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大罪人の娘・前編  作者: いずもカリーシ
第肆章 武器商人の都、京都炎上の章
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第五十七節 足利義昭と室町幕府、織田信長が撒いた餌に食い付く

1573年3月30日。

足利(あしかが)将軍家の家紋・丸に二(ふた)つ引きの旗印を掲げた数百人の幕府軍が、京都所司代(きょうとしょしだい)の屋敷を蟻(あり)の這(は)い出る隙(すき)もないほど厳重に包囲する。


一方。

肝心の京都所司代・村井貞勝(むらいさだかつ)は、どんな手を使ったのか幕府軍の包囲を潜(くぐ)り抜けていた。

満を持して幕府軍が屋敷の中へ突入した際には当の貞勝本人も、その家族もおらず……

もぬけの殻であった。


賢そうな面構(つらがま)えをした兵士が何かを悟ったかのように口を開く。

「これは一体、どういうことだ?

もしや。

我ら幕府軍は……

京都所司代を討伐するよう『仕向けられた』のではないか?」


「仕向けられた、だと?

一体、誰に?」


「織田信長本人に決まっている」

「えっ!?

なぜ、そんなことを?」


「信(・)長(・)は(・)、(・)最(・)初(・)か(・)ら(・)我(・)ら(・)幕(・)府(・)と(・)和(・)平(・)を(・)結(・)ぶ(・)気(・)な(・)ど(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)に(・)違(・)い(・)な(・)い(・)」

「馬鹿な!

『信長は、朝倉軍と武田軍に再び攻められることが怖くてたまらない。

よほど追い詰められているのか、信長は幕府との和平を必死に懇願している』

これらの話は……」


「幕府を調子に乗らせるために流した、偽りの噂[デマ]に決まっているではないか!

我らは……

信長の撒(ま)いた『餌』にまんまと食い付いてしまったのだ!」


「何ということじゃ!

我らは愚かにも、『自ら』の手で信長との和平の道を閉ざし……

200年以上も長きに亘(わた)って続いた幕府に、『自ら』の手で終止符を打ってしまったと……」


「こんな『皮肉』があろうか!」


 ◇


さて。


幕府の家臣たちの中で、京都所司代(きょうとしょしだい)を討伐することに猛反対した武将が……

3人いた。

幕府の政所執事(まんどころしつじ)を務める名門・伊勢家の若き当主である伊勢貞興(いせさだおき)、その友人である御牧兼顕(みまきかねあき)と諏訪盛直(すわもりなお)である。


ちなみに。

この3人は、後に精強な明智光秀軍団の中核を担う武将となるのであるが……

それは少し先の話だ。


最初に吠(ほ)えたのが、3人の中で最も若い伊勢貞興(いせさだおき)であった。

「京都所司代を討伐しただと!?

自らの手で信長との和平の道を閉ざすとは、頭が悪いにも程があるぞ!

まるで罠を張って待ち構えている蜘蛛のように東の高台で不気味な静けさを保っている……

あ(・)の(・)軍(・)勢(・)の(・)ど(・)こ(・)が(・)、(・)い(・)つ(・)無(・)防(・)備(・)な(・)背(・)中(・)を(・)襲(・)わ(・)れ(・)る(・)か(・)不(・)安(・)で(・)夜(・)も(・)眠(・)れ(・)な(・)い(・)軍(・)勢(・)に(・)見(・)え(・)る(・)の(・)か(・)!」


「……」

「上様(うえさま)[将軍である足利義昭(あしかがよしあき)のこと]の側近衆どもの目は、ことごとく節穴(ふしあな)なのか?」


指摘された義昭の側近が、すかさず切り返す。

「上様の許可は得てやったことじゃ。

余計な口出しは無用にして頂きたい」


「許可は得ているだと?

