悪夢は落ちる02
愛しい人の体がじりじりと植物へ変わっていくのを、ヴェロニカは見つめていた。
クロードの呼吸は浅く、しかもまばらになってきている。もはや内臓や気管も植物に侵されているのだろう。
細い蔦と混じり合い始めた金色の髪の毛をすきながら、ヴェロニカは「クロ」と懐かしい名前で彼を呼んだ。
それを聞き届けてくれたのか、彼のまつげがふるりと揺れる。
ゆっくりと美しい赤色の目が開いた。その目が虚ろで己を見ているようで見ていないことに、ヴェロニカは気が付く。
「ヴェラ、ヴェラ、愛しいヴェラ……。そこにいるのかい?ああ、もう何も見えないんだ、ヴェラ……」
「ええ、いますわ。そばにいますわ。頑張りましたわね、愛しいクロ。安心して、もう休んでいいんですのよ」
昔からの愛称で呼ぶと、クロードの唇の端がそっと持ち上がる。
微かに微笑んだ様子だった。
「ああ、ヴェラ。話を、昔みたいに君の夢の話をしてくれないか……?」
ヴェロニカは頷く代わりに、愛しい男性の頬を撫でる。
記憶の中のそれよりずっとやつれて頼りなくなってしまった顔に心を痛めながら、それでも必死に笑みを浮かべた。
「私はこの研究所に就職し、クロと一緒に魔法学会を盛り立てていくのが夢ですの。私たちは優秀ですから、きっと上手くいきますわ」
「はは、僕は優秀じゃないよ。皆君に期待しているしね。僕なんかただのおまけさ」
「何を言っていますの。貴方のサポートが必要なんですわ。クロがいるから私がいますの」
語る唇が僅かに震えていることに、彼が気付かないことを祈った。
既に目が見えていないと先ほど言われたが、クロードはヴェロニカのこととなると案外鋭い。心配をかけたくはない。せめて穏やかな時間を迎えて欲しかった。
なるべく声だけは穏やかにしていたつもりだが、共に過ごした年月が長いからこればかりは仕方ないのか。
クロードは己の様子に気が付いてしまったようで、少しだけ困った様子で眉をたれ下げる。
「ヴェラ、泣かないでおくれ」
「いやね。泣きませんわ。私が強い人間だと言うことはご存じでしょう?」
ヴェロニカは笑う。クロードも笑った。
暖かい笑顔。愛しい笑顔。幼い日、ともに夢を語り合ったことを思い出す。
「ああ、ヴェラ、ヴェラ……愛しい、ヴェラ……」
最後にヴェロニカの愛称を呟き、クロードの呼吸が止まった。
やがてその唇も、ハリを失った皮膚も、指通りのいい金髪と大好きだった赤い瞳も、何もかも植物に変化し、崩れ落ちていく。
愛した人の体全てが消えてしまうまで、ヴェロニカは瞬きもせずに眺めていた。
「……おやすみなさい、愛しいクロ」
最後の挨拶は決して届かない。
開いた天井から流れる冷たい風を濡れた頬で感じ、ヴェロニカはゆっくり立ち上がった。
◆
まるで友人が遊びに来たかのような表情をしているリリアンから目をそらさず、ヒオリはヴィクトルが何処にいるかを探した。
だが周りにうごめくのは青々とした蔦だけで、人の形をしたものは彼女以外に見当たらない。その彼女の足も、うねうねとした蔦へと変化している。
優雅に蔦に腰掛けるリリアンを睨みつけ、それでもヒオリは彼女を刺激しないようにゆっくりと訊ねた。
「リリアン女史、前所長はどこですか?」
「なに?あんたの話は聞きたくないわ」
ぷいっと子供のように顏を背ける彼女は、己の質問を跳ねのける。
やはり彼女は好いている人間しか興味がないのか。ニールに目をやると、彼は眉間に深いしわを刻みながら口を開いた。
「リリアンさん、大人しく投降してください。貴女のしたことは許されませんが、同時にヴィクトル前所長の被害者でもあります。情状酌量の余地があると認められれば……」
「ニールさん、酷いわ。どうしてそんなこと言うのよ。私のことを可哀想だと思ってくれないの?」
「同情はしています。しかし、それとこれとは話が別です」
ニールがきっぱりと言い切るとリリアンは途端に顔を歪め、何故かヒオリを睨みつける。
「その女のせいなの?ニールさん。その女がいるから私の言うことを聞いてくれないの?」
「例えこの方がいなくても、私は貴女の言うことを聞きたいとは思えません」
リリアンの表情は、ニールが喋るたびにどんどん険しくなっていく。
それだけ見ても、こちらの言葉が彼女の心にまったく届いていないことがわかった。彼女は自分の全てを肯定してくれる人間しか受け入れない。
もはやリリアンの説得は無理なのだろう。
冷ややかな眼差しでそう結論付けたヒオリは、厳しい声で再度彼女に告げた。
「ヴィクトル前所長を開放して、魔法を解除してください。こんなこと長くは続きませんよ」
「うるさい」
端的な言葉をリリアンが言い放った刹那、周りでうごめいていた蔦たちが急に膨らみ、彼女の体を飲み込んだ。
顔を強張らせたニールが慌てて彼女から距離を取る。半瞬後、ヒオリの体のすぐそばを太い蔦が薙ぎっていき、ぞっと背筋が凍った。
うごめく蔦は壁を伝い、六角形の所長室を飲みこんで行く。
その勢いは凄まじく、研究所全体を飲み込むのは時間の問題に見えた。
「……っ、リリアンさんは!?いない?」
ヒオリはニールと二人、慌ててあたりを見回すが人らしき影はまったく見当たらない。
このままでは被害が大きくなる、焦りが加速していく瞬間、ふと鼻孔に嗅ぎなれた香りが届く。
ごくごく微かなものだったが、幾度か鼻をひくつかせて確信する。これは間違いなく、リリアンの夢で嗅いだ香りだ。
しばらく無言で匂いを追っていると、その原因は蔦がうごめく一画から漂ってきていることに気が付く。
「ニール、夢の香りがするわ……」
「え?」
「……リリアン女史の居場所がわかるかも」
彼の顔を見つめながら告げると、少しだけ目を見開いたあとニールは「ナビしてください」と言った。
ヒオリは彼の体に回す腕の力をことさら込めて、あの香りがしてくる方向を睨みつけた。




