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英雄の息子は魔王の娘と旅に出る  〜魔王を討った父の伝説が嘘だったので、僕は彼女を守ることにした〜  作者: 星喰ゆう
第一章 英雄が消えた村

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第七話 明日を待てなくて

 夜になっても、家の中の空気は重かった。


 母さんはいつもより早く灯りを落とした。

 村の外では、ギルドの人たちが交代で見張りに立っているらしい。時々、低い話し声が聞こえる。誰かが歩くたびに、土を踏む音がした。


 俺はベッドに横になっていた。

 でも、眠れるわけがなかった。


 明日の朝になれば、またあの人たちが来る。


 ダリオは悪い人じゃない。

 昨日も村を守っていた。俺が無茶をしても、見捨てなかった。ノエルにも礼を言った。

 だから余計に嫌だった。

 ダリオは正しい。


 村の人たちも、たぶん正しい。

 母さんだって、間違っているわけじゃない。


 なのに。

 ノエルは怖がっていた。

 その時の顔が、頭から離れない。


「……くそ」

 小さく呟いて、寝返りを打つ。


 その時、廊下から足音がして、部屋の前で止まった。


 起き上がって扉を開けると、廊下にノエルが立っていた。

 寝間着のまま、両手を胸の前で握っている。


「ノエル?」

 ノエルは少しだけ顔を上げた。

「眠れない」

「……そっか」

「明日、私、連れていかれるの?」

 ノエルが聞いた。


 俺はすぐには答えられなかった。

 決まってない。そう言いたかった。


「行きたいのか?」


 俺が聞くと、ノエルは首を横に振った。


「行きたくない」

「ダリオさん、悪い人じゃないと思う」

「うん」

「たぶん、ひどいことはしない」

「うん」

「でも、行きたくないんだな」

 ノエルは小さくうなずいた。

「胸が、冷たくなる」

 ノエルはそう言って、自分の胸元に手を当てた。


 ノエルはいつも、そこに手を当てる。


 思い出しているのかもしれない。

 思い出せないまま、体だけが怖がっているのかもしれない。

 俺にはわからない。

 そもそもわかることなんて、なに一つない。


「アレンは?」

「え?」

「私は、行きたくない。アレンは、どうしたい?」

 聞かれて、言葉が詰まった。


 どうしたい。


 父さんを探したい。

 ノエルを渡したくない。

 母さんを心配させたくない。

 村の人たちに嫌われたくない。

 ダリオに間違ってると言われたくない。

 全部だ。全部を選びたい。


 でも、そんなこと無理だってわかってる。


 俺は拳を握った。


「俺は……」

 声がかすれた。

「俺は、ノエルをこのまま渡したくない」


 言った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。

 正しいかどうかはわからない。

 でも、それが本当の気持ちだった。


「でも、どうするの?」

 ノエルが聞いた。


 俺は窓の外を見た。


「逃げよう」


 口に出すと、自分でも驚くくらい簡単だった。


 ノエルが俺を見た。


「逃げる?」

「うん」

「どこへ?」

「わからない」

「わからないの?」

「わからない。でも、ここにいたら明日には連れていかれるだろ」


 ノエルは黙った。


「俺は父さんを探したい。父さんがどこに行ったのか知りたい。ノエルのことも、遺跡のことも、あの紙のことも、たぶん父さんが知っている気がする」

「クロヴィス……って人」

「そう。ノエルはその名前を言った。覚えてないって言ったけど、言ったんだ」

 ノエルは少しだけ目を伏せる。

「ごめんなさい」

「謝らなくていいって」

「でも、私は何もわからない」

「俺もわからない」


 そう言ってから、少し笑いそうになった。


 ひどい話だ。

 何もわかっていない二人で、村を出ようとしている。

 馬鹿みたいだ。


 でも、たぶん、俺は馬鹿なんだと思う。


「行こう。今」

 俺は立ち上がった。

「今?」

「明日じゃ遅い」

「アレンのお母さんは?」

 その言葉で、胸が少し痛んだ。


 母さん。


 当然、止めるだろう。

 父さんが消えて、俺まで消えたら、母さんはどうなる。


 考えたら足が止まりそうだった。


「……置き手紙だけ」

 言ってから、すぐに首を振った。

「いや、俺、字は汚いし、時間もないし」

「字が汚いの?」

「そこは気にしなくていい」

 ノエルは真面目な顔でうなずいた。

 少しだけ、いつものノエルに戻った気がした。


 俺は剣を取った。荷物はない。

 本当は食べ物とか、水とか、着替えとか、いろいろいるんだろう。

 でも、そんなものを用意していたら、母さんに気づかれる。ギルドにも見つかるかもしれない。

