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十九 再会(3)

 それから、俺たちは会えなかった時間を埋めるように会話を交わした。

 振り返ればわずかな期間だったが、話すネタには困らなかった。


「ところで、小池さん」

「ん、なあに?」


 そんな中で、俺は気になることを訊ねてみることにした。


「この前、高校に来てませんでしたか?」

「よく知ってるね。もしかして見られてた?」

「はい。ちょうどその日、忘れ物を取りに行ったので」

「そうなんだ。なんか、偶然ってすごいね」


 クスリ、と微笑んで彼女が続ける。


「その日はね、実習で指導教官をしてくれた高田先生にお礼状を渡しに行ってたんだ。郵送でもよかったんだけど、昔からお世話になってた先生だから、直接受け取ってもらいたくて。連絡したら、当直だから来なさいって誘われてね」


 なるほど、合点がいった。

 実習が終わってしまえば、あの場所どころか高校自体に来る機会が激減する。わざわざ直接挨拶に行くような彼女だから、踊り場にも別れを告げに行ったのだろう。


「やっぱり、将来は教師になるんですか?」

「うん。でも、それもありかなって選択肢の一つだけどね。どこかの企業に落ち着くかもしれないし、もしかしたら大学院まで行くかもしれない。この時期になっても、私まだフラフラしてるんだ」


 彼女は気楽な雰囲気で語っているが、俺はそれがフェイクであることをわかっている。

 彼女のことを知りたくて、ネットで教育実習について調べたからだ。身近なようで、詳しく考えると曖昧なその姿を掴むことで、彼女に近付けるのではないかと考えたのだ。


 教師になるためには、大学へ入学した時から他よりも多くの時間消費を必要とする。

 つまり、周囲が入学お祝いモードで浮かれて立ち止まっているのに対し、既に何年も先を見据えた姿勢でいる必要がある。最初に違う道を選べば、軌道修正は極めて難しい。

 通常の講義に加えて、教職課程の勉強もしなければならない。それだけ自由な時間は削られ、耐えられなくなった弱者は一人ずつ消えていく。

 勝ち残ったとしても、精神を摩耗させて倒れる者もいる。教員が狭き門であることは簡単に調べがつく。


 そんな積み重ねがあって、初めて教育実習に行けるのだ。実習を大学の単位取得程度にしか考えていない腰掛け野郎とは違い、彼女はわざわざ感謝状を手渡しまでしている。

 ここまで身を削っている彼女が揺らいでいるなんて、オオカミ少年並に見え透いた嘘じゃないか。


「あ、そうだ。私が大学院行ったら、啓介くんと同じキャンパスに通えるんじゃない? それもアリかなー」


 彼女の言動に浮遊感を覚えるのは、今まで前だけを見て突き進んできた反動だろうか。

 それとも俺を信頼してくれている証なのだろうか。


「いいですね、それ。研究室にでも招待してくださいよ」

「任せといて。おもてなしの準備はバッチリしておくから」


 答えなどわからないが、彼女がそのように話したいのならば俺が止めることもない。陽気に振る舞う彼女に付き合っていくだけだ。


「そういえば、小池さんも踊り場に入り浸ってたんですよね」

「まあね。今までボカしてたけど、その頃の話とか聞きたい?」


 珍しく、彼女の様子が暗くならない。少なからず高揚感を持っているのだろうか。


「できれば。でもどうして」

「今はそういう気分なの。それに、啓介くんも色々と話してくれたからね」

「それってどういう……」

「どうだっていいじゃない。さてと、どこから話そうかな。まずは見付けた頃の話からしようか」


 うやむやにされた部分は気になるが、問い詰めても答えてはくれないだろう。

 改めてこれから語られる過去の話に向け、姿勢を直して背筋を伸ばす。これで多少は真剣味が増しただろうか。


「まず、見付けたきっかけは話したよね。踊り場から下りてくる人を見かけたのが始まりだって。それでその人っていうのが高田先生だったの。そこからずっとお世話になりっぱなし。なんでそこにいたのか後で聞いてみたんだけど、踊り場に置いてある備品の管理をしてたんだって」


