第25話 往路から末路へ ◇とある四人パーティの話◇ ① 中編
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(回想終わり)
それは、数日前のことだった。
今、彼らは63階層にいる。
64階層への挑戦は、主力でなければ許されない。
生産系のスキルも持たない彼らにできるのは、せいぜい採取作業くらいだった。
だから、彼らは油断していた。
自分たちが『選ばれない側』であることに、安心していた。
襲撃が始まるとも知らずに。
オレの中が、まだ空のままだということも。
そして、その空白を埋めようと、何かが静かに満ちてきていることにも。
それが何かは、まだわからない。
名前も、形も、感情もない。
けれど、冷たくて、静かで、確かに『誰か』が、オレの中で目を覚まそうとしていた。
『ここにいる』『まだ終わっていない』『まだ、始まってもいない』
そんな気がしていた。
そして、迷宮は静かだった。
まるで、その目覚めを待っているかのように。
◇
〈幸運な男子Å——アオキの場合〉
「う、うわぁぁぁぁ!」
悲鳴が響いた。
それは、誰に届くこともない、ただの音だった。
目の前に迫るのは『アイアンマンティス』。
鉄の鎌を構えた、体高2メートルの巨大なカマキリ。
その姿は、まるで処刑人のように静かだった。
かつて8階層で主敵だったモンスター。
武装さえ整っていれば、戦闘職なら難なく倒せる相手。
だが、彼は寝間着姿だった。
安全ポイントだと信じて、無防備に眠っていた。
武器も防具も、毛布の下に埋もれて見つからない。
手を伸ばすたびに、布の感触しか返ってこない。
「ひっ、ひぃぃぃぃ!」
思考は逃げろと叫ぶ。
だが、体は寝起きで動かない。
まるで、夢の中のように。
足元に広がる水たまり。
それは、恐怖が限界を超えた証。
その瞬間、視界がくるりと回転する。
何が起きたのか、理解する前に、世界が裏返った。
意識は、床に落ちた水たまりの中で止まった。
静かに倒れ込む身体。
その周囲に、赤い液体がじわじわと広がっていく。
水と赤が混ざり合い、鏡のように揺れる。
その鏡の中で、彼の耳に残ったのは──誰かの笑い声だった。
それは、かつて誰かを踏みつけた時の、自分の笑いに、よく似ていた。
◇
『あ。ダメだろ。いきなり終わらせるのはなし!』
ウィンドウ越しに見ていたカルマが、眉ひとつ動かさずに指示を飛ばす。
決定打は、最後の一手にしたかった。
驚きは一度きり。
だからこそ、使いどころを誤るのは『演出ミス』。
「もったいない!」
あれは、もっと引き伸ばせた。
恐怖の余韻が、まだ熟していなかった。
観客の心が震えるまで、あと数手は必要だった。
カルマは、モンスターへの行動指示を簡潔に、確実に行う。
それは、まるで舞台監督のような手際。
画面越しに『舞台』を見守る目は、感情ではなく、構成を見ていた。
『悲鳴のタイミングが早すぎる』『足元の水たまり、もっと広げて』『照明、暗く。影を強調。』
次の『演出』を練ることに余念がなかった。
人間の死は、ただの素材。
その使い方次第で、迷宮の『価値』が変わる。
「死ぬのはいい。でも、『どう死ぬか』が重要なんだよ」
カルマは、そう呟いた。
誰に向けた言葉でもない。
ただ、迷宮に響かせるための独り言。
画面の中で、探索者が震えていた。
その震えが、どこまで持つか。
どこで崩れるか。
どんな音を立てるか。
それが、カルマの関心だった。
「…………」
その背後で、あられもない格好の女子が、カエル座りのまま、じっと彼の背中を見つめていた。
視線は合わない。
でも、確かにそこにいた。
彼女の目は、どこか焦点が合っていなかった。
まるで、現実と記憶の狭間を漂っているように。
「私が・・・私たちが、そう、させたんだよね?」
誰にも聞こえない問いかけ。
答えを求めているわけじゃない。
ただ、口に出さずにはいられなかった。
相手が誰かを思い出した時、胸の奥に、冷たい何かが落ちた。
彼を、自分は──自分たちは、昨日『殺した』のだ。
「あの時、笑った。あの時、見下ろした。あの時、何も感じなかった。」
今さらではあるが、体が、勝手に震えた。
寒さではない。
恐怖でもない。
『取り返しのつかなさ』が、骨の奥を叩いていた。
彼女の指先が、わずかに動いた。
何かを掴もうとして、空を切った。
そこにはもう、何もなかった。
第26話 往路から末路へ ◇とある四人パーティの話◇ ① 後編
〈ちょっと運が足りなかった男子B——イケダの場合〉
「え? なに、ナニコレ!?」
ワタワタと手足を動かすイケダの前で、アオキの姿が、崩れていた。
ヤバイ! ヤバイ、ヤバイ、ヤバイっ!
