それが真っ当な薬師の領分なら、私の担当ですけど。
魔道具の類だったら私には何ともし難いんですから、仕方ありません。
「えっと――先日もらったファンレターの中に『ぼくがかんがえた、さいきょうのびやく』魔法とその解除法についてのレポートが……」
「ヨシュアン、てめぇ……信奉者になんてもん貰ってやがる」
「一応、危険過ぎて禁止魔法の指定した方が良いかなって。魔王城の魔法士官や研究室に繋ぎ取って検討してもらったりしてますよ。分析結果、魅了魔法としての効果は抜群! 間違いなく禁止魔法の領分でしたけど解除魔法の方が対魅了効果の汎用性高くって。その点を考慮して、手紙をくれたファンとも取引を……」
「今、そういうことは言わなくても構いません。というか詳しく知りたくないんですが……それ、報告案件ですよね?」
「魔法を司る四天王のザッハルート殿下には報告したよ! 俺の裁量に任せるっつってたけど!」
「駄目じゃねえか! それ駄目じゃねえか! っつうか直属の上司は俺だろ! 俺に報告しろよ、おい」
「俺って信用されてない!」
「普段日頃の素行考えて物言えや!」
「と、とにかく! あの解除魔法なら応用が利くから勇者君には遠慮なくラリってもらって……」
実は半分くらい期待してなかったんですけど、意外にも本当にヨシュアンさんは対策法をお持ちだった模様。
それを何とか勇者様に伝えたら、あの窮地も脱することが出来――……
…………るんじゃないかなって、思ったんですけどね?
媚薬案件に遭遇した時の勇者様の忌避感、舐めてました。
「くっ こうなったら……」
――その時、彼は思った。
己が王国の為に、世継である自分は死ぬ訳にはいかない。
そう思って生きてきたが……今ここで、人の手の及ばぬ所に誘拐されるという。
人には行きつけず、戻れぬ天の国。
そんな場所に拉致されては、王国にとって自分は死ぬのと何ら変わらない。
生きていても死んでいても、同じ。
そんな状況に今にも陥ってしまう。
だと、したら。
王国の為に生き続ける努力を重ねる必要が、なくなるのでは?
生きていなくても構わない、のなら。
自分の意を押し通す為に、どんな道を選んだとしても……。
それで最低限、自分の心だけは守ることが出来る。
勇者様は、決死の覚悟を決めた悲壮な顔で。
追い詰められ、切羽詰まった顔で。
その手に握る錫杖を……錫杖の先端についた飾りの針状突起を、御自身の首元に向けて。
「意に添わない醜態を演じさせられるくらいなら――」
両手でしっかりと握った錫杖が、眩い光を世界に放つ。
勇者様の魔力を、限界を超えそうなくらいに……いいえ、限界を超えろと注ぎ込まれて。
内包する魔力が、錫杖から漏れて光の矢となり世界に延びる。
今にも破裂しそうな白銀色の杖に、金色の光の線がヒビみたいに広がって……
「――今、此処で……っこの忌々しいピンク諸共、自爆してやる――――――!!」
勇者様、超ご乱心。
って、え? 待った。
本気で自決しちゃう気ですか?
打つ手なしと思ったから?
他人の好きなように弄ばれるくらいなら、潔く死を選ぶって?
待って待って、待ったですよ勇者様ー!?
こんな土壇場なら、思い出してほしかった。
死ぬ前に、私達にだって出来ることがある筈なのに。
私達のこと頼ってくれたって良いじゃないですかー!?
協力を求めてくれたなら、いつだって全力でお応えしちゃうんですよ!?
なのに。
私達に何の声もかけることなく。
こんなところで、一人で結論出して死のうって言うんですか。
……勇者様の謎の防御力で、実際に死ねるか否かはともかく。
「ちょっ……死なれたら吾が困るんですけど!?」
「知った事か! 自分の思う通りに生きることも出来ず……他者に支配されて生きるくらいなら!」
「え、本気ですかー!?」
あわわと慌てて、観客席で制止しようにも。
手も足も出ないし、声だって届かない。
思い留まってほしいのに、現実的に抑止能力がない!
力づくになったって、勇者様に死んでほしくないのに!
