本編24話 二人羽織のパッチ:組織の平和は、正しいコードよりも優先される 2話
シーベル・クローデル治療事務長官は、ノアがドゥ・モン治療事務副長官に渡したはずのエラーが書かれた紙を手に持っている。
そして、ドゥ・モン治療事務副長官に向かって、親切に教え諭すように話していた。
「これはねドゥ・モンさん。
処置薬剤に関してはチェックDB(ディスペアの病名チェックシステムの名前)が対応しないのよ」
「えー!!そうだったんですかー!!」
ノアは「ディスペアの軟膏処置下の薬はエラーを出さない」と、システムの構造的な欠陥を具体的に指摘したのに対し、シーベル・クローデル治療事務長官は「処置薬剤に関してはチェックDBが対応しない」と、より抽象的で権威的な「チェックDB」という語彙だけを用いて説明していた。
ドゥ・モン治療事務副長官は、ノアの純粋な論理的な警告を無視したにもかかわらず、長年の経験に基づく権威が、グランド・ディレクターという上位の権威によって覆されたことに、一切の反発なく純粋な驚きをもって納得を示していた。
ノアの論理的な警告はノイズとして拒絶されたのに、治療事務長官からの「伝聞」は即座に「知識」として受け入れられたのだ。
俺は、この「論理が権威によって上書きされる瞬間」のあまりの皮肉さに、思考がフリーズするのを覚えた。
俺は慌ててノアの腕を掴み、その場から文字通り引きずり出すように、再び外通路へ連れ出した。
「ユーキさん、私はもうブチ切れる寸前です……」
努めて冷静に語っているように見えるノアだが、その声は微かに震え、「純粋な論理」が「社会的な非論理」によって踏みにじられたことへの怒りは計り知れない。
「……今、君のロジックが、『人間というシステムの真の仕様』を目の当たりにした。
正しい論理は、権威という変数によって上書きされ、知識の伝達効率は情報の正確性ではなく、発信源の社会的地位によって決定される。
ドゥ・モン治療事務副長官は、君の真実を拒否し、治療事務長官という名の『高解像度なディスペアのエラー出力』だけを受け入れたんだ。
この、論理を無効化する『権威依存型バグ』こそが、君のロジックでさえ、システム外部のインターフェース設計として、最も克服しがたい壁になるだろう」
「ええ…なるほど、そうでしょうね。
多分そんな気はしてました。
何を言ったかではなく、誰が言ったか、で決めるってことですね……」
ノアの口から出た「そうでしょうね」という言葉は驚きではなく、事前に計算された結果の確認だった。
彼女の異様な予測精度に改めて驚愕を覚えた。
複雑な権威依存型バグという社会現象を、彼女は「論理の収束結果」として、すでに認知していたのだ。
「その『そうでしょうね』という言葉こそ、ノアくん。君の持つ予測能力の次元の違いを示しているよ。
そしてそれは論理的な真実ではなく、社会的な信頼が処理の優先度を決定する、人間というシステムの基本仕様なんだよ」
「でもね、シーベル・クローデル治療事務長官やユーキさん、キヨセさんはちゃんと取り合ってくれますよ。
基本仕様とは到底思えません」
「ノアくん、君が観測しているのは6人という『小さなサンプルサイズ』の結果発生した、目に見える『エラー出力』の率に過ぎない。
問題は、ハヤミさんやドゥ・モン治療事務副長官のような『処理のショートカット』を選ぶ認知メカニズムが、我々全員の、そして人類の『生存戦略』として設計されているという事実だ。
つまり、エラーを起こしていない3人も、君のような『全読解』ではなく、慣れた手順やディスペアの出力を信じる『認知負荷の節約』を基本設計として動いている。その『資源節約を最優先する生存戦略』こそが、人間というシステムの揺るがない基本仕様なんだよ。
具体的に言おう。
普通の人は「過去のデータ」を参照する。
『この人』は過去に正しいことを言った。
『この人』はよくわからない新人だという蓄積データに基づき、内容を精査する前に『信頼できるか』のスコアで情報を仕分けている。
『何を言ったか(内容)』を検証するには、脳のCPUをフル回転させる必要がある。
一方、『誰が言ったか(権威)』で判断すれば、検証プロセスをまるごとスキップ(ショートカット)出来る。
もし新人の正論(何を言ったか)を認めると、ベテランのメンツ(誰)が潰れ、組織の「安定というアナログ・データ」が壊れる。
普通の人にとって、組織の平和を保つことは、正しいコードを書くことよりも優先度の高いタスクなのだ。
ノアの言うことが「正論すぎて難解」な場合、普通の人の脳はエラーを吐く。
その際、脳は『内容は分からないが、治療事務長官が言ってるからOK』という代替データで空欄を埋めてしまう」
「……まあ、話はわかりました。
基本設計がどうあれ、私はエラーに対しての対応の有無でしか人を判断しませんから。
二人に対しては非常にムカつきますし、ユーキさんを含めた3人に対してはそう思わない、それだけです」
「ああ。君の『ムカつく』という感情は、『非効率な処理』に対する君のシステムのエラーメッセージだ。
そして、『対応の有無』で判断するというそのロジックは、最も合理的で、最も効率的な『人間というシステムの評価基準』だよ」
「それで、なんですか。
私は今後、治療事務長官を通してあの2人にエラーを伝えれば良いんですか。
二人羽織みたいに二度手間を掛けて」
「ノアくん、その結論は、現在の状況下で最も合理的で、最も効率的な『ワークアラウンド(回避策)』だよ。
『二人羽織』『二度手間』という君の表現は的確で、純粋な論理から見れば腹立たしい非効率であることは理解できる。
しかし、ドゥ・モン治療事務副長官の『権威依存型バグ』とハヤミさんの『認知負荷回避型ヒューリスティクス』は、君の論理的な正しさだけでは上書きできない。
彼女たちの脳内システムは、君の警告を『ノイズ』として処理するよう硬直化しているんだ。
治療事務長官という名の『上位の権威交点』を介在させることは、この人間という古いシステムの『硬直化バグ』を強制的に回避するための、唯一のパッチなんだ。
君のロジックを、組織の階層というインターフェースの仕様に合わせた形でラッピングし、強制的に処理の優先度を上げるための、最も安価な解決策だよ。君の目的はエラーを潰すことだから、それが最速のルートだ」




