第180話 舞台演目② 『執着の檻』~見られたかった背中~ 後編
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「……あなたは、誰?」
女教師が、目を細める。
話せば話すほど、『真梨華』とは違う。
見た目は似ている。
けれど——
考え方が、価値観が、『本質』が、まるで違っている。
「私は『黒羽まゆり』。妖怪『女郎蜘蛛』にして、このダンジョンの『サブマスター』。カルマ様の手足となるもの」
その声は、冷たく、甘く、毒を含んだ絹糸のようだった。
『真梨華』の目が、表情のない蜘蛛の目に変わる。
手首から、銀の糸が垂れ、左右の肩には、子犬ほどの大きさのタランチュラが一匹ずつ、 静かに、しかし確かに、息づいていた。
女教師は、言葉を失った。
目の前にいるのは、『彼女』ではない。
彼の記憶を喰らい、彼の孤独を愛し、彼の痛みを蜜のように味わい尽くした、執着の化身。
「あなた……まさか、彼の記憶を……」
「ええ。彼の夢も、涙も、あなたが見なかったもの、全部。私は、知っているわ」
まゆりの声は、優しく、残酷だった。
「あなたが『導く』と言って、彼の手を引かなかったあの瞬間も。彼が一人で泣いていた夜も。全部、私の糸の中にあるの」
迷宮の空気が、冷たくなる。
木造校舎の廊下が、軋む。
掲示板の紙が、破れ落ちる。
この空間そのものが、彼の記憶。
そして、まゆりの巣。
「あなたは、彼を見ていなかった。でも私は、見ていた。だから、私は『選ばれた』のよ」
女教師の喉が、かすかに鳴る。
それは、恐怖か、後悔か。
あるいは、まだ認めたくないという抵抗か。
まゆりは、一歩、前に出た。
蜘蛛の足音が、床を這う。
「さあ、先生。あなたの『執着』を見せてちょうだい。それとも、もう終わりにする?」
迷宮が、静かに息を潜める。
次の糸が、張られようとしていた。
◇
カルマは、画面の前で小さく笑った。
「さて、どちらの『執着』が相手を絡めとるか、見せてもらおうか」
◇
まゆりの瞳は、感情のない蜘蛛の目。
その奥に、記憶を喰らう静かな飢えが潜んでいた。
糸が、空気を渡る。
細く、見えないほどの糸が、女教師の足元に絡みつく。
それは攻撃ではなかった。
『記憶の再生』だった。
女教師の視界が揺れる。
目の前に現れたのは、かつての教室。
誰もいない放課後。
窓際に座る、カルマの背中。
「……彼は、私を見ていた。そう思っていたのに」
まゆりの声が、記憶の中に響く。
「彼は、誰も見ていなかった。見られることを、ただ待っていたの」
女教師の足元に、掲示板の紙が舞い落ちる。
それは、文化祭の企画書。
『誰にも見られなかった』彼の提案。
「あなたは、彼の『声』を聞いたことがある?」
まゆりの糸が、教師の手に絡む。
その手は、かつてカルマの提出物を『無視』した手だった。
「……やめて……」
教師の声が震える。
それは、怒りでも焦りでもない。
『見ていなかった』ことへの後悔。
「というか……貴女。『本当は誰を』欲しかったの?」
女教師は、言葉を失った。
まゆりの問いは、ただの挑発ではなかった。
それは、彼女自身がずっと避けてきた『問い』だった。
「……私は……」
声が震える。
その震えは、迷宮の空気に溶けていく。
「彼が欲しかったのか、それとも……彼に見られている『自分』が欲しかったのか」
まゆりは、静かに頷いた。
その瞳は、まるで『答えを知っている者』のようだった。
「執着ってね、相手を縛るようでいて、本当は『自分の形』を守るためのものなの。」
◆
女教師は、まゆりの糸に絡め取られながら、静かに目を閉じた。
