第六十節 本当の敵は、誰か
「京の都。
室町幕府。
そして本願寺教団。
わしは……
あんな奴らと手を組むなど虫酸が走るのだ!」
「すべては勝利のためです。
ときに虫酸が走るほど不快な相手と手を組む必要もあるでしょう」
頑なに拒絶する武田勝頼に対して、高坂昌信は再考を促す。
「そんなことは、よく分かっている。
ただし!
『目の前』の勝利よりも大切なことはあると思うぞ」
「それは何です?」
「『本当の敵』が、誰かを間違わないことだ」
「……」
「見当違いの相手と戦っても意味はない。
むしろ。
戦争の黒幕という、本当の敵を利するだけ」
「……」
「京の都も。
室町幕府も。
本願寺教団も。
今は亡き我が妻が申した通りの輩ではないか。
『言葉巧みに欲望や不安を煽って他人を操り、争いの種を撒いて戦争に発展させる者たち。
そして他人を唆して危険な戦場へと送り込む一方で、己は安全な場所で戦争の利益を貪っている者たち。
彼らこそが本当の敵なのでは?』
とな」
「……」
「平和な世の達成を志す織田信長と……
京の都に、室町幕府に、本願寺教団のどちらが本当の敵かは火を見るより明らかであろう」
「ならば。
勝頼様は……
その信長が、我らとの国境に接している国衆を橋渡し役にして持ち掛けてきた和平の話が真であるとお考えで?」
「……」
「我らを欺くための『嘘』であることくらい、火を見るより明らかなのでは?」
勝頼の側にいる武藤喜兵衛[後の真田昌幸]も、昌信に続く。
「それがしも。
昌信様の仰せの通りと思います。
信長は京の都に、室町幕府に、朝倉・浅井連合などの己の敵を滅ぼす『時間』を稼ぎたいだけかと」
「昌信。
そして喜兵衛よ。
わしも、嘘の話だと思ってはいる。
そうだとしても!
やはり……
本当の敵を利することだけはしたくないのだ」
「無礼な物言いをお許しください。
勝頼様。
その信念を通すためならば、武田家を滅びてしまっても構わないと?」
「わしは……
嘘の話であった場合の『策』を、既に練っておいた」
「策!?」
「ああ。
我らの力だけで織田信長と『和平』を結ぶ策を、な」
「信長との和平を諦めていないと!?」
「わしは……
あの日。
信長の『愛娘』を妻に迎えた日に、誓ったことがある」
「何を誓ったのです?」
「『長く続いた戦国乱世を終わらせ、平和な世を達成したい』
信長殿と共に……
この志を全うすると」
「……」
「安心してくれ。
わしは、黙って滅ぼされる気はない。
おぬしの今回の功績で、我が策はついに完成したのだから」
「それがしがしたことは、無駄ではないと?」
「ああ。
完成した我が策を、2人に話しておこう」
「はっ」
◇
「奴ら、餌に食い付いたか」
1573年3月30日。
幕府軍が京都所司代を攻撃するのを見た信長は、こう呟く。
その3日後。
信長は京の都の洛外[京都の郊外]である嵯峨周辺を焼き討ちにした。
「嵯峨だけ『限定』して焼き討ちにするとは……
さすがの信長も、京の都を焼き討ちにする度胸はないらしい」
こう嘲笑っていた傲慢な上京の人々であったが、その裏では着々と上京の包囲が進んでいたことに気付かなかったようだ。
そして。
運命の4月3日夜を迎える。
上京を完全包囲した5万人の軍勢に対して、信長は命令を下す。
「上京の屑どもは……
高利貸しに留まらず、武器弾薬の売買を盛んに行って天下の静謐を邪魔し、戦場での略奪行為にまで手を染めて奴隷売買で大金を稼いでいる。
奴らは己の商才で成功したと盛んに囀っているようだが……
笑止千万!
相続で得た富を元手に弱者から搾取して肥え太っているだけの雑魚ではないか。
さあ……
皆の者!
