第96話 待ち伏せ ~激突~
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石壁に囲まれた薄暗い通路を、生徒たちは息を切らしながら駆けていた。
モンスターの気配はない。
だが、背後から迫る教師の足音が、何よりも恐ろしかった。
「このまま走り続ければ・・・!」
なんとかなる!
誰かがそう叫んだ。
希望のような言葉だった。
だがその瞬間、空気が裂けるような音が響いた。
ヒュッ——。
風を切る鋭い音。
そして、女子生徒の一人が突然のけぞるようにして後方へ吹き飛んだ。
彼女の胸には、鋼鉄の矢が深々と突き刺さっていた。
「っ・・・!」
誰もが言葉を失った。
彼女の瞳は驚愕に見開かれ、口元は何かを言いかけたまま動かない。
赤いリボンが血に染まり、静かに揺れていた。
矢は、前方から飛んできた。
「待ち伏せ?!」
誰かが叫んだ。
だが、そんなはずはない。
教師たちは後方にいたはずだ。
なのに、なぜ——。
「そうか・・・誘導されていたんだ」
男子生徒が低くつぶやいた。
最短ルートを避けるように仕向けられ、気づかぬうちに遠回りさせられていた。
その間に、追手の一部が回り込んでいたのだ。
進行方向には、暗がりの中に黒い影が立っていた。
その手には、次の矢がすでに番えられている。
「くっ・・・!」
生徒たちは再び走り出す。
だが、もはや逃げ道は一つしかなかった。
罠の中で、彼らは次の選択を迫られていた——。
道を逸れたことで、矢を射た待ち伏せとの衝突は回避された。
だが、安心する間もなく、最後尾にいた生徒が声を上げた。
「止まって!」
その言葉に、前を走っていた者が振り返る。
「止まってどうする! 追いつかれるぞ!」
声は抑えていたが、怒鳴るような勢いだった。
だが、最後尾の生徒は冷静に言葉を続ける。
「このままだと、すぐにまた待ち伏せがある。なら、逆にこっちが待ち伏せしたらどう?」
一瞬、沈黙が走る。
それは、追手を片付けようという提案だった。
「それは・・・」
誰かがつぶやいた。
逡巡の気配が、通路に広がる。
逃げるべきか、戦うべきか——誰もが迷っていた。
だが。
「やろう」
短く、しかし強く響いたその声に、皆が振り向く。
言ったのは、弓で命を絶たれた女子生徒と親しかった者だった。
彼の瞳には、怒りと悲しみ、そして覚悟が宿っていた。
あの一瞬の死が、彼らに決断を迫った。
逃げるだけでは、守れないものがある。
ならば——今度は、こちらが仕掛ける番だ。
広めの空間に、生徒たちは身を潜めていた。
そして、そこへ追手が入り込んだ——。
「ライト!」
その瞬間、周囲から一斉に光が放たれる。
それは単純な『発光魔法』。攻撃力はない。
だが、詠唱も魔力の溜めも不要。
使用直前まで、何の予備動作もない。
だからこそ、予測不能。
そして、予測していない以上——
視覚を奪う効果は、確実に発揮される。
追手たちは、突然の閃光に目を覆い、混乱する。
その隙に、生徒たちは動き出す。
罠は、今まさに発動したのだ。
「チッ、子供だましをっ!」
目くらましを受けたと認識した教師たちは、即座に散った。
集まったところに魔法でも撃たれれば終わる——探索者の常識だ。
だからこそ、光の中で動きを分散させた。
だが——。
「ば、バカ・・・な・・・」
視界を回復させた教師の一人が、目の前の光景に凍りついた。
倒れた仲間たち。
そして、自分に向かって剣を振り下ろす生徒の姿。
その剣が、迷いなく振り下ろされる。
そして、それで——終わりだった。
「目くらましなどの感覚失陥系の罠・攻撃を受けると、人は防御を固めたくなる。そこを狙われたら終わる・・・あなたの教えでしたよね?」
剣に付いた血を、少年は静かに振り払う。
その瞳には、怒りも悲しみも、もう浮かんでいなかった。
「ちゃんと覚えてましたよ?」
沈んだ声が、石壁に響く。
それは、かつての師への答え。
そして、今の自分の覚悟の証だった。
「私たちは、ヘイトで動くモンスターじゃないしね」
大盾を持った女生徒が付け加えた。
モンスター相手なら、分散は正しい判断だ。
少なくとも『全滅』はしない。
だけど・・・生徒たちは『ものを考える人間』だった。
教師たちが光に反応して散った瞬間——それこそが、生徒たちの狙い。
彼らは、教師たちが分散することを見越して、あらかじめ自分たちの位置を調整していた。 通路の陰、柱の裏、段差の影——それぞれが、剣を抜いて静かに待っていた。
そして、光が収まったその瞬間。
彼らは、自ら生徒たちの前に飛び出した後だったのだ。
待ち構えていた剣が、迷いなく振るわれる。
それは、逃げる者ではなく、狩る者の動きだった。
現役で日々探索に明け暮れている生徒たち。
そして、一線を退き、教鞭をふるうことが日常となっていた教師たち。
命のやり取りが当たり前となったこの状況で—— その差が、じわじわと表に出始めていた。
教師たちは理論に頼り、動きが単調になっていた。
だが、生徒たちは柔軟に対応できている。
仲間の死が、彼らの迷いを塗りつぶしていた。
恐怖も、疑念も、悲しみも——すべてが、今この瞬間の行動に変わっていた。
彼らは、もう『教えられる側』ではなかった。
戦場に立つ者として、覚悟を持って剣を振るっていた。
退避と追跡行の脱落者=生徒3 教師9