上京(かみぎょう)の商人どもと癒着(ゆちゃく)し、側近の立場を利用して都合良く上様を『操(あやつ)って』いる分際(ぶんざい)で何を!」


隣にいる御牧兼顕(みまきかねあき)が友人の援護を始めた。

「そもそも。

おぬしら側近衆に幕府軍を指揮する権限などないはず。

政所執事(まんどころしつじ)である伊勢貞興(いせさだおき)殿に何の相談もなしに軍勢を繰り出すとは……

これ如何(いか)に?」


「左様(さよう)なことを申されても困りますな。

我らは上様の許しを得て軍勢を繰り出したまでのこと。

我らを非難するということは、これすなわち上様を非難するに等しい振る舞いでござろう」


思わず激高(げきこう)した伊勢貞興(いせさだおき)が刀を抜き放つ。

「この茶坊主(ちゃぼうず)[権力者にこびへつらう者をののしる言葉]が何を抜かすかっ!

今ここで斬り捨ててやるわ!」


それを見た諏訪盛直(すわもりなお)が慌てて静止する。

「待たれよ!

来奴(こやつ)らを斬ったところで、何の解決にもなりませんぞ!」


「止めるな、盛直(もりなお)殿!

来奴らこそが……

来奴らこそが幕府を腐らせた元凶なのだ!

主(あるじ)を助ける立場にありながら、己(おのれ)の目先の利益ばかりを優先して上京の商人どもと癒着(ゆちゃく)し、この幕府を上京の商人どもの傀儡(くぐつ)に成り果てさせた張本人ではないか!」


「貞興(さだおき)殿。

刀を納められよ。

どのみち……

悪(・)者(・)に(・)仕(・)立(・)て(・)上(・)げ(・)ら(・)れ(・)た(・)幕(・)府(・)は(・)、(・)こ(・)れ(・)で(・)も(・)う(・)終(・)わ(・)り(・)な(・)の(・)だ(・)か(・)ら(・)」


「悪者に『仕立て上げられた』だと?

兼顕(かねあき)殿。

一体、どういう意味で?」


「貞興殿のお見立ての通り……

信長の軍勢は、東の高台で罠を張って待ち構えていることに間違いはないと思う。

そして。

その『狙い』は何か?」


「狙い?」

「上(・)京(・)の(・)人(・)々(・)に(・)加(・)え(・)、(・)幕(・)府(・)も(・)悪(・)者(・)に(・)す(・)る(・)物(・)語(・)を(・)仕(・)立(・)て(・)上(・)げ(・)る(・)こ(・)と(・)」


「何っ!?」

「『これほどまでに我らの提案に耳を貸さないのならば、京の都に火を放つことと致します』

こう信長の使者が申したことは、破れかぶれなどではなく……

最初からそのつもりであったのだろう」


「最初から京の都を焼き討ちにするつもりであったと申されるのか?」

「恐らく。

信長が京の都へ大軍を差し向けた『真(まこと)の目的』は、京の都、特に上京(かみぎょう)を焼き討ちにすることで間違いはあるまい」


「それはつまり。

我ら幕府に対して何度も和平を懇願していたのは……

追い詰められていたからではなく、追い詰められた『ふり』をしていただけ?」


「実際のところ。

朝倉義景も、武田勝頼も、信長の無防備な背後を襲う気配すら見せていないではござらぬか。

信長が何らかの方法で足止めをしているのだろう」


「確かに。

そうかもしれない」


「ところで貞興(さだおき)殿。

日ノ本(ひのもと)において『武器商人の都』と呼ばれる場所が2つあるが……

お分かりか?」


「この京の都、特に上京(かみぎょう)と……

そして堺(さかい)?」


「うむ。

上京を焼き討ちにすれば、残るは信長が直轄支配している堺『だけ』となる」


「信(・)長(・)の(・)敵(・)へ(・)の(・)武(・)器(・)弾(・)薬(・)の(・)流(・)れ(・)は(・)止(・)ま(・)り(・)、(・)信(・)長(・)は(・)圧(・)倒(・)的(・)な(・)優(・)位(・)に(・)立(・)て(・)る(・)と(・)い(・)う(・)こ(・)と(・)か(・)。

