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クズの鎮魂歌  作者: 叢雲@ぬらきも
第一章 始まり
4/11

目覚めると未来

 とりあえず、状況を把握したい。

 頼みの綱の携帯は海水で大破。ウンともスンとも言わない。

 電源が入ったとしても電波が通じてるかどうか怪しいものだが。

 ぐるりと周囲を見回す。

 どこまでも続く灰色の空、赤錆のような色の海、砂浜だけが唯一白い。

 何処も彼処も見慣れない場所だ。


 先程の銀髪の少女はここが希望の地、ミッドガルズだと言っていた。

 まずここで俺がいた日本じゃないと推測出来る。

 しかし彼女とは普通に会話出来ていた。

 夢ではない。だってあのおっぱい柔らかかったもん。


「そこ論点じゃないな……何してんだ俺」


 荒ぶる海綿体を鎮めつつ、深呼吸をひとつ。

 途切れた記憶を丁寧に手繰り寄せ、一つの疑問が浮かぶ。

 これは認めたくないが現実のようだ。

 だったらなぜ生きている?

 あの隕石は間違いなく自分目掛けて落ちてきていた筈だ。

 あれだけの質量の隕石が破壊されたとは到底思えない。

 まだ情報が少なすぎる。それになんだか息苦し―――。


「っ、ゲホッ! ゴホッ! あか……がっ……!」


 突然鋭い痛みが襲ってきた。

 呼吸する度に走る激痛により、息が出来ない。

 激しい目眩に襲われ、脳、肺、鼓膜、喉、鼻の奥、体内の至る所から針で刺されるような痛みが全身を駆け巡る。

 なんだよこれ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!


「かひゅ……っ! いぎゃっ! ひぎぃ……!」


 もはや何も考えられなかった。

 砂浜にのたうち回ることしか出来ない。

 それでも痛みは徐々に強くなるばかり。

 遠のく意識の中で、砂を跳ね上げながら駆け寄る音と、悲鳴が聞こえる。

 俺が何したって言うんだよ。なんでこんな苦しまなきゃいけないんだ。

 誰か助けてくれよ。誰か、誰か―――!



