四十八話
ヂュヂュ。
闇夜の中、大鼠の群が駆けていく音が聞こえてくるのをチャゴは聞いた。
おそらく風下においた魔除けの香に反応したのだろう。風上の方は、アングイスとカンタートが見張りをしているから心配はない。
湖畔近くの開けた場所に焚き火の音が、鳴っている。火かき棒代わりにしていた枝を、そのまま焼べる。
この国が隣国に侵攻する、という具体的な話を聞いたのはチャゴが街を出て王都の方面から来ていた行商人からだった。
「いやぁすんません、ご飯までご馳走になっちゃって」と、薹が立った蜥蜴人の行商人は笑った。
チャゴの頬は、焚き火に当てられ心地よく熱い。
「お気になさらず。王都の噂話も聞けますし、何より男所帯なものですから、華があるとご飯も美味しくなります」チャゴは愛想笑いをしながら、焚き火の火加減を調整した。
簡易の携帯用鍋の中は干し肉と馬鈴薯のスープが湯気をだしている。グラディオが淡々と鍋をかき混ぜていた。
「チャゴ様、出来上がりですね」
グラディオに言われチャゴが、木の器にスープをよそって行商人の蜥蜴人に渡してやると、自前の乾燥麺麭をフヤカしながら口にはこぶ。
「いやーありがたいわー。このところずっと乾燥麺麭だけで野宿しとったから」行商人は旨そうにそれを食った。
グラディオがチャゴの分をよそって手渡すと、少し離れたところで食事を摂る。
野営時に一緒に食おうと誘っていたが、護衛と風下の見張りも兼ねている為の位置取りと説明され、仕方ないとこのところチャゴは諦めていた。
「貴女は、どなたが指揮を執られるかご存じですか?」
鍋にはもうほとんどスープは残っていない。「ふむ」とチャゴは持っている携帯食の堅いクッキーを思い出して、鍋の中に入れた。
焚き火を消えぬように弱く調整しながらチャゴが問うた質問に、行商人は「第三王子か第一王子って聞いたね」と答える。
お喋りな行商人の王都で流行っている話を聞きながら、相づちを打つチャゴ。意識は鍋の中に向いていた。
水分の抜けたクッキーは、スープを吸ってふやけてばらけさせる。味が偏らないようにかき混ぜながら、火の調子をみた。味に塩を加えて生地に馴染ませてから、弱火でゆっくりと水分をとばしていく。程良く抜けたらひっくり返すだけだ。
「第三か第一ですか……、なぜか第三は女性に人気ですよね」
行商人の話は、王都で流行っている劇の題材になる。第三王子と他国の一市民とのラブロマンスの話は、その手の話に疎いチャゴでも聞いたことがあった。
「せやでぇ、まぁ恋に盲目になれる歳でもないからウチはそんなことないけど、ね」蜥蜴人は笑うと、王都にいた年頃の女はロマンスに酔いしれとったわと辟易した声をだした。
「どちらの王子も開戦を主張してたと思いますけど、攻めいる国が違いますよね」
「そうそう。でもまぁ結局、どちらも皇太子になるための点数稼ぎでしょ」と行商人が冷めた口調で言った。
「ははは、確かに」
この国では、後継者になるための争いが静かに始まっていた。
街で情報収集を勤しんでいたアングイスの意見を聞いたチャゴは、第一王子が指揮を執ると思っている。
なにせ第一王子の支持母体は軍部だ。それに大貴族を派閥に引き込んでいる。こういう時にこそ活躍して偉功をしめしたいはずだ。
行商人が名をあげたもう一人、第三王子は幼少の頃から武芸には興味を示さず、詩を嗜み芸事に勤しんでいるというのが市井の噂だったが、ロマンスを経て政治や戦略に興味を持ったらしく、ここ最近は王の前で発言をし、活躍の場を欲しているらしい。
蜥蜴人は、複雑な顔をして言った。「王都は変な雰囲気には困ったわ。雄は物々しいのに、雌は頭の中がお花畑」辛辣な事を言いながら、スープを飲み干した。
「あと王都の近くの男爵領でね、叛乱の兆しありって噂がたってしもて、王都の中は平和なのに平和じゃなくなってもうて、逃げ出したんよ」蜥蜴人は食事に満足してチャゴに礼を言うと、自分の荷馬車に戻った。
「お話、ありがとうございました」
「ええのよ。世の中もこのスープみたいに分かり易い味やったらええのにな」と蜥蜴人の行商人は笑った。
遠くから見ると丘に突起物が刺さっているように見えた。近づくにつれ、それが幾つもの天幕と人、騎乗用の獣だと言うことが判っていく。
国境近くに天幕が並んでいた。その中を驢馬がひく荷馬車が進んでいく。手綱を握って先導するチャゴの頭にアングイス、驢馬の上にカンタート、荷馬車の後ろにグラディオスが続いている。
──荷ほどきが殆どされてないな……
チャゴが陣営の中を物見しながら歩いていると「おい、あんまりキョロキョロするな」と先をゆく兵士に注意される。
「すいません、こういう場は初めてで物珍しいもので」
愛想笑いしながら素直に謝って、兵士の後に歩みを整えた。
案内されたひときわ大きい天幕に入ると、ピリピリとした空気が張りつめていた。十数人が、一つの長机を囲むように座っている。何かの話し合いだったのだろうとチャゴは思った。
「失礼いたします」
唐突な入り口の訪問者に、天幕内は鎧の金属音が鳴った。
チャゴは少し上擦った声になったが、構わず礼をしようとする。
「構わん、立礼だけでいい」
天幕の最奥に陣取る人物が、そう言うと傍らの男が「殿下、侮られますぞ」と注意を促した。それを片手で制止する殿下と呼ばれた男。
「名乗れ」
「はい。私は、鴛鴦と小麦の組合『夫婦鳥』に属しております、商会『叢』という商会を営むチャゴと申します」
「鴛鴦と小麦の?ゼレフ卿、知り合いか?」
天幕の席の奥側にいた白髪混じりの男が首を振る。すかさず、その後ろに控えていた男、“代官”が耳打ちをした。
「私の知己ではありませんが、私の臣が資金造りで手助けをしてもらったようです」
「資金造り、あぁ、アレか……、して叢屋、何用だ?」
刹那、最奥の男がゼレフ侯爵を見た。それからチャゴを見据える。
それに震えたチャゴは小さく深呼吸をして、愛想笑いの仮面をかぶる。
そこには満面の笑顔のチャゴがいた。
──退くも地獄、進むも地獄
「風の噂に聞くと、何やらお困りのご様子ですね」
チャゴの言で、天幕内は殺気に包まれた。