 剣だけ。それで行くしかない。


「歩けるか?」

「歩ける」

「じゃあ行こう」

「うん」

 ノエルがはっきりと返事をした。


 俺たちは足音を殺して部屋を出た。

 台所へ向かう。

 裏口から出れば、家の裏を回って村の外れへ抜けられる。ギルドの見張りは広場と北の道に多いはずだ。南の畑道から回れば、たぶん見つかりにくい。

 そんなことを考えながら台所へ入った。


 そこで、足が止まった。


 母さんがいた。

 灯りもつけずに、椅子に座っている。


 窓から入る月明かりだけが、母さんの横顔を照らしていた。


「……なんでいるの?」


 俺は間抜けな声を出した。

 母さんは、俺を見るでもなく言った。


「あんたが何を考えているかなんて、お見通しよ」


 言い返せなかった。

 ノエルが俺の後ろで小さく身を縮める。


 母さんはゆっくり立ち上がった。


「行くのね?」


 俺は唇を噛んだ。

 ここで嘘をついても意味がない。


「うん」

「ノエルちゃんを連れて?」

「うん」

「お父さんも探すの?」

「……うん」


 母さんはしばらく黙っていた。

 怒られると思った。止められると思った。

 でも、母さんはため息をついただけだった。


「本当に、あの人に似てきたわね」

「父さん?」

「いいえ。悪いところだけ」

「ひどくない?」

「母さんからしたら、ひどいのは、夜中に女の子を連れて家を抜け出そうとしている息子の方よ」


 それはそうだ。

 母さんは台所の机の上に置いていた小さな布袋を手に取った。


「本当は、もう少しちゃんと持たせてあげたかったけど」

「母さん」

「パンが少しと、干した肉。あと布。水筒はひとつだけ。重いものは入れていないわ」

「……止めないの?」


 母さんはその時はっきりと俺を見た。

 その目は、泣くのを終わらせた後みたいな目だった。


「止めたら、やめるの?」


 俺は黙った。

 母さんは小さく笑った。


「でしょうね」

「ごめん」


 母さんは布袋を俺に手渡した。

 受け取ると、思ったより軽かった。

 でも、母さんが持たせてくれたものだと思うと、やけに重く感じた。


 母さんは次に、ノエルの方を見た。

 ノエルはびくりと肩を揺らす。


「ノエルちゃん」

「……はい」

「アレンは無茶をするから、止められる時は止めてね」


 ノエルは少し考えてから、うなずいた。


「できるか、わからない」

「それでもいいわ」

「でも、やってみる」

「ありがとう。いつでも帰ってきなさい」


 母さんはそう言って、少しだけ笑った。

 その顔を見たら、胸の奥が苦しくなった。


「母さん」

「なに?」

「父さんを見つけてくるよ」


 言った瞬間、母さんの表情がわずかに動いた。

 ほんの少しだった。


「……お父さんのことは大丈夫」

「え?」

「そのうち帰ってくるわ」


 変な言い方だった。

 父さんが消えて、もう二日目だ。

 母さんだって心配していたはずだ。


「母さん、それどういう――」


「アレン」


 母さんが俺の名前を呼んだ。

 静かな声だった。


「気をつけて」


 それ以上、聞くなという声でもあった。

 俺は布袋を肩にかけ、剣の柄に触れた。


「行ってくる」

「ええ」

 母さんはうなずいた。

「行ってらっしゃい」


 その言葉で、足が止まりそうになった。

 家を出たら、たぶんしばらく戻れない。

 俺は振り返らなかった。

 振り返ったら、やめたくなる気がした。


 裏口から外へ出る。


 夜の空気は冷たくて、星は綺麗に見えた。


 ノエルがすぐ後ろについてくる。


 遠くで、ギルドの見張りが話している声がする。広場の方には灯りがいくつか見えた。

 俺たちは家の裏を回り、村の外に出た。


「アレン」

 ノエルが小さく呼んだ。


「なに?」

「寒い」

「……そうだよね、ごめん。俺の上着貸すよ」

 ノエルに上着を羽織らせた。

「ちょっと大きい。でもあったかい」

「よかった」


 俺は小さく笑った。

 こんな時に笑うなんて、自分でも変だと思う。

 でも、笑わないと怖かった。


 俺たちは夜の畑道を進んだ。


 剣と、母さんがくれた小さな袋。

 それ以外、ほとんど何も持っていない。


 父さんの行き先もわからない。

 ノエルが何者なのかもわからない。

 わからないことばかりだ。


 けれど、村の灯りが少しずつ遠ざかっていくのを見ながら、俺は思った。

 母さんはいつでも帰ってこいって言ってたけど、もう戻れないかも。


 ノエルは俺の隣を歩いている。


 俺は剣の柄に触れた。


「行こう」

「うん」


 ノエルが小さくうなずいた。


 どこに向かうのかは、まだ決まっていない。

 

 それでも、俺たちは歩き出した。

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