           ◇



 ぼんやりと光が広がる。

 ぱち、と光が一瞬遮られ、また広がる。

 ああ、俺生きてるのか。

 死んだ方がマシだと思えるくらい、痛かった。

 一体なんなんだ―――。


「―――ひっ⁉ ぅひっ……あう……うああああああああああああああああっ!」


 記憶が蘇った瞬間、恐怖が支配した。

 痛い怖い痛い死にたくない怖い嫌だ痛い痛い死ぬ痛い怖い誰か痛い。

 震えが止まらない。

 全身の毛穴からぶわっと嫌な汗が噴き出す。

 めちゃくちゃに体を動かし、ありもしない逃げ場を探す。

 死にたくない痛いよ怖いよ助けてよどうして俺が嫌だ怖い。


「大丈夫」

「うああああああああああああ! あああああああああああああああ!」


 何がだ。

 何も大丈夫じゃない。

 痛いんだよ。

 怖いんだよ。

 死にたくないよ。


「大丈夫。私がいます」

「あああああっ! ぅ、ひっ、いやだ、いやだあああああああああああああああ!」


 何が大丈夫なんだ。

 誰だお前は。

 お前にこの痛みがわかるものか。

 痛いんだよ。

 痛くて辛くて怖いんだよ。

 お前が代わってくれよ。


「怖くないです。もう痛くないです。大丈夫。私がいます。ゆっくり……ゆっくり息を吐いて……」

「う、ああ、うう……」


 銀色の髪の少女はとん、とんと一定のリズムで錯乱している自分の背を優しく叩いていた。

 我が子を慈しむ母のように、胸に頭を抱いて、あやすようにとん、とんと背を叩き続ける。

 柔らかな暖かさと、懐かしい匂いに包まれて、漸く思考がまともに動くようになってきた。

 心臓の鼓動が嫌と言う程聞こえる上に、まだぎしぎしと体が軋む。


「―――落ち着きましたか?」

「……ありがとう」


 まだ体のあちこちが痛いし、震えは止まらないけど。

 この声と、この温もりはとても安心する。


「ごめん、ねむく……なっ……」


 言うより早く、意識が遠のいていった。


「はい。私の中でゆっくり休んでください―――ご主人様」


           ◇


「ん……あれ、アラーム……」


 いつもあれだけ喧しく鳴っていたアラームが聞こえない。

 ぼけっと瞬きを繰り返して―――飛び起きた。


「やっべ今何時だ⁉ 会社! 遅刻……って、あれ?」


 ここはどこだ? 俺の部屋じゃない。

 見慣れない景色が広がっている。

 六畳一間の自宅と広さはそう変わりないと見えるが、どう見ても長年放置された木造の倉庫にしか見えない。


 そもそも携帯が見当たらない。

 いつもは枕の上に置いてあるはず。

 しかもその枕すらなかった。

 申し訳程度の機能しか果たせないであろうボロボロの毛布も見知らぬものだ。

 あんまり汚れていないのがせめてもの救いか。


 キョロキョロと周囲を見回していると、真横の不自然に盛り上がった毛布がもぞりと動いた。

 何だこれ、毛布って生きてたっけ。


「……………」


 毛布を捲ってみたが、何もなかった。

 否、なかったと思いたい。

 深呼吸し、心を落ち着かせてもう一度捲ってみる。


「すぅ……すぅ……」


 何かいる。

 銀髪のとびきり美しい少女が体を丸めて眠っていた。

 なにこれなんてエロゲ?

