第98話 ライラ、怒る
「そのライラという銀狼族の少女を、一晩好きにさせてくれ」
「――はぁああ!!??」
オレたちは耳を疑った。
ライラを一晩、好きにさせろだと!?
その言葉が本気なら、オレにとってとても容認できない取引だ。
妻を一晩自由にさせろ?
そんな取引に応じるような男に、オレが見えるってことか!?
「どうやら、そのライラという少女は、銀狼族らしいな。いい加減、娼館の娼婦を抱くのにも飽きちまったんだ。一晩だけ好きにさせてくれるなら、銀狼族の情報をいくらでも出そう」
「こ、こいつ……!」
オレの身体中を、怒りの感情が走り抜ける。
銀狼族の情報は、確かに欲しい。
ライラの両親に関わる情報を見つける手がかりにだって、もしかしたらなるかもしれない。
だが、そのためにライラを指し出すなど、言語道断!!
ライラはオレの妻だ!
オレは他の男にライラを渡す気などさらさらないし、ライラもそれを望んでいない!
たとえアメリゴが持っている情報が、どんなに有益なものであったとしても、この取引に応じることはできない。
最初から、オレたちの答えは1つしかない。
ノーだ!
オレは自然と、背中に隠したソードオフに手が伸びる。
しかし、ソードオフに触れた途端、オレは冷静になった。
ここでソードオフを使って、アメリゴの息の根を止めることは簡単だ。
しかし、正当防衛とはならない。このままでは単なるカッとなって銃を持ち出したことになってしまう。ソードオフを使ったら最後、騎士団に逮捕されてしまう。そうなったら、ライラと一生会えなくなるかもしれない。
ソードオフはダメだ。これを使うのは、最後の手段だ!
すると、ライラがイスから立ち上がった。
ライラはそのまま、アメリゴの隣に向かって歩いていく。
「ライラ――ッ!?」
どうして、ライラがそんな奴の所へ!?
まさか、ライラは一晩好きにされるのを、承諾したというのか!?
いや、そんなことはありえないはずだ!!
オレはライラから目が離せなくなる。
「おっ、どうやらそういうことみたいだな?」
アメリゴが嬉しそうに云い、いやらしい目でライラを見つめる。
オレはアメリゴの目玉をえぐり出してやりたくなったが、動けない。
「それじゃあ早速、俺の家へと――」
アメリゴはライラに手を伸ばしていく。
パシン!!
「……え?」
突如として部屋中に響き渡った、甲高い平手打ちの音。
その音が鳴った直後、アメリゴの顔が大きく右へ動いた。
ちょうど90度動き、顔を明後日の方向へと向けるアメリゴ。元の位置に戻ると、左の頬が真っ赤になっていた。よほど強い力で、平手打ちを食らったらしい。
アメリゴに平手打ちを食らわせたのは、ライラだった。
平手打ちをしたライラは、怒りで震えていた。
オレは思わず息を呑む。
ライラがここまで怒った姿を見たのは、オレも初めてだった。
「バカにしないで!! こっちは真剣になって訊いてるのに、どうしてあんたみたいなオッサンに一晩好きにされなきゃいけないの!? あなた、わたしが結婚していることを知ってて云ってるの!?」
ライラが畳みかけるように云うが、アメリゴは呆気にとられているのか、何の反論もしない。
しばらくして、アメリゴは口を開いた。
「……今、誰にビンタしたか、分かっているのか?」
あぁ、そういうことか。
オレはアメリゴの考えを、なんとなく理解する。
アメリゴは自分のことを『エッジの刀鍛冶協同組合の幹部』と自己紹介していた。
つまり、この街で偉い立場に居る人に暴力を振るった、と思わせたいのだろう。
肩書きを笠に着るような奴の考えそうなことだ。
しかし、そんな肩書きはライラにとっては全然重要ではなかった。
「誰だって関係ない! わたしは誰がどう云おうと、ビートくんの妻よ! ビートくん意外の人に好き勝手にされるなんて、穢されているみたいで我慢できない! あんたなんかに抱かれるくらいなら、死んだほうがマシよ!!」
オレは、そっと胸をなでおろす。
ライラがアメリゴの提示した条件を飲んだわけじゃなかったんだ。
ライラのオレに対する思いは、全く変わっていない。
「小娘よ、云いたい放題言えばなんとかなると思っているのなら、それは間違いだぞ……!」
アメリゴが立ち上がり、激怒するライラを上から睨みつける。
ビンタされたあげく、年下の少女に怒られたことが、アメリゴのプライドをズタズタにしたのだろうか?
