第24話:強敵? ゴブリンソーサラー
湿った冷気が漂う、銅級ダンジョン八階層。
薄暗い岩壁に囲まれた通路の奥で、イムは銃を手にしたまま呆然と立ち尽くしていた。
「……どうしてこうなった?」
ぽつりと漏れたその呟きは、誰に届くこともなく虚しく洞窟内に響くだけだった。
イムの視線の先――目と鼻の先で地面に突っ伏しているのは、今回目当てのモンスター『ゴブリンソーサラー』だった。
ボロ切れのようなローブを纏い、杖を握りしめたその痩せた身体は、生まれたての小動物のようにプルプルと激しく震えている。そして、その姿勢はどこからどう見ても、頭を地面にすり付ける『土下座』そのものだった。
強敵だと気合を入れて攻略しに来たはずの相手が、戦うどころか命乞いのように怯えきっている。
あまりにも想定外すぎる状況に、イムの頭は完全にフリーズしていた。思考を整理するため、少年は数分前の出来事を思い起こす――。
・・・・・・
今日、イムはいつも通り万全の準備を整えて銅級ダンジョンへと足を踏み入れた。
一階層から七階層までは、まさに作業と言うべき滑らかさで突き進んだ。立ちはだかるゴブリンソードマンやゴブリンアーチャーのタッグを、もはや奇術を使用するまでもなく魔導銃の射撃で危なげなく一蹴。経験を積み重ねたイムにとって、七階層までの魔物はもはや脅威ではなかった。
だが、いつも通りなのはここまでだ。
(ここから先……八階層からは、俺もまだ戦ったことのない『ゴブリンソーサラー』が出る)
階段の手前で足を止め、イムは腰の魔導銃の感触を確かめると、気を引き締め直して薄暗い階段を下りていった。
マリナから聞いたアドバイスが頭を巡る。
ソーサラーは他のゴブリンと違って魔力を感知する能力を持ち、遠距離から強烈な『ファイヤーボール』を放ってくる。しかも前衛には壁としてゴブリンソードマンが同じ群れにいることが多いという。
(魔力を感じ取れるってことは、奇術にも敏感に反応するかもしれない。奇術で牽制して、前衛のソードマンを速攻で処理、魔法を撃たれる前にソーサラーも仕留める……!)
脳内で緻密なシミュレーションを組み立てながら通路を進むこと、数十メートル。
曲がり角の先、開けた小部屋のような空間で、イムは目指す獲物の姿を捕らえた。
杖を持ったゴブリンソーサラーが一体。
そして、その前に陣取る頑丈な剣を持ったゴブリンソードマンが二体。
図鑑の記述通りの、絵に描いたような前衛と後衛に分かれた群れだった。
(よし……相手に気づかれる前に、先制の一撃を決める)
イムが踏み込み、左腰の魔導銃に手を伸ばそうとしたまさに、その一瞬だった。
びくっ……!
前衛のソードマンではなく、一番奥にいたゴブリンソーサラーが、まるで雷に打たれたかのように背筋を跳ね上がらせた。
「……え?」
あまりに唐突な反応に、イムも思わず動きを止めてしまう。
ソーサラーは杖を握る手を激しく震わせながら、恐る恐る、ゆっくりとイムの方へと顔を向けた。
そして――しっかりとイムと目が合った瞬間。
「ピギャアァアァアァアァァァ――ッ!??!?」
洞窟の鼓膜を破らんばかりの、悲痛で狂乱した絶叫が響き渡った。
ソーサラーは魔法を唱える素振りすら見せず、杖を半分放り投げるような格好で反転すると、前衛のソードマンたちを置き去りにして通路の奥へと脱兎のごとく逃げ出していったのだ。
「!?!?!?」
何が起きたのか分からず、目を見開くイム。
残された二体のゴブリンソードマンも、仲間であるソーサラーの突然の狂乱と逃走に完全に呆気にとられ、ぽかんと口を開けて背中を見送っていた。
だが、イムの戦術眼は瞬時に切り替わった。
バシュッ! バシュッ!
呆然と突っ立っていたソードマン二体の眉間へ、間髪入れずに魔弾を叩き込む。絶命した二体が崩れ落ちるのとほぼ同時に、イムは逃げ去る背中に向かって叫びながら走り出した。
「お、おい! 待てぇっ!」
疾走するソーサラーのスピードは凄まじかったが、足を鍛え上げているイムも必死で追いかける。
他の魔物の群れに鉢合わせることも警戒しながらも、複雑に組み合わさった洞窟の通路を約一分ほど猛追した。
すると――逃げ回っていたソーサラーが、唐突に足を止めた。
『行き止まり』にぶち当たったのだ。
逃げ場を失ったソーサラーはクルリと振り返り、追いついてきたイムの姿を見るや否や。
「ピギャッ……!」
頭を両腕で抱え込み、その場に崩れ落ちるように膝をつき、地面に額を擦り付けてガタガタと震え始めたのだった。
・・・・・・
そして、冒頭の場面へと至る。
「……で、どうすっかな、コレ」
息を整えながら、イムは目の前で惨めに震え続けるソーサラーを見下ろした。
図鑑には「知能が高く、魔法を放つ強敵」と書かれていたはずだ。それが今や、ただの怯える害獣以下のような姿で命乞いをしている。
あまりにも無抵抗な相手を前にして、イムは困惑気味に頭の後ろを掻いた。
「まぁ……なんか無抵抗の相手をやるのも後味悪いけどさ。……お前、魔物だしな」
イムの心に甘えや油断はない。どれだけ情けない姿を見せていようと、人間を襲う魔物であることに変わりはないのだ。ここで見逃せば、他の探索者が被害に遭うかもしれない。
「悪いな」
つぶやきとともに、魔導銃の銃口をソーサラーの頭部へと正確に向ける。
バシュッ――!
至近距離から放たれた一発の魔弾が、ソーサラーの頭部を正確に穿った。
一瞬の弛緩の後、ソーサラーの身体は粒子となって崩れ去り、地面には魔石だけが残された。
「……ふぅ」
転がった魔石を拾い上げ、腰の袋へと収めるイム。アーチャーの魔石よりも一回り大きく見える。換金すればそこそこの額になるのは間違いなかった。
しかし、イムの胸に残ったのは勝利の達成感ではなく、深い謎だった。
「しっかし……まさか見られた瞬間に逃げられるとはなぁ。なんでだ?」
イムは自分の服装や手元を見下ろした。
奇術を発動させて威圧していたわけでもない。ただ通路を歩いていただけだ。なのに、ソーサラーはまるで『この世で最も恐ろしいバケモノ』に出会ったかのような反応を見せた。
(あいつ……他のゴブリンと違って『魔力を感じ取れる』ってマリナさんは言ってたよな……?)
そこまで考えたところで、イムは首を傾げた。
自分一人で考えていても拉致が明かない。
「……よし。わかんないまま戦うのも嫌だし、調べるために一回引き返すか」
イムは踵を返し、不気味な静寂が戻った八階層の通路を引き返していくのだった。