 フリーズしかける思考を気合いでぶん回し、この状況を解析、把握に勤める。


『あなたは人なのですか?』

『あなたを待っていたのかもしれません』

『ようこそ、最後の希望の地ミッドガルズへ』


 思い出した。

 この妙ちくりんの世界で初めて見た、銀髪の少女。

 ヅラかと思っていたが、どう見ても本物にしか見えない。

 恐る恐る眠る彼女の頭に手を伸ばす。

 指先から伝わるなめらかな触り心地はまさしく絹のようだった。

 撫でるように梳く指の間をさらさらと通り抜けていく。

 柔らかい、そしてほんのり暖かい。


「……んぅ……」


 そのまま夢中で撫でていると、少女の体がぴくりと動いた。

 悩ましいくぐもった声がする。

 瞬時に手が引っ込んだ。

 鼻息荒くして美少女の頭を舐め回すように撫でていたらポリスメンが出動しかねない。

 そもそもいるのか疑わしいが。


 随分眠っていたようだが、今は何時だろう。

 会社のことや家の事が浮かんだが、それは些細な事でしかない。

 生きる上では重要極まりないが、まずはここがどこで俺がどうなったかを把握することが先決だ。


「頭で分かってても、そう簡単に動けないよな……」


 自分で言って、気分が落ちる。

 冷静さを失わないよう必死に取り繕っているが、内心めちゃくちゃだ。

 ホント俺がなにしたって言うんだよ。

 わけわかんねえ。

 ひとまずこの小屋にあるものから推測しよう。

 そう思い毛布から抜け出そうとすると、くっと服の裾を何かに引っ張られた。


「……お?」


 見ると、銀髪の少女がしっかりと服の裾を握っていた。

 何だこのシチュエーション。俺が狼なら襲ってしまうぞ。

 起こさないようにそっと手を離そうとすると、がっつり抵抗があった。

 意地でも離したくないらしい。子供か。


「どうしたもんか……」


 ため息が自然と出てしまう。

 もっとテンパるかと思ったが、不思議と脳は冴え渡っている。

 おそらく足掻いてもどうにもならないと理解してるからだろうか。

 それともこの甘い香りのお陰なのか。

 民族衣装のような襟ぐりから覗く、白磁の玉肌、至高の宝玉OPPAIが見えるせいだろうか。

 どこ見てんだ変態か。これはDはあるな。いや変態というかクズだな。


「雄の本能が強いとは、なかなか興味深いね」

「いや男なら誰だって見るでしょ―――って誰だ⁉」


 心臓が止まるかと思った。

 大声が出たにも関わらず、お姫様はまだ夢の中らしく、すやすやと心地良さそうに寝息を立てている。

 先程まで二人だけだと思っていた空間に、男とも女とも取れる中性的な声が響いた。

 慌てて周囲を見回すも、声の主らしきものは見当たらない。


「どこを見ている。僕はここだ」

「え……人形が喋った⁉」


 声の主は意外な場所にいた。

 小屋の隅にぽつんと置かれていた人形が声を発していたのだ。

 瞬きすらしない、全く動かない、あまりに綺麗な水色の髪の色からして人間ではないと勝手に判断していたそれは、失礼な発言にも眉一つ動かさずボロボロの椅子からすっと腰を上げてこちらへ歩み寄る。


「人形か。言い得て妙だ。確かに人であって人でない僕達は人形なんだろうね。だけど」


 目の前で立ち止まり、腰を折ってぐぐっと顔だけをこちらに寄せる。

 本当の人形のような造形の表情のそれ(・・)は、笑うこともなく、怒ることもなく、感情が存在していないかのように真っ直ぐ目を見つめる。

 長い前髪で片方しか見えないが、露出しているガラス玉のようなエメラルドグリーンの瞳からは何の感情も読み取れず、言いようのない恐怖しか感じられない。


「君も同じ穴のむじなだろう?」

「何を、言って……」


 全身が粟立あわだった。

 危険だ。こいつは危険だ。

 本能が告げている。

 こいつは十中八九奪う側の者だ。

 何の感情も抱かず、ただ淡々とそれを壊す。

 例えそれが命であったとしてもだ。


 そういった人間を俺は見ている。

 関わったら不味い。

 そう理解していても、体は言うことを聞かない。

 ただカチカチと歯を鳴らすことだけしか出来ない。

 なんで俺ばっかりこんな目に―――。


「……脅すつもりはなかったんだ。そんな目で睨まないでくれないか?」


 すっと顔を引き、片側だけのエメラルドの瞳を俺……ではなく、やや斜め下に向けていた。


「……あ?」


 ギュッと抱き寄せられた瞬間に震えが吹き飛んだ。


「この人はまだ浄化し切れてない。無茶をさせないで」

「それは僕の方が深く理解しているさ。僕はヨミ。このコに呼ばれて君を治療した医者さ。とは言え、薬を飲ませただけだけど」


 威嚇するように睨む少女に、ヨミと名乗った人物はスッと身を引き、表情は変えずに肩を小さく竦める。

 そして視線だけで君は? と問うてくる。

 いきなり過ぎて困惑してうまく言葉が出てこないが、抱き寄せてくれていた少女の腕が少しだけ強くなる。

 彼女もまた、自分の名を聞きたいのだろうか。


「あー、国栖代くずしろ 人間ひとまです。よ、よろしくお願いします?」

「どうして疑問形なのかこっちが疑問だけど……クズシロヒトマ。そんなコード聞いたことがないね」


 何をよろしくするのか自分でもさっぱりだが、染み付いた挨拶がつい口から出る。

 ヨミは不思議そうに首を傾け、顎に指を添えてふむ、と考え込むような素振りを見せる。


 僕、と言うからには男なのだろうか?

 男にしては随分小柄だし、声だけでは性別が分かりづらい。

 体型を見れば分かるのだろうが、こっちもこっちでローブのような白い布で全身を覆い隠す妙な格好をしているので全く分からない。


 それよりも聞き慣れない言葉が出てきた。

 ひとまずそれは置いておくとしよう。


「コード? いや、俺の名前だけど」

「名前? それはひょっとして姓名のことかい?」


 食いつくところか理解出来ないが、ヨミが再びずい、と顔を寄せて来た。

 俺を抱く力が強まって少し痛くも感じるが、それのお陰で恐怖は感じない。おっぱい。黙れ。


「あ、ああ。それ以外にあるのか?」

「ほう。君は面白い事を言うね。姓名とは人間が使うものであって、僕達ヒューマノイドが使うものじゃない。それに人間は100年以上も前に絶滅した筈。それを知らない訳がないだろう?」

「なん……だって……?」


 ハンマーでぶん殴られたような衝撃が走る。

 頭が真っ白になり、うまく思考が纏まらない。

 今ヨミはなんと言った? ヒューマノイド? 人間が絶滅? 100年前?

