第六話 保護という名の檻
翌日の広場には、昨日の夜に倒されたグレイハウンドの跡がまだ残っていた。
死骸はギルドの人たちが森の外れへ運んだらしいけど、地面の黒い染みまでは消えない。
村の人たちは、みんな小さな声で話していた。
「昨日の火、見たか」
「遺跡の子だろ」
「助かったのは確かだけどよ……」
「子供たちに近づけて大丈夫なのか」
不安。
その言葉が、何度も胸の奥に引っかかった。
ノエルは朝からほとんど喋らなかった。
台所の椅子に座って、両手を膝の上に置いている。母さんが出したスープにも、あまり手をつけていない。
「食べないのか?」
俺が聞くと、ノエルは少しだけ顔を上げた。
「食べる」
「全然減ってないけど」
ノエルはまた自分の手を見た。
「まだ怖い?」
聞いてから、少し後悔した。
怖くないわけがない。
「昨日のあれ、私がやった」
「うん」
「でも、どうしてできたのかわからない」
「……うん」
「また、勝手に出たらどうしたらいい?」
俺は答えられなかった。
俺だって、自分の魔力が暴れるのは怖い。力が制御できなくて、誰かに当たったら。昨日は、たまたま上手くいった。でも、次も、上手くいくとは限らない。
だから、ノエルの怖さが少しだけわかる気がした。
「その時は、俺が止めるよ」
ノエルも俺を見た。
「できるの?」
「……わからない」
「そっか」
「でも、止める。絶対」
ノエルはしばらく俺を見ていた。
少しだけ目の奥がやわらいだ気がした。
その時、家の戸が叩かれた。
母さんが顔を上げる。
俺も椅子から立ち上がった。嫌な予感がしたから。
「俺が出るよ」
玄関へ向かって戸を開けると、そこにダリオが立っていた。
その後ろには、ギルドの冒険者が二人いた。
「朝早くに悪いな」
ダリオはそう言った。
声は昨日より少し低い。
俺は戸の前に立ったまま、動かなかった。
「ノエルのことですか」
「そうだ。まずは話を聞く」
「まずは?」
俺が聞き返すと、ダリオは少しだけ眉を寄せた。
「中で話せるか」
母さんが後ろから来た。
「どうぞ」
「母さん」
「アレン。立ち話で済むことじゃないわ」
母さんの声は静かだった。
ダリオたちは居間に入った。
ノエルは椅子に座ったまま、体を小さくしていた。ダリオを見ると、ほんの少しだけ肩を震わせる。
俺はノエルの隣に立った。
「まず確認する」
ダリオは椅子に座らず、立ったまま言った。
「ノエル。昨日の魔法は、君が使ったんだな」
ノエルはすぐには答えなかった。
俺の袖を小さく掴む。
俺はできるだけ普通の声で言った。
「大丈夫。答えられるところだけでいい」
ノエルは小さくうなずいた。
「……たぶん」
「たぶん?」
「勝手に、出た」
「見たところ火と風の魔法を同時に使っていた。そんな器用なことできる奴は見たことない」
「……わからない」
「誰かに教わった覚えは?」
「ない」
「なぜ、遺跡にいた?」
「わからない」
「どこから来たかは?」
「わからない」
ダリオは黙った。責めているわけじゃない。
でも、質問されるたびに、ノエルの指が俺の袖を強く掴むのがわかった。
「君の魔法で村は助かったのは事実だ。それは間違いない。礼を言う」
ノエルは少しだけ目を上げた。
「礼」
「ああ。ありがとう」
ダリオはちゃんと頭を下げた。
それを見て、俺は少しだけ驚いた。
でも、次の言葉で、すぐに体が固まった。
「その上で、君をこの村に置いておくことはできない」
「え?」
俺は思わず声を出した。
ノエルの手が止まる。
母さんも、何も言わなかった。
「どういう意味ですか」
「保護する」
ダリオは短く言った。
「エルド支部に連れていく。そこなら君の魔法を解析できる者がいる。遺跡から見つかった以上、ギルドとしても調査が必要だ」
「調査……」
「拘束ではない」
「でも連れていくんですよね」
「そうだ」
「それって、要はノエルを研究対象として連れて行くってことじゃないですか」
俺の声が少し強くなった。
ダリオは怒らなかった。
ただ、まっすぐ俺を見る。
「本人の意思は確認する。だが、この村に置くかどうかを本人だけで決めさせるわけにはいかない」
「ノエルは嫌がってます」