 あそこは昔から倉庫代わりに使われてたのか。

 空き地に小さな物置でも作ればまた違ってきただろうに。俺と彼女の運命も変わっていただろう。


「その頃は私もちょっと色々あってね。人とコミュニケーション取らずに塞ぎ込むタイプだったんだ。友達みたいなのはいたけど、積極的に話しかけたりはしなくてさ。ホームルーム前とか休み時間は机に突っ伏してた。そんなだからクラスでも浮いちゃってたんだ。いじめとかはなかったけど、なんか教室に居づらくなっちゃって。そんな時にあの踊り場を見付けたんだ」


 告げられる過去が届くたび、彼女を身近に感じていく。

 まさか彼女が俺と同じような人間だったなんて。どう考えたって正反対の属性だと思っていたのだが。


「立ち入り禁止なんて関係なかったね。人目がないのをいいことに堂々と乗り越えてた。埃っぽい踊り場だったけど、騒がしい教室にはない澄んだ空気を感じたんだ。ここが私の居場所なんだって勝手に決め付けてさ。音楽聴いたり本読んだりして適当に時間潰してた。ここだけの話なんだけど、気に入らない授業もサボってた」


 最後に小声で付け足した内容はともかく、あの場所での過ごし方まで似通っていた。だから俺なんかに声をかけてくれたのだろうか。


「でもね、そんなことしてたらバレちゃったの。ちょうど高田先生が備品チェックに来たところでさ、音楽に夢中だったから気付いた時にはもう手遅れ。しかも授業をサボってた時だったからもう大変。なんて言い訳しようか考えるほど何も浮かばなくて頭の中真っ白状態。これは親に連絡行って説教コースまっしぐらかなって覚悟した。

 でもね、高田先生はそんなことしなかった。しょうがないなって顔して溜息ついたと思ったら、私の隣に腰を下ろしたの。そして一言『ここが好きなのかい』って。予想と違う展開に何が起きたのかわからずに、小さく頷いたっけ。そうしたらね、高田先生が『そう。なかなか目の付けどころがいいじゃない』って感心したように言ったの。たったそれだけなんけど、だんだん安心してきたんだ。この人は他と違うのかなって。

 それから少しずつ話をして、またここで会おうかって言ってくれたんだ。それをきっかけにして親身になってくれるようになってさ。変にひねくれてた私がまともになるまで支えてくれたんだ。もちろん私が実習生として戻ってきた時も高田先生はよくしてくれたよ。実習の時にはね、自分を担当教官にしてくれって先生から申し出たんだって。それ聞いたら嬉しくなっちゃってさ、ああ、私もこうやって慕われる教師になりたいなって改めて思った」


 彼女は大切な思い出に浸るように、そっと目を細めた。彼女の強い思いがよくわかる。


「もしかして、それが俺とのことに繋がってきますか?」

「そうだね。あの時期に大掃除があることは昔からの恒例で知ってたし、私にとって始まりの場所みたいなものだから、自分で綺麗にしなきゃって思って行ったんだけど──あの時、啓介くん隠れて見てたんでしょ?」

「す、すみません」

「いいよ、謝らなくて。昔の私も間違いなく隠れたと思うから。それに、ちゃんと次は会えたじゃない」

「あ……」


 まずい。全身が夏以外の原因で熱い。


「その時に踊り場へ行ったのは、やっぱり昔と同じだったんだ。あそこにある段ボールに必要な備品が入っているから持ってきなさいって言われてね。高田先生にとっても懐かしの場所だから、ちょっと気をきかせてくれたところもあったのかな。

 そうしたら、階段上っている最中に人の気配を感じたんだ。まさか誰かいるのかなーって覗いてみたら、昔の私みたいな子がいるんだもん。びっくりしちゃった。でも、この子にも事情があるんだろうって思ったから、優しく話しかけてみたつもりだったんだけど……」


 いたずらな目つきで彼女が睨んでくる。ろくに話もせず逃げてしまったことを咎めているのだろう。

 うう、言い訳ができない。

 女性に免疫がなかったとか、中学生レベルの理由なんか言えるはずもないし。


「本当はね、軽くショック受けた。まだ私って人を寄せ付けないオーラ出してるのかな、とかも考えたし。でも、きっとまたあの踊り場に行けば会えるだろうって前向きになれた。どこかでムキになってた部分もあったんだと思う。あの子とちゃんと話ができたら、私は高田先生みたいな教師になれるんだって。