「ど、どうしよ、まぁちゃん!」
「……チッ。仕方ねえな――勇者の奴、手を焼かせやがって!」
流石に見過ごせないと思ったんでしょうか。
まぁちゃんがチラリと、私の顔を見下ろして。
鋭い舌打ちが、忌々しげに響く。
「……リャン姉、涙」
「え? あ……っ」
「リャン姉様、泣かないで、ですの……」
隣に寄って来たロロイが、指を伸ばして私の目尻をぐいぐいと拭う。
気付かない間に、半泣きになっちゃってたみたいで。
そんな私の頭に、まぁちゃんはポイっとハンカチを放り投げてくる。
受け止めた糊の効いたハンカチは、十年前に私が贈った子熊ちゃんの刺繍入りハンカチ。
うわぁ、視角から不意をつかれたー。
まさか未だに使っていようとは……。
不覚にも、自分の目元が和んだのがわかる。
それからまぁちゃんは、勇者様と兎の両者にしかめた顔を向けて。
「……俺の妹分泣かしてくれた分は、きっちり落とし前付けてもらわねぇとなあ?」
まぁちゃんの、麗しの御尊顔は。
怒りに引き攣って、なんか笑ってるみたいに見えた。
いや、実際に笑ってたのかな?
どっちにしろ、邪悪で怖いことには違いない。
あー……これ、喧嘩両成敗で二人とも殴る気だ。
その殴るに当たって、どの程度の力を拳に込める気かは知れない。
観客席の柵に、さっきの私みたいに足をかけ。
今にも飛びこんでいきそうなその両手に、バリバリと危険に放電かます漆黒の魔力球を膨らませて。
いざ、魔王様の出征か――!?
誰もが緊張して引きとめられない、その背中。
だけど一歩、踏み出す前に。
その背中が、ぴたりと止まる。
何を察知したものか、まぁちゃんが空を見上げた。
鋭く尖る眼差しが、より忌々しげに……天空を睨む。
「チッ。奴さんも勇者の自決にゃ黙ってられなかったようだな」
「え……?」
次の瞬間、空が歪んだ。
頭上に広がる真っ青な空が、不自然な薔薇色に染ま……
……いえ、色が変わった訳じゃなさそうですね?
よくよく見ると、空いっぱいに、数えきれないくらいの大量に。
空の青が見えなくなるほど、沢山の赤い薔薇で埋め尽くされた。
赤い赤い花弁が舞って、渦巻き、支配する天空。
その真ん中に、赤い色の中に。
花弁から浮いて、金色のナニかが滑り落ちてくる。
えーと、どうやら女の人ですね?
驚きに私の涙も引っ込みました。
勇者様も瞳を見開き、愕然として。
だけど驚いている猶予はないと思ったのか。
ますます切羽詰った顔で、勇者様はひと思いに自分の喉をぐっさりやろうと手を動かしたのですが……
私の喉から、勝手に悲鳴が上がりかけ。
だけど途中で途切れて消えた。
途切れもします。
勇者様は自分の喉を突こうとしたけれど。
いつの間にか、体が動かなくなっていたみたいで。
観客席からでも、自分の腕を動かそうとして悶える様子が見える。
でも錫杖を握るその腕だけが、何をどうやってもビクともしないと。
そんな様子が、見ているだけでわかってしまう。
そしてきっと、彼の身体が動かない理由は……
天空を滑り落ちてきて、兎よりも上空の一点で留まった。
あの異質な女の人にあるのでしょう。
一言も発していないというのに、あの女の人の干渉で地上の諸人は体の動きを封じられる。
勇者様だけじゃない。
ふと手を動かそうとして……私は、自分の体も動かなくなっていることに気付きました。
これは、他のみんなも、もしや……?
さあ、今までの展開その他を鑑みて。
誰何するまでもなく、あの女性の正体は明らかですね?
ええ、ええ、この展開でそれ以外にないでしょう。
どうやらいと高き天の階より、自ら降りてきて下さったようで。
遠い上空においでなので顔はよく見えません。
だけどきっとあれが「兎称、世界一の美女」……
美の女神、そのひとなのでしょう。
いえ、人じゃないんでしたっけ?
人じゃなかろうと何だろうと、どうでも良いですけど。
相手の意思を無視して愛人として召そうという時点で、傲慢で高飛車な己惚れ女間違いなしですが。
そんな勇者様の天敵間違いなしの肉食美女が降臨してしまいました。
さて、これを好機と討ち取ることは出来ますかね?
さあさあ、痺れを切らして美女神が降臨なさいました。
つまりはいよいよ勇者様の貞操の危機が……!?
勇者様「くっ……いっそ殺せ!」
リアンカ「私が助けに行くまで思い留まって、勇者様!」
まぁちゃん「勇者、俺らの許可なく死んだらお前、罰金三百万ペソな」
勇者様「俺には自ら死を選ぶ自由も与えられないっていうのか――!?」