第182話 ちっぽけな『勇者』 ~人間として死ぬ勇気~ 前編
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かつて、『勇者』に憧れた少年がいた。
ダンジョンを制覇し、世界に栄光と繁栄をもたらす。
そんな夢を、誰よりも真剣に信じていた。
だが、夢は破れた。
現実は冷たく、誰も彼の剣を必要としなかった。
選べた道は、故郷で教師になること——それだけだった。
最初は、伝えようとしていた。
自分の経験を、若者たちに。
でも、いつしかそれは『惰性』になった
授業は、記憶のなぞり。
生徒は、過去の影。
そして自分は、ただの『語り部』になった。
「なにやってんだ? 俺は?」
今や、生徒を殺そうと走る野犬のようなものだった。
教師などと名乗ることもできない。
かつての『勇者』は、今や『加害者』だった。
徐々に、走る速度が落ちていく。
足が重いわけじゃない。
ただ、心がついてこない。
気づけば、同僚たちの背中を追う形になっていた。
かつては肩を並べていたはずの仲間たち。
今は、誰よりも速く、生徒を殺しに向かっている。
その姿に、心が冷えていく。
魔法を構える手。
剣を振りかざす腕。
怒鳴り声。
命を奪うための動き。
「・・・本気で、殺す気なのか?」
誰かが叫んだわけじゃない。
ただ、自分の胸の奥で、声にならない問いが響いた。
かつて、夢を語り合った。
かつて、守るべきものを信じていた。
それが今、目の前で崩れていく。
走る速度が落ちるのは、足のせいじゃない。
心が、止まりかけていた。
目の前で、生徒が崩れ落ちた。
血が、床に広がる。
その赤が、やけに鮮やかに見えた。
——ああ、死んだんだ。
その事実が、胸の奥に冷たく沈んでいく。
けれど同時に、何かが軋んだ。
長い間、動かなくなっていた心の歯車が、その血の熱で、ゆっくりと回り始めた。
血の匂いが、記憶を呼び起こす。
かつての戦場。
仲間の背中。
誰かを守るために剣を振るった、あの頃の自分。
「・・・俺は、『なに』になりたかったんだ?」
『勇者』という肩書に憧れていたわけじゃない。
名声が欲しかったわけでもない。
ただ—— 誰かの盾になりたかった
誰かの涙を、止めたかった。
それだけだったはずなのに。
いつの間にか、剣は錆びつき、心は濁り、気づけば、守るべき相手に刃を向けていた。
「・・・俺は、間違ってた」
その言葉が、喉の奥で震えた。
誰にも届かなくてもいい。
せめて、自分には届いてほしかった。
時が止まったような感覚だった。
けれど、時は待ってくれない。
変化は、いつも突然だ。
生徒たちは、追撃をかわしながら地上を目指していた。
そのうちの一人が、教師の放った魔法に足を取られ、転んだ。
とっさに、盾を持った女が前に出る。
守ろうとしていた。
その姿は、迷いなく、まっすぐだった。
——見た光景だった。
昔、俺はあの盾の向こうにいた。
守られたことがある。
盾持ちの腕に噛みついたモンスターを、俺が斬り捨てた。
それが、ダンジョンの『普通』だった。
『助け合い』。
道徳の教科書に書かれていた、お題目。
でも、今目の前で起きたそれは、ただの理屈じゃなかった。
命を守るために、誰かが前に出る。
それを見て、誰かが剣を振るう。
それだけで、世界は少しだけ『正しく』なる。
「・・・忘れてたな」
俺は、何のために剣を持ったのか。
何のために教師になったのか。
何のために、ここに立っているのか。
その答えが、盾の向こうにあった。
掲げられた盾は、ただの金属だった。
特性もない。
魔法攻撃には、紙程度の防御力しかない。
それを知っていて、同僚が魔法を構えた。
照準が、立ち止まった生徒たちに合わされていく。
仲間を気遣って、足を止めた。
それは、教師としてなら褒める場面だった。
でも、元探索者としてなら——叱る場面だった。
「・・・対応策がない。動けない。詰んでる」
魔法の詠唱が進む。
範囲攻撃。
逃げ場はない。
盾は、ただの『気持ち』でしかない。
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