第94話 ちっぽけな『勇者』 ~人間として死ぬ勇気~
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かつて、『勇者』に憧れた少年がいた。
ダンジョンを制覇し、世界に栄光と繁栄をもたらす。
そんな夢を、誰よりも真剣に信じていた。
だが、夢は破れた。
現実は冷たく、誰も彼の剣を必要としなかった。
選べた道は、故郷で教師になること——それだけだった。
最初は、伝えようとしていた。
自分の経験を、若者たちに。
でも、いつしかそれは『惰性』になった
授業は、記憶のなぞり。
生徒は、過去の影。
そして自分は、ただの『語り部』になった。
「なにやってんだ? 俺は?」
今や、生徒を殺そうと走る野犬のようなものだった。
教師などと名乗ることもできない。
かつての『勇者』は、今や『加害者』だった。
徐々に、走る速度が落ちていく。
足が重いわけじゃない。
ただ、心がついてこない。
気づけば、同僚たちの背中を追う形になっていた。
かつては肩を並べていたはずの仲間たち。
今は、誰よりも速く、生徒を殺しに向かっている。
その姿に、心が冷えていく。
魔法を構える手。
剣を振りかざす腕。
怒鳴り声。
命を奪うための動き。
「・・・本気で、殺す気なのか?」
誰かが叫んだわけじゃない。
ただ、自分の胸の奥で、声にならない問いが響いた。
かつて、夢を語り合った。
かつて、守るべきものを信じていた。
それが今、目の前で崩れていく。
走る速度が落ちるのは、足のせいじゃない。
心が、止まりかけていた。
目の前で、生徒が崩れ落ちた。
血が、床に広がる。
その赤が、やけに鮮やかに見えた。
——ああ、死んだんだ。
その事実が、胸の奥に冷たく沈んでいく。
けれど同時に、何かが軋んだ。
長い間、動かなくなっていた心の歯車が、その血の熱で、ゆっくりと回り始めた。
血の匂いが、記憶を呼び起こす。
かつての戦場。
仲間の背中。
誰かを守るために剣を振るった、あの頃の自分。
「・・・俺は、『なに』になりたかったんだ?」
『勇者』という肩書に憧れていたわけじゃない。
名声が欲しかったわけでもない。
ただ—— 誰かの盾になりたかった
誰かの涙を、止めたかった。
それだけだったはずなのに。
いつの間にか、剣は錆びつき、心は濁り、気づけば、守るべき相手に刃を向けていた。
「・・・俺は、間違ってた」
その言葉が、喉の奥で震えた。
誰にも届かなくてもいい。
せめて、自分には届いてほしかった。
時が止まったような感覚だった。
けれど、時は待ってくれない。
変化は、いつも突然だ。
生徒たちは、追撃をかわしながら地上を目指していた。
そのうちの一人が、教師の放った魔法に足を取られ、転んだ。
とっさに、盾を持った女が前に出る。
守ろうとしていた。
その姿は、迷いなく、まっすぐだった。
——見た光景だった。
昔、俺はあの盾の向こうにいた。
守られたことがある。
盾持ちの腕に噛みついたモンスターを、俺が斬り捨てた。
それが、ダンジョンの『普通』だった。
『助け合い』。
道徳の教科書に書かれていた、お題目。
でも、今目の前で起きたそれは、ただの理屈じゃなかった。
命を守るために、誰かが前に出る。
それを見て、誰かが剣を振るう。
それだけで、世界は少しだけ『正しく』なる。
「・・・忘れてたな」
俺は、何のために剣を持ったのか。
何のために教師になったのか。
何のために、ここに立っているのか。
その答えが、盾の向こうにあった。
掲げられた盾は、ただの金属だった。
特性もない。
魔法攻撃には、紙程度の防御力しかない。
それを知っていて、同僚が魔法を構えた。
照準が、立ち止まった生徒たちに合わされていく。
仲間を気遣って、足を止めた。
それは、教師としてなら褒める場面だった。
でも、元探索者としてなら——叱る場面だった。
「・・・対応策がない。動けない。詰んでる」
魔法の詠唱が進む。
範囲攻撃。
逃げ場はない。
盾は、ただの『気持ち』でしかない。
俺は、見ていた。
魔法を撃とうとしているのは、誰だ?
その詠唱を止めようとしないのは、誰だ?
傍観しているのは、誰だ?
教師か?
探索者か?
それとも——ただの加害者か?
俺は、どれだ?
教師であるはずがない。
生徒を守る資格なんて、とうに捨てた。
探索者とも言えない。
あの頃のように、冷静に状況を切り抜ける力もない。
加害者になんて、なりたくない。
けれど、見ているだけなら、それと何が違う?
俺は—— 何にもなれない。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
叫び声が、喉から飛び出した。
意味なんてなかった。
ただ、何かを振り払いたかった。
魔法を止めるなら、同僚を斬ればいい。
生徒を殺すなら、このまま少し待てばいい。
どちらも選べなかった。
ちっぽけな俺には、どちらもできなかった。
だから、俺は——走った。
何も考えずに。
ただ、足が勝手に動いた。
叫びながら、魔法の光に向かって。
誰かを守るためでも、誰かを止めるためでもない。
ただ、『何者でもない自分』を、ここで終わらせたくなかった。
光と熱が、俺の全身を包み込んだ。
焼けるような痛み。
皮膚が軋み、骨が震える。
それでも、俺は立っていた。
結局、俺は何にもなれなかった。
教師にも、探索者にも、勇者にも。
ただの人間。
それだけだった。
そう思うと、寂しかった。
でも、同時に——誇らしかった。
少なくとも、人としての道を踏み外さなかった。
そう言える気がした。
このまま終われば、楽になれる。
わかりきった逃避。
でも、俺は叫んだ。
「逃げろーっ!」
声が、迷宮に響いた。
全身の力を集めて、踏みとどまる。
守る勇気はなかった。
戦う勇気もなかった。
見て見ぬふりをする程度の意気地すらなかった。
だけど——せめて、『終わらない勇気』だけは持ち続けよう。
魔法への抵抗力を上げる。
それは、苦痛を長引かせるだけの行為。
終わりが、数秒遅れるだけ。
それだけ。
でも、その数秒を——年少者たちに残す。
それが、『大人』としての、最後の意地。
◇
パチパチパチ。
カルマの手が拍手している。
迷宮が、ほんの一瞬だけ静かになった。
まるで、舞台が観客の呼吸を待っているように
「とてもじゃないけど『脚本』には書けない終わり方だ。だけと・・・なのに、か? 熱かったね。リアルな人間って感じがしたよ」
『演出』を超えた人間の激情を見た。
「演目じゃないな。・・・これは、『生き様』だった。」
「走ることで何かを残す鬼・・・か」
それはまるで・・・。
「守ることも攻めることもできない・・・なら、走り続けないか?」
カルマの独白は、魔力となって『システム』に吸い込まれていった。
◇
その魂は、まだ迷宮を走っている。
誰かの背中を守るため?
唐突な襲撃者を倒すため?
わからない。
そんなことは、その時に感じればいい。
ともかく、『彼』は走り続けている。
『何か』から逃れるために。
そして、『何か』に追いつくために。
『韋駄天』。
武器を持たず、装備もつけず。
走り続ける。
その背には、何の紋章もない。
風だけが、彼の名を知っていた
人生の最後を『走る』ことにかけた男の、それが姿だった。
◇
「かっこ、つけやがって」
逃げる途中、誰かが振り返った。
その瞳に、走り続ける背中が焼きついていた。
退避と追跡行の脱落者=生徒2 教師5
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




