生後5ヶ月
さーて、今日も爆走しますか。
目標は珍しく開けっ放しになっているドアだ。
この部屋の外を見る絶好の機会がやってきた。
苦節2ヶ月くらい。今は生後5ヶ月前後だろう。
時間の流れと供にどんどん身長が伸びて太さが増していく体。
ぽこっりと出たお腹のおかげでおすわりの安定感は抜群だ。
寝返りをマスターし、這いずりを覚えて少しずつ移動距離を伸ばしている。
最近は目がハッキリと見えるようになったのも相まって練習に身が入り、覚束ないながらもハイハイができるまでになった。
ハイハイに疲れたら、おすわりして休み、そしてまたハイハイで移動する。
この合わせ技によって家族の寝室であるこの部屋の全貌は明らかになった。
長方形で広さは12畳弱。床は何も塗られていない切り出しの綺麗な板張り。
片方の長辺に小さな格子戸の窓が2つ。
もう片方の長い辺の端にドアが有り、ドアの向かいに大人二人が座れそうなベンチとクッションが4つ、横に小さなテーブルがある。
ドアに近い短い辺の壁際には観音開きの箪笥と本棚のような収納が並んでいる。
部屋の奥側にはすのこの上に布団を置いたようなダブルサイズのベッド。その隣には、俺の寝床が添えられている。
俺の寝床は薄い座布団にしか見えないが蕎麦殻のようなものが詰めてあり、布を重ねて敷いてあるので寝心地は良い。
今日もママンはベンチに座って裁縫をしている。
俺は寝床でおすわりをして部屋を観察している途中で、開けっ放しになっているドアに気付いたところだ。
先程おっぱいを飲んだし元気は満タン。
気合を入れてクラウチングスタートもといハイハイの姿勢になる。
よーい、どん!
顔を進行方向へ向け、座布団から這い出た。
素晴らしいスタートをきった。
床に手を付いてしっかり支え膝をすり寄せる。前方に出した逆側の手を床につき体を支えながら重心を前へ進ませ膝を寄せる。なんて完璧なハイハイだろうか。
と気を抜いた途端、足がグニャと潰れて腹が床についてしまった。調子に乗るとすぐこれだ。でも大丈夫、問題無い。手と胴体だけでもズリズリ進むことができる。
「フィーゴ、※△$♭■♯△?」
ママンが俺の名前を呼び、何か言ってるが、言葉がわからないので笑顔を向けて応えておく。俺は爆走してるんだ。そんな簡単には止まれないぜ。
おすわりして休憩を挟みつつ歩みを進める。
ドアはもうすぐだ。
気合いを入れ這いずりからハイハイになりスピードアップする。
何が見えるのか楽しみでしょうがない。
ドアの近くに来てハイハイをやめておすわりになり、一息ついたあと手を前について覗き込むように外を見る。
パパンが前掛けを付けて食事の支度をしていた。
パパンを見つけた!
見つけただけなのに妙に嬉しい。
「あー ぱーぱっ ぱーぱっ」
俺の声に気付いたパパンは振り向いて目を細めてニヤリと笑う。
くぅ~渋い。なんてかっこいいんだ我がパパンは!
オレンジがかった茶色の髪を後頭部で縛り、長さが足りず縛りきれなかったであろう一房の髪が動きに合わせ揺れている。
目と眉が近く切れ長で鋭い印象を与えるものの、明るめの翠眼が眼光を和らげて刺のない男らしさを醸し出す。
日に焼けて見える肌は健康的な小麦色だ。そのせいか歯の白さが際立って、ニヤリと笑うとキラリと輝く。
体の線は細いが、胸板と肩と腿の肉付きが引き締まった筋肉質であることを証明している。歳は肌の感じから20歳くらいだと思う。
パパンのようなイケメンが日本に居たら世の女性と芸能事務所がほっとかないだろうな。質素な服と前掛けなのに、まるでオシャレなカフェの店員さんのようだ。
「ぱーぱっ」
と、もう一度声を掛け、拍手しておく。
ブラボー。
料理するパパンが見れてよかったと満足したところで、隣の部屋を確認していく。
寝室の隣の部屋はダイニングキッチンだ。
俺の正面は台所になっていて、薪が燃える竈の上には湯気が立っている金属製の鍋が見え、パパンが野菜を切っている辺りの壁は食器棚になっていて、陶器や木製の食器類が見える。その足元には壺や桶も幾つか並んで置いてある。
部屋の左右に採光窓の付いた引き戸があり、外の光が差し込む。
どちらかが玄関でもう一方は裏口だろう。
左側の壁には棚があり、斧や木箱が置いてある。
床は踏み固めた茶色い土か、もしかしたら漆喰みたいなものかもしれない。
部屋の中央には木製の広いダイニングテーブルと椅子が4脚。
建ててからそれほど経過していないのだろう。
木造の木肌はどこも綺麗だ。
トイレは見当たらないから外かな。
生活音で大体の予想はついていたけど、思ってたより簡素だ。
パパンが鍋からスープのようなものを食器によそってテーブルに並べていく。
手際が良い、主婦顔負けだ。
俺もこんなお嫁さんが欲しい。
ママンのようなお嫁さんは遠慮しておきたい。
産まれてからわかっていたが、家事のほとんどをパパンがこなしている。
ママンはほとんど寝室に居て、家族の服を縫っているか俺と遊んでいる。
食事の用意や洗濯をしている素振りは見当たらない。
病気で外に出れないのか?と心配したが、普段の様子を見ていても病気のようには思えない。
恐らくママンは怠け者なのだ。
そしてパパンは働き者なのだ。それはもう不憫に思うくらい。
パパンはちゃんと仕事にも行ってるようだし、いつ休んでいるんだろう。
「フィーゴ、■♯△$、ママ■♯※♭■♯△?」
パパンが「フィーゴ、食事ができたからママを呼んでくれるかい?」とでも言うように俺に語りかけた。
状況と表情からなんとなく察した俺は、元気よく「あいー」と言い、ママンの方へハイハイする。
ママンに向かって「まーまっ、ぱーぱっ、んまっ、まんま」と言い、口に手を持ってきてパクパク食べるジェスチャーで伝えると、ママンは針仕事をしていた手を止め、裁縫道具を棚に片付け、俺の頭を撫でてから部屋を出て行った。
ドアを閉められて一人ぼっちになるがいつもの事だ。
パパンとママンの食事が終わったら、離乳食を持ってきて俺に食べさせるといういつもの流れだろう。
ハイハイと50音の発声練習をしながら今後について考える。
魔法の事が気になるけど、魔力というのを感じたこともないし現状ではどうしようもないので先送りでいいだろう。
まずは、言葉を覚える事と動き回れる体を作る事に尽力しよう。
言葉は両親と会話して言葉をマネすれば自然と覚えるだろう。
名前を入れる位置やイントネーションから察するに、文法は日本語に近いと思う。単語を覚えたらその後は早いはずだ。
早く家の外を見てみたいので、そろそろつかまり立ちで歩く練習を始めてみるのもいいかもしれない。
ハイハイ、腹筋、背筋、つかまり立ちのスクワットをトレーニングメニューにしよう。
そうと決まれば早速行動開始だ。
発音がイマイチな、か行、さ行、た行を掛け声代わりに、ベンチにつかまり立ちしてスクワットだ。




