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『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』  作者: 葉月奈津・男
マイルド(全年齢)版

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第74話 霧の向こうで ~沙羅の想い~

2/2

 


 手のひらが、まだ熱い。

 斬った瞬間の感触が、皮膚の奥に残っている。

 それはモンスターの肉ではない。

 人間の、仲間の、柔らかい命だった。


「しかたなかった」

 そう言い聞かせるたび、腕が重くなる。

 言葉が軽ければ軽いほど、罪は濃くなる。


 薫の声が、冷たい水のように胸に沁み込んでくる。

「事故だったのよね」

 その響きに、沙羅は自分の理性が崩れていくのを感じた。


 『仲間を斬った罪』——それは罪ではなかった。

 罪は、『自分を欺こうとした』ことにあった。



 見なかった。

 聞かなかった。

 気づこうとしなかった。

 それが、彼を見捨てた理由。


「私だけじゃない」

 そう思った瞬間、心が軋んだ。

『私だけは違う』と思いたかった自分が、そこにいた。


 『彼を見殺しにした罪』、それは『自己肯定と自己保身という罪』だ。



 薫の顔が近づく。

 白かったはずの上着がーー赤い。

 長い舌が、沙羅の輪郭をなぞるたびに、何かが奪われていく。


 罪が軽くなる。

 意志が希薄になる。

 命が細くなる。


 悲鳴はない。

 流血もない。

 ただ、静かに沈んでいく。


「私は、まだ人間?」


 問いは、声にならなかった。

 意識が遠のく。

 水の底に引き込まれるように。


 最後に見た薫の微笑みは、優しかった。

 それが、いっそう苦しかった。


 ◇縫緋まといの思想◇


「戦うって、斬ることじゃないのよ」

 まといは、誰にも聞かれない言葉を胸の奥で呟く。


「戦うって、見つめること。見ないふりをしていたものを、見つめ直すこと。それが、私の戦い」


 人間は、垢を溜める。

 それは、罪でもあるし、忘却でもある。


 誰かを見捨てた記憶。

 誰かを踏みつけた沈黙。

 誰かを守らなかった選択。


「その垢は、誰にも見えない。でも、私には見える。だから、私はそれを食べる。それが、私の戦い」

 まといの舌は、武器ではない。


 それは、祈りの器官。

 それは、罪の記憶をなぞるための触媒。


「人間との戦いは、罪との対話。あなたの罪を、私が味わう。あなたの痛みを、私が受け取る。あなたの沈黙を、私が語る」


 それは、赦しではない。

 それは、罰でもない。

 それは、記憶の継承。


「私が食べることで、あなたは忘れられない。あなたが沈むことで、私は完成する。それが、私たちの戦い」


 だから、彼女は斬らない。

 だから、彼女は叫ばない。

 だから、彼女は微笑む。


「人間との戦いは、静かに始まり、静かに終わる。それが、私の勝利」



「人間は、垢を溜める。見ないふりをして、擦り寄って、擦り切れて、それでも落とさない。だから、私が食べてあげるの」


 その言葉は、責めではなかった。

 それは、理解だった。

 かつて『薫』だった彼女は、誰よりも『見ないふり』をしていた。

 だからこそ、今、『見つめる者』になった。


 沙羅の罪は、まといの舌に絡みつく。

 それは、苦い。

 それは、熱い。

 それは、懐かしい。


「あなたの罪は、私の記憶に似ている」


 彼女は、味わう。

 沙羅の罪を、意志を、命を。

 それは、奪うためじゃない。

 それは、残すためにーー。


「あなたが消えたら、誰が私を覚えているの?」

 だから、彼女は優しく微笑む。

 その微笑は、かつて薫様が浮かべたものに似ている。

 けれど、そこにあるのは、支配ではなく、赦し。


「ゆっくり眠るといいわ。起きたら・・・仲良くできるかしらね?」


 それは、呪いではない。

 それは、祈りだった。

 沙羅が『沈む者』になることで、彼女は『食む者』として完成する。


 水音が耳の奥で鳴る。

 それは、まといの心臓の音。

 それは、制服の縫い目の鼓動。

 それは、信者たちの喝采の残響。


 彼女は、戦っていない。

 彼女は、儀式をしている。

 それが、縫緋まといという妖怪の『戦い方』。


 ◇『薫』から『沙羅』へ◇


 かつて、彼女は『火』だった。

 燃え上がるような言葉。

 焦がすような視線。

 触れれば痛い、でも離れれば寒い。

 それが、沙羅だった。


 薫は、反発していた。

 水と火。

 冷静と激情。

 理解し合えないと、決めつけていた。


 でも今、まといとして彼女を見つめると—— その『熱』は、ただの罪じゃなかった。

 それは、誰かを守ろうとした意志。

 それは、誰かを見捨てたくなかった痛み。


「反発する理由なんて、なかったのよね」


 彼女の舌が沙羅の輪郭をなぞる。

 それは、罰ではない。

 それは、理解の所作。


「あなたは、ただ熱かっただけ。私は、ただ冷たかっただけ。それだけのことだったのに」


 今、沙羅は沈んでいく。

 罪を食まれ、意志を薄められ、命を細くされながら。

 でも、まといは思う。


「起きたら、仲良くできるかもしれない」


 それは、希望ではない。

 それは、赦しでもない。

 それは、ただの可能性。


「あなたが沈んで、私が食んで、それでもまだ、あなたの熱が残っていたら——そのときは、少しだけ近づいてみてもいいかしら」


 彼女は微笑む。

 その微笑は、薫だった頃のものに似ている。

 でも、そこにあるのは、反発ではなく、受容。


「火と水は混ざらない。でも、霧にはなれる。だから、もしあなたが目を覚ましたら——  そのときは、霧の中で、少しだけ話してみたい」

 霧は、境界を曖昧にする。

 敵と味方、罪と赦し、人と妖怪——そのすべてを、少しだけ近づける。


 人の時はできなかったこと。

 人の時にこそ、試すべきだったこと。

 ——でも、私は見なかった。

 ——見ようとしなかった。


 人でなくなった今、それができる。

 皮肉だとは思うが、できないままよりはずっといい。


『妖怪』になって、『人間』がわかる。

 哀しいけれど、喜ばしい。



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