ノエルは何も言っていない。
でも、わかる。
椅子の上で、肩が小さく震えている。
「昨日の夜、村の人たちはその子の魔法を見た」
ダリオは言った。
「助かったと思っている者もいる。怖いと思っている者もいる。両方だ」
「怖いって……ノエルは助けたんですよ」
「そうだ。ただ本人はどうやって魔法を使ったかもわかっていない。そんな状態でここにいれば、村人に危害が及ぶかもしれない」
「もし、なんかあったら、俺が止めます」
「止める? どうやって」
「……それは」
「ギルドに来れば、安全に保護ができる」
俺は、なにも言い返せなかった。
止めるとは言ったものの具体的に、なにをすればいいのかまったくわからないからだ。
「その子が危険なのか、危険ではないのか。それもわからない。だからギルドで預かる」
ノエルの指が、俺の袖から離れた。
俺は振り返る。
ノエルは自分の手を見ていた。
「私が、危険?」
「ノエル」
ノエルの声は小さかった。でも、聞こえた。
ダリオも、少しだけ表情を変えた。
「可能性の話だ」
「可能性」
「そうだ。君が悪いと言っているわけじゃない」
母さんがゆっくり息を吐いた。
俺は胸の奥が熱くなった。
「ノエルは怖がってる。なのに連れていくんですか」
「怖がっているから、余計に専門の者が必要だ」
まただ。
たぶん、ダリオは間違っていない。
間違っていないから、余計に腹が立つ。
その時、外がざわついた。
玄関の向こうに、人の気配がある。
村の人たちだ。
話を聞きつけたのか、家の前に何人か集まっている。
「ダリオさんの言う通りだ」
俺は玄関の方を見た。
「おっちゃん……」
「アレン、悪く思うなよ。その子が悪いって言ってるんじゃない。昨日は助かった。本当に助かった。でもよ、俺らにはわからねえんだ」
「何が」
「あの魔法が、次にどっちを向くのか」
言葉が刺さった。
ノエルが下を向く。
「昨日は魔物だった。次もそうとは限らねえだろ」
「ノエルはそんなことしない!」
「それを、お前はどうやって証明するんだ」
俺は口を開いた。
でも、言葉が出なかった。証明なんてできるわけがない。
ノエル本人すら、わかっていないのだから。
でも。だからって、そんな目で見るのか。
ノエルを、魔物みたいに。
「アレン」
母さんが俺の名前を呼んだ。
振り返ると、母さんは苦しそうな顔をしていた。
「少し、落ち着きなさい」
「母さんも、そう思ってるの?」
「……」
「ノエルを追い出した方がいいって思ってるの?」
母さんはすぐには答えなかった。
その沈黙が答えみたいで、胸が冷えた。
「嘘だろ」
「アレン、違うの」
「何が違うんだよ!」
声が震えた。
「母さんまで、ノエルを怖がるのかよ」
「怖がっているわけじゃない」
「じゃあ何だよ!」
部屋が静かになった。
外のざわめきまで、遠くなった気がした。
母さんは俺を見ていた。
「……私は」
母さんは小さく言った。
「あなたに、危ないことをしてほしくないだけ」
「それは、俺の話だろ」
俺はノエルの前に立った。
「ノエルの話をしてるんだよ」
ノエルが、俺の服の裾を掴んだ。
ダリオはしばらく俺たちを見ていた。
そして、少しだけ息を吐いた。
「わかった。また明日来る。よく考えてくれ。どっちが、この子と村のためになるかを」
ダリオはそう言って、戸口へ向かった。
外にいた村人たちは、彼が出てくると少し道を空けた。
ダリオたちが去っても、家の中の空気は重かった。
外の人たちも少しずつ離れていく。
ノエルは、まだ俺の服を掴んでいた。
「アレン」
「うん」
「私、どこかへ行くの?」
「……まだ決まってない」
「……行きたくない。怖い」
その声は、昨日の夜よりずっと弱かった。
俺は何も言えなかった。
母さんも何も言わなかった。
台所の窓から入る昼の光が、床に細く伸びている。
昨日の夜、ノエルは俺を助けた。
村も助けた。
なのに、今日にはもう、村にいられなくなりかけている。
そんなのおかしい。そう思った。
でも、何がおかしいのか、どう言えばいいのか、うまくわからなかった。
俺は拳を握った。
爪が手のひらに食い込む。
ノエルは俺の袖を掴んだまま、離さなかった。




