第103話 風雷の沈黙 ~えいゆうたち~ 後編
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──風が、止まった。
いや、違う。
風が『引いた』のだ。
まるで、何かを恐れて逃げるように。
葉隠霞は、仲間たちの歓声の中でその異変を感じ取った。
空気が重い。
風がざわめかない。
雷が息を潜めている。
そして──空が、黒く染まり始めた。
「行こうぜ! 英雄たちの凱旋だ!」
誰かが叫ぶ。
その声に、霞は眉を寄せる。
風が、肌を撫でるように囁いてくる。
『まだ終わっていない』と。
その瞬間、空から何かが降ってきた。
──カマキリ。
緑色の甲殻が鈍く光る。
刃のような前脚が、空気を切り裂きながら振り下ろされる。
「っ! 柵が——!」
拠点の鉄製の柵が、金属音を響かせてへし折れた。
破片が飛び散り、近くにいた探索者の頬を裂く。
続いて、カナブンの群れが唸りながら突進してくる。
羽音は、まるでドリルのように耳を貫く。
その数、十数体。
一斉に突っ込んできた群れが、拠点の壁に激突する。
「うわっ! 来るな来るな来るなっ!」
壁が揺れ、ひびが走る。
一人の探索者がよろめき、足を取られて転倒する。
その背中に、カナブンの一体が突っ込んだ。
鈍い音とともに、彼の体が地面に叩きつけられる。
そして最後に、巨大な蜂が現れる。
体長は人間の胴ほどもある。
腹部の毒針が、青白く光りながら雷のように閃いた。
「毒だ! 刺されたら終わりだぞ!」
誰かが叫ぶ。
だが、すでに一人が刺されていた。
肩口に突き刺さった針が、肉を焼くように膨れ上がる。
悲鳴が、空気を震わせる。
「なんだよこれ!」
「聞いてないぞ!」
英雄のつもりだった彼らの顔が、恐怖に染まる。
足がもつれ、武器を落とす者もいる。
誰もが、逃げることしか考えていなかった。
霞は、風を呼ぼうとする。
だが、風はまだ怯えている。
雷も、まだ沈黙している。
彼女は、葉団扇を握りしめた。
指先に力が入る。
関節が軋むほどに。
「・・・そうはさせないってことか」
霞の足元に、風が集まり始める。
葉団扇が微かに震え、雷の粒が指先に集まる。
「英雄? 笑わせんな。本物の英雄は、ここで立つんだよ」
風が、ようやく戻ってきた。
雷が、指先に集まり始めた。
霞の髪が揺れ、赤と金が閃く。
──風雷の乙女、葉隠霞。
今、真の戦いが始まる。
霞は、そっと目を閉じた。
風が頬を撫でる。
その感触は、かつて彼女が知っていた、あの優しい風だった。
(・・・戻ってきたんだな)
霞は、胸の奥で呟いた。
風が、彼女の心に応えるように、静かに渦を巻く。
あのとき——彼を見殺しにしたあの日、風は彼女から離れていった。
怒りでも、悲しみでもなく、ただ静かに、そっと。
それは、風が彼女に失望したから。
『守るべきもの』を見失った彼女に、風は背を向けたのだ。
でも今、霞は違う。
逃げる仲間たちの背中を見ても、
自分の過去を思い出しても、もう目を逸らさない。
「・・・あたしが、立つ」
その言葉に、風が応えた。
雷が、彼女の鼓動に呼応するように脈打つ。
風は、彼女の『覚悟』を感じ取ったのだ。
もう一度、隣に立つことを許してくれたのだ。
霞は、団扇を構える。
風が渦を巻き、雷が刃となる。
「行くよ、風。今度こそ、あたしが守る」
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