 じゃあ何で俺はこうして生きている?

 訳が分からない。悪い冗談だとしか思えない。


「おや? 記憶回路に異常でも来たしたかな? 悪いけど機巧回路は僕の専門外でね。早めにメンテナンスをすることをお勧めするよ。もっとも、出来ればだけど」


 またも聞き慣れない単語が出る。

 記憶回路・・・・って何だ。

 記憶するのは脳だ。

 こいつはまるで機械の一部のように言っている。

 ヨミは医者だと名乗った。


 医者は人体を治療するものだとは分かる。

 それが専門外? 一体何を言っているんだこいつは。

 ヨミはどう見ても人間そのもの。

 少しばかり格好と髪の色と目の色が変わっている以外、何の変哲も見られない。

 頬に当たる柔らかな胸の感触も温もりも、そこから聞こえる鼓動の音も本物だ。


「ちょっと待て、あんたらは一体なんなんだ? 人間じゃないってのか?」

「……なるほど。アニマ、君は初めから分かってて僕を呼んだのかい?」


 ヨミは酷く混乱している俺の様子から何かを察したのか、再び顎に手を添えて思考に耽っている。

 せめて何か説明してくれないかと僅かに苛立ちが募る。

 銀色の少女もさっきから一言も喋らず、ずっと俺を抱きしめたままだ。

 そのお陰で落ち着いていられるのだろうが、黙りでは埒があかない。


「……仕方ないね。さて、どうしたものか」

「いやいやいや、俺置いてけぼりなんだけど。腫れ物に触るみたいな空気やめて」

「君にどこから説明したものかと思ってね。僕の推測が当たってるとすれば、君は僕達の先祖なのだから」


 先祖。

 仮に100年先の未来にタイムスリップしたと言うのならそう言う事になる。

 そんな超常現象をすぐに受け入れることは出来やしないが。

 何より二人が人間でない証拠などないし、ここが未来である確証もない。


 ヨミ、そしてアニマと呼ばれたこの銀髪の少女は何かを知っている。

 まずは情報だ。情報がなければ動けない。

 正直逃げたくてもこのアニマが離してくれそうにない。

 現にずっと抱き付いたままだし。


「ふむ……口頭で説明したとしても信憑性はないね。仕方無い、ミッドガルズに行こう」

「そこは一体なんなんだ?」

「一言で言えば街さ。最も、君がいた時代とは程遠い寂れた街だけどね」


 ヨミは言いながらガチャガチャと小屋を漁り始めた。

 みるみる埃が舞う。随分と手入れがされてないことが目に見える。

 そして俺がいることを忘れないでくれ。

 ゲホゲホと咳き込んでいると、ヨミがぴたりと手を止めてああ、と小さく声を上げた。


「ああ、そうだったね。すまない。ミッドガルズに入るには君を偽装しないといけない。アニマは僕の患者として説明出来るけど、君はそうもいかない。マテリアルとして処理(・・)されかねないからね」