慌てて後退り、背中を向けて逃げ出す。
とにかく、遠くへ。
誰か、戦えるやつの後ろに逃げないと。
意志に反して震える手足を必死に動かし、遠ざかろうとする。
だが、その歩みが、突然止まった。
「あ、れ?」
視界がやけに低い。
ちゃんと走っていたはずなのに。
振り返ると、足元に何かが転がっていた。
自分の右足だった。
「ああ、落ちちゃったのか」
乾いた思考で納得し、拾おうと手を伸ばす。
その瞬間、手に走る違和感。
地面に、自分の腕が落ちていた。
「あ、あは。なんで、こんなに・・・落ちるかな?」
右手を拾おうとした左手に、ひびのような痛みが走る。
指先が、もう自分のものじゃないような感覚。
「い、いや、だ。いやだぁぁぁぁぁぁぁ!」
叫ぶBの前に、何かが落ちた。
それは、かすかに赤く染まった右足だった。
アイアンマンティスが、食べかけのそれを捨てたのだ。
口に合わなかったのだろう。
『おいしくない獲物』と判断されたイケダは、左足などは無傷のまま、見逃された。
石ころのように、興味を持たれない存在。
命としての価値すら、否定された。
「あ。あは、あはっ・・・あははははっ!」
Bの口から、乾いた笑いがこぼれる。
それは、壊れた機械のような音だった。
現実から逃げ出した先で、彼の魂は首を傾げていた。
――誰が笑っているんだろう?
笑える場面じゃないのに。
そして、うっすらと思い出す。
自分がかつて、『笑えない場面』で笑っていたことを。
もしそこにいたのが自分だったら、絶対に笑えなかったはずの場面で。
傷ついた身体を横たえたまま、Bの視界にモンスターたちが映る。
だが、誰一人として彼に目を向けることはなかった。
まるで、そこに『何の価値もないもの』が転がっているかのように。
◇
『うん。こんな感じでいいね』
ダンジョンのステータス画面で、『ソウルポイント』がじわじわと上昇していくのを確認しながら、 カルマは静かに頷いた。
恐怖は、静かに崩れていくのがいい。
一気に壊すのは、素人のやることだ。
じわじわと、笑いの中で削っていく。
それが、『演出』というものだ。
それは、あの教室で誰も来なかった三日間に、オレが学んだことだった。
「悲鳴よりも、笑いの方が深く刺さる。」
なぜなら、笑いは――忘れたはずの罪を、もう一度、思い出させるから。
あの時、オレは笑われた。
誰も来ない教室で、飾り付けだけが虚しく揺れていた。
廊下の向こうから聞こえたのは、沈黙だった。
舞台に『沈黙』があってはならない。
今、オレは『笑わせる側』だ。
滑稽な死に様を演出し、無様な逃走を引き出し、壊れた笑いを引き出す。
「あははははっ!」「なんで、こんなに落ちるかな?」「誰が笑ってるんだろう?」
その声が、いい。
悲鳴よりも、ずっといい。
カルマは、ウィンドゥを見つめながら、まるで舞台の幕を引くタイミングを見計らう演出家のように、指先で軽く、次の指示を打ち込んだ。
「次は、あの子だ。もう少し、笑わせてあげようか。」
喜劇は、まだ終わらない。
観客が『自分の罪』に気づくまで。
役者が役を『おろされる』まで。
パーティは四人。
あと、二人いる。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