その時—— 倒れていた教師の指が、かすかに動いた。
まだ、死んではいない者がいた。
いや、死んだからこその反応。
『カチリ』
はめられていた指輪が、乾いた音を立てる。
それは、持ち主の死亡時に周囲の死体ごとアンデッドに変える呪いの指輪。
アンデッドがテーマのダンジョンで得られる、比較的手に入りやすいアイテムだった。
効果時間は、アンデッドとなった者の残存魔力次第。
死んだ仲間が敵のヘイトを集めているうちに、生存者は体勢を立て直す——そんな、戦術的な『死の利用』を可能にするアイテム。
そして、今——それが発動した。
倒れていた教師たちの身体が、ゆっくりと動き出す。
瞳は虚ろに、だが確実に生徒たちを捉えていた。
「っ・・・アンデッド化・・・!」
誰かが叫ぶ。
だが、すでに遅い。
死者たちは、生者に牙を剥き始めていた。
生徒たちはすぐに動いた。
元教師たちの死体を、動けないような形に変えていく。
関節を砕き、魔力の流れを断ち、再起不能にする。
それは、冷静で的確な処理だった。
だが——。
「ちょ、それは・・・!」
少年の声が、かすれた悲鳴に変わる。
胸に矢の刺さった少女が、彼の首に細い腕を巻き付けていた。
その瞳は、もう彼女のものではなかった。
でも、そのリボンだけが、かつての彼女を思い出させた。
血に染まったリボンが揺れ、彼女の腕が、ゆっくりと力を込める。
「反則だ・・・!」
少年の言葉は、搔き消えた。
骨が軋み、空気が震える。
そして——音もなく、彼の身体が崩れ落ちた。
「なっ!?」
驚愕と自失の数秒。
少年の死に、生徒たちは言葉を失った。
その一瞬——隙が生まれた。
アンデッドは、死なない。
確かに、教師たちは動けないよう形を変えられていた。
関節を砕き、魔力の流れを断ち、再起不能にしたはずだった。
だが——その『処置』は、まだ終わっていなかった。
砕かれたはずの腕が、地を這う。
断ち切ったはずの魔力が、死体の奥底で微かに脈打つ。
「う、動いてる・・・!」
誰かが叫ぶ。
だが、もう遅い。
処置の途中だった死体が、這い寄るように生徒の足を掴んだ。
そして、再び地獄が始まった。
崩れ落ちていた少年の身体が、地を這った。
胸に矢の生えた少女が、獣のような動きで走り出す。
教師の腕に足を掴まれた少女の首に、矢の少女が歯を立てる。
その口元は、もはや人のものではなかった。
地を這った少年は、大盾の少女の足に歯を突き立てた。
「こ、のぉぉぉっ!」
大盾の少女のスカートから伸びた足が、高く振り上げられる。
少年の身体が、蹴り上げられて宙を舞った。
「たぁっ!」
彼女は盾を構え、力任せに振るう。
その一撃が、少女たちをも弾き飛ばす。
アンデッドとなった仲間たちが、壁に叩きつけられ、床に転がる。
だが、彼らはまだ動いていた。
「す、スロウ!」
魔法少女が魔法を唱え、杖を振る。
発動した魔法は弱弱しかった。
震える手で杖を掲げ、彼女はもう一度叫んだ——『スロウ!』。
淡い光が広がり、一塊になってもがいていたアンデッドたちの動きが、ゆっくりと鈍っていく。
魔力の尽きた『胸に矢の生えた少女』が、ピタリと止まった。
その停止が、他の二体の動きをも阻害する。
絡み合っていた死体たちが、蠢きつつも『行動』には移れないまま時が流れた。
そして——
すべてが沈黙した。
通路に残るのは、魔法の残光と、重く沈んだ空気。
誰もが息を潜め、ただその静けさを見つめていた。
「と、止まった・・・?」
「もう、動かない・・・?」
生徒たちは口々に不安を漏らす。
誰もが、目の前の静止した死体を見つめていた。
その視線は、まるで——夏の道端に落ちているセミの亡骸を見るようなものだった。
動かない。
でも、もし突然鳴き出したら——そう思うと、誰も近づけなかった。
沈黙は、安堵ではなく、恐怖を孕んでいた。
そして、その場に立ち尽くす彼らの耳に、何も聞こえないことが、何よりも不気味だった。
「近づかなければいいだけよ」
盾の少女が、静かに言った。
その声には、揺るぎない確信があった。
確認なんて必要ない。
生き返らないことは、もうわかっている。
その言葉に、生徒たちは黙って頷いた。
誰もが、目の前の死体に視線を向けながらも、一歩も近づこうとはしなかった。
それは、恐怖ではなく——敬意にも似た距離だった。
彼らは、もう『敵』ではなかった。
ただ、かつて共にいた者として、静かに距離を置いた。
そして、彼らは静かにその場を離れた。
背を向けることが、今の彼らにできる唯一の選択だった。
退避と追跡行の脱落者=生徒5 教師9
盾の少女の足に付いた歯形が・・・黒い。
それは、ただの傷ではなかった。
皮膚の下に、じわりと広がる黒い染み。
魔力の流れが、そこだけ異常に乱れている。
「・・・っ」
彼女は何も言わず、足を引きずるように歩き出す。
誰も気づいていない。
いや、気づいていても——口に出せなかった。
沈黙の中、彼らは次の通路へと進んでいく。
だがその背後で、黒い染みが、ゆっくりと脈打っていた。
その黒い染みは、まるで『何か』が彼女の中に根を張ったように見えた。
誰かが、彼女の足元に一瞬だけ目を留めた——だが、何も言わなかった。
言えなかった――。
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