「……処理ってなんだよ」


 穏やかな言葉でないものが耳に飛び込んできた。

 表情も変えず、淡々と話すヨミからはさほど重要そうに聞こえないが、俺にとって命に関わる問題のような気がした。


「行けば全て分かるさ。その為の準備だ。今は僕に従ってくれ」


 それきりヨミはこちらを見る事なく物色を続ける。

 ふと視線を感じ顔を上げると、アニマが微笑みを浮かべて俺を見つめていた。


「大丈夫。私があなたを守るから」

「……男が女に守ってもらうのも、なんかなぁ……」

「そうも言ってられないと思うけどね。君は脆い。僕達がちょっと小突いただけで簡単に壊れるんだから」

「ヨミ」


 無意識に体が震えたらしい。

 アニマの抱く力が少し強まり、作業の手を止めないヨミの背中を強く睨む。

 ヨミは悪びれた様子もなく、それきり作業に没頭した。

 結構な音を立てて物がひっくり返されていたのに、埃は全く舞っていなかった。



           ◇



 ミッドガルズ。


 コスプレかと思うような妙ちくりんな服に着替えさせられ、歩く事数十分。

 眼前に飛び込んできたものを見て絶句した。

 ヨミはさびれた街だと言った。

 だが俺の目に飛び込んできたものは、まさしく要塞だった。

 何だこれは、と呆然と立ち尽くしていると、ヨミが不思議そうに首を傾げた。


「どうしたんだい? そんなに驚くようなものかいこれは?」

「いや……これを見て驚かない奴がいるかよ。なんだよこれ……」


 ぐるりと周囲を囲む黒い金属の壁。

 それは優に10メートルを越え、外部からの侵入を拒絶するかのようにそびえ立っている。

 右を見ても左を見ても黒い壁は続いており、目視ではどこが端なのか確認することはできなかった。


「マテリアルの侵入を防ぐ為さ。僕達だって疲労するし、休息は必要だ。完璧なものなんて存在しないのだからね」


 もう訳が分からん。

 中に入れば全部分かると二人は言う。

 ヨミの口振りから察するに、マテリアルとは危険な存在なのだろう。

 それを防ぐ為の壁。何もここまでと思うが、ここまで警戒する存在であるのならば、アニマが怯えた理由も頷ける。


 そう判断すると同時に恐怖がじわじわと這い上がってくる。

 やばい。足が竦んで来た。

 体がまた言うことを聞いてくれなくなってくる。


「……君は臆病だな。信じろと言っても信じないと思うけど、アニマがいる限り君に被害が及ぶことはないよ。少なくとも『外』ではね」


 アニマがこちらを見て微笑む。

 心配するなと言う事らしい。

 このコのおかげで恐怖は薄れていくが、どうしようもない不安は募るばかりだ。


「ここでこうしていても何も得るものはないよ。僕達と違って君の時間は短い。行くか行かないか、どうするんだい?」


 試すような視線が投げ掛けられる。

 俺に一体どうしろって言うんだ。

 寸でのところで出かけた言葉を飲み込み、大きく息を吐き出す。

 恐怖はある。正直今も逃げたしたいくらいに怖い。

 それなのに、頭は自然と透明になって行く。


 それはどうしてだろうか、自分でも分からない。

 ぶっ飛び過ぎた現実についていけてないだけなのか。

 現実離れした少女の微笑みに見惚れたからか。

 自分でも答えは分からない。

 理解の範疇はんちゅうを超えている。


 今は情報を集める事が先決だ。

 余計な事は考えず、ただひたすらに情報を頭に詰め込む作業に没頭する。

 整理するのはそれからでも遅くない。


「行くしかないだろ。現状どうにもならないなら、足掻いたって仕方ない。やれる事をやるさ」


 そう答えた時、視界の隅でアニマがそっと微笑んだように見えた。

 腹を決め、黒い壁へと足を動かす。


「……随分寂しい街だな」

「君がいた時代とは違うと言う事さ。ここは僕達にとって拠点でしかない」


 ミッドガルズの素直な感想を口にすると、少し前を歩いていたヨミが振り向きもせず答える。

 一言で言えば、何もない。

 家であろう建物と、整理された道だけ。

 人目を引くための看板も、色とりどりの草花も、当たり前にあったものがここにはない。

 それどころか、人が生活しているどうかすら疑える程静寂に包まれている。