それにしても。

幕府は何と愚かな真似をしたものよ。

信長の使者を何度も追い返し、信長が任命した京都所司代(きょうとしょしだい)までも討伐するとは……

幕府の『せい』で上京が焼き討ちにされたという筋書きを、幕府が自らの手で完成させたようなものではないか!」


「幕府は……

同胞を見捨てた愚か者として、歴史に不名誉な『名前』を残すことになるだろうな」


「くそがっ!」


 ◇


3月30日の夜。


織田信長の側近・堀久太郎(ほりきゅうたろう)と万見仙千代(まんみせんちよ)が、2人の武器商人と会っている。

一人は上京(かみぎょう)で商(あきな)いを営む吉田屋(よしだや)、もう一人は下京(しもぎょう)で商いを営む茶屋(ちゃや)と言う。


上京の人々が貧しい下京の人々を差別し、下京の人々が上京の人々へ敵愾心(てきがいしん)を抱いている中でも……

2人の友情には何の影響も与えなかったようだ。

同じ志(こころざし)を持つ友であったからだが、その志とは何だろうか?


当時。

日本において武器商人の都と呼ばれる場所が2つあった。

京の都、特に上京(かみぎょう)[現在の京都市二条通より北側]と、そして堺(さかい)[現在の大阪府堺市]である。


「崩壊した『秩序』を立て直すためには……

悪い事柄の根を絶(た)ち、腐り切った世をあるべき姿に戻さねばならない」

この志(こころざし)を貫くべく、250年以上も前に奥州(おうしゅう)[現在の東北地方]軍を率いて電光石火(でんこうせっか)の早さで京の都を目指した戦争の天才・北畠顕家(きたばたけあきいえ)。


行く手を遮る幕府の大軍を何度も撃破して京の都へあと一歩まで迫った戦争の天才に強い憧れを抱き、その志(こころざし)を継がんとした、『秩序』を重視する傾向が顕著(けんちょ)な織田信長にとって……

誰かの役に立つことよりも己(おのれ)の目先の利益のために土倉(どそう)という高利貸しに励み、事もあろうに将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の殺害にまで関与した京の都の武器商人と手を組むなど、考えるだけでも虫酸(むしず)が走る行為であった。


したがって。

信(・)長(・)が(・)堺(・)の(・)武(・)器(・)商(・)人(・)と(・)手(・)を(・)組(・)ん(・)だ(・)の(・)は(・)、(・)至(・)極(・)当(・)然(・)の(・)流(・)れ(・)だ(・)と(・)言(・)え(・)る(・)。


一方。

数百年の伝統を誇る京の都の武器商人にとって……

新興勢力に過ぎない堺の武器商人と手を組む信長は、目障(めざわ)り以外の何物でもない。

信長の敵たちを支援して盛んに武器弾薬を流したのも、これまた至極当然の流れであった。


しかし。

京の都の武器商人の中でも吉田屋と茶屋は違っていたようだ。

2人は信長の志(こころざし)に共感し、その側近衆を通じて密かに信長と『内通』していたのである。


「吉田屋殿。

そして、茶屋殿。

そなたたちのおかげで……

幕府軍はまんまと我らが撒(ま)いた餌に食い付いて来た。

これで。

信長様の『無念』を晴らすことができる」


「久太郎(きゅうたろう)殿。

上京を代表する武器商人として、信長様の『愛娘』を暗殺する企(くわだ)てを阻止できなかったことは痛恨の極み……」


「吉田屋殿。

信長様は、そなたのことを悪く思ってはおられない。

上京の武器商人の意思決定は、上京を代表する5人の武器商人の多数決で決まる習わしである以上……

そなた一人が反対しても止めることはできなかった」


「そこまでご理解頂けるとは」

「やはり。

腐(・)り(・)果(・)て(・)た(・)都(・)は(・)一(・)度(・)、(・)灰(・)に(・)す(・)る(・)し(・)か(・)な(・)い(・)の(・)だ(・)ろ(・)う(・)か(・)?」


「御意(ぎょい)」

「無関係な人を巻き込むことは本意ではないが……

愛娘の暗殺を企(くわだ)てた奴らを、悉(ことごと)く根絶(ねだ)やしにすることと致そう」

【次節予告 第五十八節 織田信長の背後を突く軍勢、集結す】

武田四天王の筆頭・高坂昌信に呼び出された武田勝頼は……

後に真田昌幸と名前を変える武藤喜兵衛を連れて木曽福島城へと向かいます。

そこには何と、武田菱の旗印を掲げた大軍が集結していました。

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