アメリゴの目は、人を殺せそうな目になっている。
それに対してライラは、怯えることなくアメリゴを睨みつける。
側から見れば、戦争開始5秒前だ。
「お……落ち着いて下さい!!」
それまで何も云えなかった男が、ライラとアメリゴを止めようとする。
「ここは奴隷の商談を行う場所です! 冷静になって――」
ライラとアメリゴが、男を睨みつける。
男がかけた言葉は、ヒートアップする両者を落ち着かせる効果があるどころか、むしろ逆効果だった。
「ひぃいい!!」
情けない声を出して、男は小さくなってしまう。
一方的に話せるくせに、こういうときは全く頼りにならねぇな、こいつ。
オレは呆れたが、呆れているばかりではいられない。
立ち上がると、俺はライラの手を取った。
「ライラ、もう帰ろう!」
「ビートくん! このオッサン、わたしを侮辱したのよ!?」
ライラが云うが、オレはじっとライラの目を見る。
「知りたい情報は、もう手に入れた。それにもうこれ以上、ここで無駄な時間を過ごしても意味ないよ!」
「ビートくん……?」
「こんなやつのために、貴重な時間を使う必要はない! それよりも、オレと一緒にいたほうがいいだろ?」
オレがそう云うと、ライラの顔から怒りが消えて行った。
「そうね……ビートくん、行こう!」
やっと、ライラの怒りが治まったな。
オレはそっと、肩の力を抜く。もうこれ以上、声を張り上げなくて良さそうだ。
「行こうか。それじゃ、失礼します」
オレはライラを連れ、交渉室を出ていく。
交渉室には、アメリゴと男だけが残された。
閉まりゆくドアの向こうから、何か聞こえてきたような気がしたが、内容までは分からなかった。
こうしてオレたちは、ラーナ奴隷商館を後にした。
ラーナ奴隷商館から出てきたオレたちは、しばらく歩いた。
すると突然、ライラが立ち止まった。
「ライラ……?」
立ち止まったライラに呼応するように、オレも立ち止まる。
オレが立ち止まると、ライラが何も云わずにオレに抱きついてきた。
「ビートくん、怖かったよお!!」
ライラはオレに抱きつくと、そう泣き叫んだ。
オレはライラを包み込むように、抱きついて泣き叫ぶライラを抱きしめる。
「ライラ、もう大丈夫だ。オレがいるんだから……」
涙で服が汚れるが、構わなかった。ライラの悲しみと恐怖を受け止め、癒すことができるのはオレ以外に居ない。
「わたし、悲しかった。銀狼族って、やっぱり奴隷としての価値しかないんじゃないかって、思った……」
ライラはそう云うと、オレの顔を見上げた。
目が泣きはらして、いつもの明るいライラはそこには居なかった。
「ビートくん、やっぱり銀狼族って、奴隷としての価値しかないの?」
「そんなことはない!」
オレは、ハッキリとそう云った。
「ライラ、銀狼族は少数民族で数が少ないから、奴隷市場に出回ることが多くなくて、欲しがる人が多いだけだ。奴隷としての価値しかないなんてことは、絶対にないよ!」
「本当?」
「ライラ、自分に奴隷としての価値しか無いなんて、本気でそう思っている?」
そんなはずがないことくらい、オレは知っていた。
「自分に本当に奴隷としての価値しか無かったとしたら、ライラに婚姻のネックレスを贈ったオレはどうなる? ライラは、オレがライラを奴隷にするために、婚姻のネックレスを贈ったと思っているのか?」
「そんなこと思うわけないよ!!」
ライラが叫んだ。
「ビートくんは、わたしの気持ちを受け止めて、婚姻のネックレスを贈ってくれたんでしょ!? だからわたしは、今までずっとビートくんと一緒に生きてきたの!」
「その通り。よく分かっているじゃないか」
オレは微笑み、ライラの頭を撫でる。
頭に手を置かれたライラは、そのままオレに身体をゆだねてきた。尻尾が、ブンブンと左右に振れる。
「ライラは、オレにとって唯一の幼馴染みで妻。そして、かけがえのない最愛の女性だ。決して、奴隷なんかじゃない」
「ビートくん……ありがとう」
ライラはそう云うと、涙を拭い、オレに笑顔を見せてくれる。
その笑顔は、どこからどう見ても幸せを感じている美少女の笑顔だ。
決して、奴隷としての価値しかない者が見せる表情ではない。
「ビートくん、これからどうする?」
「とりあえず、あのアメリゴという奴の情報が正しければ、娼館に銀狼族がいるらしい。ライラを連れていくのは気が引けるけど、実際に自分の目で確かめるのが最も確実だと思う。娼館に行ってみよう」
ライラを連れていくのは、本当に悩ましかった。
しかし、オレだけで行くことはできない。ライラとの信頼関係を壊すようなものだからだ。
「うん、それがいちばんね!」
「まさか、娼館にライラと一緒に行くなんて思いもしなかったけどな」
「ビートくん、娼婦を買うのだけは許さないからね?」
ライラの声が少し低くなった。
ビートは、背筋が凍るような寒気を感じる。
「わたしがいるのに、娼婦に夢中になったら、ダメよ?」
「しないって!」
オレは必至で、首を横に振った。
こうしてオレたちは、奴隷商館から、娼館へと向かって歩いて行った。
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