醜く、薄汚い『売国奴』どもからすべてを奪い取ってしまえっ!」
宣教師のルイス・フロイスは、上京を襲った未曾有の惨劇についてこう語っている。
「恐るべき戦慄的な情景が展開された。
上京のすべての神社、寺、家屋もろとも焼失し、それらを焼き尽くす轟々たる炎は最後の審判の日さながらであった。
加えて織田軍の兵士たちによる凄まじい略奪が始まった。
こんな光景を見るのは、あまりにも嘆かわしい……」
と。
◇
少しの間だけ……
ときを、2年後へと進める。
1575年2月。
信長お気に入りの側近・万見仙千代は信長の元を離れ、任地へと赴いていた。
摂津国・有岡城[現在の兵庫県伊丹市]の城主である荒木村重と、その嫡男の村次に嫁いだ凛の任務を補佐するためである。
その任務とは勿論、国を『一つに』することだ。
任地へと赴く前。
仙千代は信長から、こう言われていた。
「村重だけでは心許ない。
だからこそ、凛の働きが重要になろう」
と。
仙千代は当初……
信長が夫の村次を差し置いて、その妻の働きを重要視することが不思議でならなかった。
それを機敏に察した信長は説明を補足する。
「女子だからと甘く見ない方がいいぞ。
あの光秀が、類まれな智謀の持ち主と認めた侍女が付いているからのう。
確か阿国という名前だったはず」
「その侍女が、すべてを仕切っていると?」
「『表向き』はな」
「表向き?」
「巧みに己の能力を隠して、周囲を欺いているのだろう。
なかなかに賢い」
「警戒されないため、でしょうか?」
「うむ。
凛には計り知れない才能があるに違いない」
「なぜ、そう思われるのです?」
「凛はな……
わしの愛娘と同じ『目』をしていたのじゃ」
「あの御方と同じ目を?」
「会えば分かる」
実際のところ。
凛と会った仙千代は圧倒されていた。
鋭い目に釘付けとなったのもあるが、単刀直入に切り出して来た話に驚いたのもある。
「2年前に起こった京の都の焼き討ち。
仙千代殿は……
その一部始終をご覧になっているのではありませんか?」
「……」
「教えて頂きたいのです」
「京の都の焼き討ちに限って……
なぜです?」
「倒すべき敵の順番を『間違えて』いるから」
「えっ!?
順番?」
「はい。
数百年に亘って日ノ本を裏から支配してきた武器商人の力を甘く見てはいけません。
上京を焼き討ちにした『程度』で根絶やしにできる相手ではないでしょう?」
「そ、それは……」
「しかも。
兵法において、複数の敵と同時に戦うのは愚かなことだとされています。
まだ大名や国衆をすべて従えていないのに……
武器商人を敵に回して大丈夫なのですか?」
「……」
「そのことを一番分かっている信長様が、どうして倒すべき順番を間違えたのか知りたいのです」
「さすがにございます。
それがしの知っていることを、すべてお話ししましょう……」
◇
仙千代の話を聞き終えた凛は、横に控えている阿国の方を向く。
「『織田信長の愛娘』と呼ばれ、武田勝頼殿に嫁がれた御方が……
上京の武器商人の企てによって暗殺されたことが、全ての始まりなのでしょうか?」
「信長様は……
愛娘の死を企てた者と、それを止められなかった者すべてを、この世から一掃したいのでは?」
「『長く続いた戦国乱世を終わらせ、平和な世を達成したい』
この志を全うすることよりも、己の復讐を優先するなんて!」
「……」
「しかも。
本当の敵まで間違えるなんて!
何と『愚か』なことを」
主のことを愚かだと言い切る凛に、仙千代は驚きのあまり目を見開いたが……
不思議なことに爽やかさすら感じていた。
信長も、この仙千代も、裏表なく率直に言う人間が好きなのかもしれない。
「申されたいことは分かりますが、外では口に出されない方が良いと存じます。
凛殿」
「あなたは、わたくしの言葉を悪用するような御方には見えないので口に出したのです。
仙千代殿」
「確かに。
信長様が申された通り……
凛殿は、あの御方に似ているかもしれない……」
仙千代は信長の愛娘と会ったことがない。
信長の近くで仕え始めたときには、既に武田家へ嫁いでいたからだ。
ただ信長が時折話す内容を聞く限りにおいては、信長の愛娘と凛は『同種』の人間のような気がしていた。
「何か仰いましたか?」
「い、いえ……
ただの独り言にございます」
凛は仙千代の目を見て語り始めた。
「わたくしは、ここに嫁いだ理由に気付いた気がします。
すべては武田家を弱体化させて己の復讐を果たすためなのでしょう?」
「……」
「堺のある和泉国[現在の大阪府南部]、安濃津のある伊勢国[現在の三重県]に続いて、この摂津国を手に入れれば……
南蛮貿易の拠点を全て押さえ、鉄砲の弾丸と火薬を『独占』して圧倒的な武力を持つことができます」
「……」
「次いで武田家が弾丸と火薬を手に入れる機会を奪って弱体化させ、最後は甲斐国[現在の山梨県]へと攻め込むつもりなのですね?」
「……」
「仙千代殿。
わたくしは……
信長様の復讐のために、ただ利用されているだけの存在なのでしょうか?」
第肆章 武器商人の都、京都炎上 終わり