 それでね、啓介くんと話し始めた頃に高田先生から訊かれたんだ。『最近踊り場によく行ってるみたいだけど、昔が懐かしくなったのかしら』って。隠してもしょうがないから、啓介くんとのことを打ち明けたんだ。一緒に私の気持ちもね。『昔の自分と向き合っているみたいで、放っておけないんです』って。

 何か言われるかなって思ったけど、高田先生は違ったんだ。『そう。これも何かの縁かもしれないわね。向き合うのも悪くないでしょう。多少の無茶ができるのは今だけよ』って背中を押してくれたの。だけどその時の私は認めてくれた嬉しさよりも、無茶って言葉に過剰反応しちゃって『……やっぱり、実習生が一人の生徒と深くかかわるのはマズいですか?』って弱気なこと言ってた。

 だけど高田先生はやっぱりすごい。自分が実習生ってことを忘れないで節度をわきまえることが守れるなら、好きにやってみるといいって道筋を示してくれた。その結果が今に繋がってるんだから、まさに恩人って感じだよね」


 これから守護神こと高田先生を見る目が変わりそうだ。彼女の話からすると、俺たちの事情を知っていることになる。

 変に尋問してくるようなことはあの人の性格上ないだろうが、それでもちょっと居心地の悪さみたいなのは感じてしまう。


「啓介くんの心を動かせて思ったの。私も人の心を動かすことができる。変わるきっかけになれたんだぞ、って。でも、ここまで変わるのはちょっと予想外だったな」

「……嫌でしたか?」

「ううん、むしろ嬉しい誤算だよ。私のことを本気で好きになってくれたんだって、すごくよくわかったし。なかなかいないよ、啓介くんみたいな人」

「そう、ですか……」


 なんだか変な雰囲気だ。

 言うことはすべて伝えたとばかりに、彼女はそれ以上何も口にしようとしない。ただ微笑みを湛えながら俺の顔に視線を送っているだけだ。


 やばい。体が更に熱を持ち始めている。


 いつしか日は低くなり、夕焼けを作り出す準備を始めている。

 周囲のざわめきは引き潮のようにフェードアウトしており、俺たちはベンチに取り残されていた。

 空想ではない現実に、二人だけの空間が生まれたような錯覚。

 初めて経験する雰囲気に、俺は完全に飲まれていた。


「啓介くん」

「は、はい!」

「自分の言葉には、ちゃんと責任取ろうね?」

「……はい」

「私も、そこはちゃんとするから。私をがっかりさせないでね?」

「頑張ります。だから、俺が追い付くまで待っててください」

「うん。だけど、あんまり待たせすぎたらどっか行っちゃうかもよ?」

「そしたら……そんなことにならないようにします」

「どんなふうに?」

「今度、お茶でも行きませんか」

「なかなかいいお誘いだね。でも却下」

「そうですか、忙しいですもんね……」

「今度なんかじゃなくて、これから今すぐって言われたら行ったんだけどなー」

「……今から、ちょっとお茶でもどうですか?」

「いいよ。ちょうどこの近くにお勧めの喫茶店があるんだ」


 やっぱり彼女にはかなわない。


 導かれるまま俺は喫茶店へと向かう。

 彼女は俺との距離を開け過ぎないように気をつけてくれた。本当なら、こういうのは男である俺の役目なんだろう。


 でも、今だけはこうして彼女に甘えるのも許してほしい。

 なんせ、一世一代の告白をしたせいで頭の中がどうにかなりそうなんだ。たとえるなら、夏バテ手前の感覚に似ている。体が熱を無尽蔵に溜めこみ、視界のピントがぼやけてフラフラしてくる。

 大丈夫か俺。


 まあ、喫茶店に行けば冷房もきいてるだろうし、ほんの少しだけの我慢だ。

 今はこうして引っ張られていても、近い将来に俺は必ず彼女へ追いつく。

 待ってろよ。俺の暫定恋人。

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