 そんな中、彼女達は平然と歩いている。

 出張で山奥の田舎に行った事もあるが、それとは何かが違った。

 あそこはネット回線もろくに通じてないし、携帯も圏外で使い物にならなかった。

 なんて場所なんだと呆れもした。

 だが、人間味溢れる良い町だった。


 ここにはそれがない。

 一言で言えば、無。

 ただ存在するだけの街。

 この街は初めてだが、それだけは強く理解出来た。


「……本当に何も無いな」

「君と違って、僕達は娯楽が必要無い。だから最低限のものしかないのさ。もっとも、ミッドガルズはこの世界、アースガルズでも最大規模の街なんだけどね」

「確かに規模は大きいだろうが、人が住んでいるようには見えないぞ。こんなに生活感がない街は初めてだ」

「建物の中にいるさ。普段から外をうろつくヒューマノイドは珍しいくらいだし、これが日常、当たり前なんだ。その理由も、記憶の墓場に行けばわかるさ」


 ヨミの口からまた聴き慣れない単語が出てきた。

 歩みを止めず、振り返りもしないことから説明する気はないのだろう。

 それも行けばわかると言うことか。

 百聞は一見に如かず、と言うが何の説明もないとなると流石に不安や苛立ちは募る。


 気を紛らわす為に別の方向へ思考を向けると、やはり静かすぎる街の雰囲気に呑まれてしまう。

 それにしてもこの二人、全然喋らないな。

 ヨミは脇目も振らず真っ直ぐ歩いてるし、アニマは俺の隣をぴったりマークするように歩いてる。

 結構な時間歩いたが、これまで二人の会話はゼロ。

 ヨミとアニマは知り合いのようだが、あまり仲良くないんだろうか?

 まぁ、この二人がキャピキャピガールズトークする姿は想像し難いが。


「着いたよ、ここだ」

「……ここに答えが?」


 ヨミは視線を寄越す事なく静かに首肯する。

 ここが記憶の墓場やらと言う場所らしい。

 街で見てきた建物となんの代わり映えもない。

 本当にここなのか。

 俺が欲する答えが本当にあるのか。

 全てが疑わしい。

 注意深く建物を眺めていると、違和感があることに気付く。


「……ん? これ、扉がないけど、どうやって中に入るんだ?」


 そう、この建物にはあるべきものが無い。

 コンテナのような正方形の金属が置かれているだけ。

 ぐるりと回って見回して見ても、扉のようなものは見受けられない。

 なんだこれ。

 どこかにスイッチとかがあってウイーンガシャーンみたいに仕掛け扉が開くってやつか?


「あまり不用意に動かないでくれ。偽装しているとは言え、迂闊うかつな行動を取ると処理されかねない。今から開ける。くれぐれも大袈裟に驚かないでくれよ」


 言うや否や、ヨミはコンテナ型の金属に顔を近付け、鼻先が触れるか触れないかの位置で静止した。


『網膜パターン、虹彩解析―――コード認証。体組織解析―――正常確認。―――キーコードを』

「神の雫」

『―――承認』

「うぉっ―――むぐっ」


 一連の流れを終始見ていた俺が驚きの声を上げる―――前に、ヨミの手が口を覆った。

 正確には顎をがっちりとホールドしている。


「二度も言わせないでくれないか? 事を荒立てれば僕の身も危ない。リスクを背負っている事をまず自覚して欲しいね」

「ヨミ、痛がってる」

「ふぐっ……あぐあ……りょ、了解……」

「アニマ、僕は君ほど頑丈ではないし、知っての通り、戦闘は不向きなんだ。君だって僕と彼を守りながら戦闘できるのかい?」


 ヨミの咎めるような視線を受け、アニマは押し黙る。

 なんの話をしているかわからないが、少なからず楽しい話ではなさそうだ。

 と言うか顎が痛い。

 あの細腕でなんつう馬鹿力なんだよ。


 顎の痛みに気を取られていると、しょんぼりと俯いていたアニマをじっと見つめていたヨミが、ふっとため息を吐いて肩を落とした。


「……どうにも弱いね。行こう、ここで棒立ちしている方が目立って仕方ない」

「あ、ああ」

「ごめんなさい、ヨミ」

「……気にしないでくれ。僕は少し臆病なんだ。そこは理解して欲しい」

「うん。ごめんなさい」

「気にするなと言ったろう」


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