人形劇は夜にうごめく01
部屋着の上に白衣をまとい、ヒオリは魔法薬品部門アロマ研究室の扉をくぐった。
魔法薬品部門棟に来たときから感じていたが、研究室だけでなくこの建物全体が慌ただしい。
残業していた他研究室の博士たちも集まっているのだとわかり、ヒオリは険しい顔で素早くあたりを観察する。
どうやら一同は研究室と温室をどたばたと行き来しているようだ。
速足で歩きまわる博士たちの両腕には、林檎のような大きさと色の果実と見覚えのある植物と蔦が抱えられており、彼らは室内にそれを下ろすと再び温室に戻っていく。
床に積まれた果実に植物と蔦は、既にこんもりと山のようになっている。
件の植物はほんの数日前に発見されたばかりだと言うのに、もうこれほど増えたのだろうか?しかもあの果実はもしや、実を付けたのか?
繁殖力にぞっとしていると、細い腕に目いっぱい植物を抱えた同僚が息を切らしながら山のそばに走り寄る。
彼女は腕の植物を山の一部に加えると、はたりとヒオリに気付いて「来てくれたの!?」と言った。
「メル?何があったの?これ例の植物でしょう?」
「ヒオリちゃん!手伝って!温室!草!増殖してるの!!」
真っ青な顔のメルが告げた言葉は途切れ途切れだったが、それでも何が起こっているのか察し、彼女とともに慌てて温室へと向かった。
例の植物を抱えて研究室に戻ってくる者たちとぶつからないように扉を開ければ、そこは既に己の知る温室の姿をしていなかった。
「な、んなの?これ……」
扉の前で立ち尽くし、ヒオリは呆然と温室の中を見つめた。
ぶわりと鼻孔をくすぐった覚えのある甘い香り。そして目の前に広がるのは、見覚えのあるあの植物。
しかしその大きさは、もはや木と言っていいほど巨大だった。しかも蔦の先には、幾多もの果実がたわわに実っている。
青々と茂る草は花壇だけでなく歩道にも壁にも蔦を伸ばし、もはや人の手の入っていない森のように温室を変化させていた。
しかも瞬きする間にもその蔦はぐんぐんと成長し、いたるところを侵略していく。
職員たちは懸命に蔦を引きちぎり、根を掘り出そうとしているが、植物の浸食に間に合っていない。
ヒオリは再度ぞっとした。あまりにも異常な光景過ぎる。
何はともあれあの植物の撤去作業に自分も手を貸した方がいいだろう。そう考えて温室内に一歩足を踏み入れた刹那───濃くなった草の香りに思わずぐっと顔を歪めた。
「これは……!?」
「え?なに?ヒオリちゃん!!」
「メル、わからないの!?」
慌てて袖口で鼻と口を押えるヒオリにしかし、メルは不思議そうに首を傾げる。
むせかえるような甘い草木の香りが温室中に充満しているのに、彼女は何事もなく足を踏み入れている。
まさか己の気のせいだと言うのか。
ヒオリはいまだに吐き出しそうで、とても温室に入れそうにないと言うのに。そう言えば他の職員たちも、この香りの中顔を歪めることなく作業している。
「え?ヒオリちゃん、顔真っ青!?どうしたの?大丈夫?」
「ヒオリくん?来てくれたのかね!?」
屈みこんでしまった己にメルが慌て、その声を聞きつけたハオラン室長がやって来た。
彼は真っ青な顔をするヒオリの様子をうかがうが、どうやら不調の原因である香りに気付いていない様子だった。
本格的に奇妙さを感じ、苦しさを堪えながら室長に訴える。
「……メル、室長。ここ、何かおかしいです。封鎖しましょう」
「むう……しかし!」
「このままじゃ危険です。皆飲み込まれてしまう」
飲み込まれるとは香りのことを言ったのだが、二人は草の浸食速度のことだと思ったらしい。
振り返ったハオラン室長の目が、太くなった蔦に足を取られ転ぶ職員の姿を捉えた。瞬間彼は頷き、「全員撤退しろ!」と叫んで指示を出す。
それを合図に温室にいた一同は、残された植物を気にしながらも慌てて入り口に戻って来た。
「全員出たか!」
「もう少しです!あと一人!!」
「よし、もう中にはいないな!扉を閉めろ!」
職員たちの声が警鐘のように響き渡るなか、香りの元凶へと続く扉はゆっくりと閉ざされた。
ヒオリと言えばすでに堪え切れずに研究室に戻ってへたり込み、新鮮な空気を取り込むために深く呼吸をしている。
すぐそばには山と積まれた件の植物と果実があった、が、不思議なことにここからはむせ返りそうな香りはしていない。
シャーレに入れて運ばれてきた時よりも僅かに濃い草の匂いが、そこに漂っているだけだった。
(香りのもとは植物そのものじゃないのかしら?温室に、なにか……?)
そう考えた刹那、誰かが背後で甲高い悲鳴を上げた。
ヒオリがぎょっとそちらを見ると、最後に温室から出て来た博士が扉の方を見て腰を抜かし、小刻みに震えていた。