瞼の裏に浮かぶのは、かつての仲間たちの笑顔。
そして、自分が『必要とされていた』頃の記憶。
「私は……誰かの『役に立つ』ことで、自分を保っていた。いつのまにか、そうなっていたの」
まゆりは、黙って聞いていた。
糸は、教師の胸元に絡み、鼓動のリズムを探っていた。
「でも、探索者を辞めた瞬間、誰も私を見なくなった。だから、誰かの目に映る『私』に、すがったの」
その告白に、迷宮の空気が変わった。
木造校舎の廊下に、風が吹き抜ける。
まゆりは、糸を緩めた。
それは、優しさではなく、『見せるため』の演出。
「じゃあ、見せてあげる。彼の目に映っていた『あなた』を」
迷宮の壁が開き、教室の中に一枚の鏡が現れる。
その鏡には、カルマの視点で記録された『女教師』の姿が映っていた。
無表情で、冷静で、ただ『必要なこと』だけを言う存在。
でも、その背中には、誰にも見られない寂しさが滲んでいた。
女教師は、鏡に手を伸ばす。
その指先が、震えていた。
「……私、こんな顔してたんだ」
まゆりは、静かに言った。
「それでも、彼はあなたを『見ていた』わ。ただ、『名前』を呼ぶほどには、近づけなかっただけ」
女教師は、鏡に映る『自分』を見つめていた。
その瞳に、初めて『色』が戻っていた。
「……私、いたのね。ちゃんと、ここに」
まゆりは、糸を静かにほどいた。
それは、もう『絡める』ためのものではなかった。
『繋ぐ』ための糸だった。
迷宮の空気が変わる。
木造校舎の廊下に、柔らかな光が差し込む。
黒板に、最後の文字が浮かび上がる。
『演目:執着の檻——終幕:雲外鏡』
過去と未来、そして現在。
物事の『本質』を映し出す鏡の妖怪。
それが——『雲外鏡』。
迷宮の一角に、古びた占いブースが現れる。
そこには、制服姿の『雲外鏡』が静かに座っていた。
迷宮の壁が、静かに光を灯す。
まるで、舞台の幕が下りる瞬間を見届ける観客のように。
彼女の前には、鏡とカード。
そして、誰かの——あるいは、自分自身の——『名前』と『記憶』を探す者たちが、そっと扉を開ける。
退避と追跡行の脱落=生徒2 教師4
◇
カルマは、画面の前で頷いた。
「過去を映し、未来を示す。学園祭には『占いの館』が必要だしね」
新しくできたブースに、満足げな表情を浮かべる。
それは、演出家としての手応え。
「はじめてになるのかな? 生きたままの妖怪化って?」
ふと、カルマは『システム』に問いかけた。
そもそも、人間のまま妖怪化するとは思っていなかった。
『ある意味では「河童:沢辺みどり」も生きたままですよ。ちゃんと蘇生していたものを変えたのですから』
「ああ。そういえば、そうか」
『妖怪化に「死」は必須ではありません。無理矢理に変えるには意識がないほうが楽だというだけのこと。本人が望むのなら……むしろ簡単ですね。自分の「魂」で勝手に変わってくれます』
ネームドを作るときに消費する『ソウルポイント』も、本人の意志があれば、安くて済む。
「そうなんだ……」
小さく頷いたカルマの目が、ウィンドウを見つめる。
そこには、まゆりの名と、新たに『雲外鏡』として登録された存在のログが並んでいた。
妖怪が、加速的に増える予感がした。
それは、恐怖ではなかった。
むしろ、自然な流れのように思えた。
人が、自分の『形』を見失ったとき。
妖怪という『物語』に、魂が逃げ込むのは当然のこと。
カルマは、静かに呟いた。
「……次は、誰が『変わる』のかな」
その声に、迷宮がかすかに応えた。
まるで、次の演目の準備が整ったと告げるように。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




