黒い子猫
こっからが、戦いだ。
テストまで残り三日。みんな勉強熱心になっていた。先生たちも自習の時間を増やしており、教室内はシャーペンやボールペンを叩く音やクーラーの音、たまに生徒同士の質問の投げ合いの声で満ちていた。それはもちろん昼休みもそうであり、弾んだ会話はあまり聞こえず、むしろ食事を摂らずに黙々と机に向かっている生徒も見かけた。
そんな中、近頃授業に出ず、この大事な時間も旧校舎の図書室で世間話をするアホ生徒がいた。
「それが孝一くんね」
「いや、ひろみも大概だ」
ひろみは、昨日の俺の青白い顔と鑑みて、今日はとても元気そうに見えたらしいので、昼休みの時間で図書室に行こうと誘われた。その提案に俺は即答する。
校舎裏でも言われたが、ひろみは俺と話したいことがあるそうで、多分それはわんさかにあるだろう。
質問攻めに覚悟する俺に、ひろみはまず机に肘を置いて体を乗っけ、俺の額に手のひらを添える。
「びっくりだね。一日でこんな元気になるものなの?」
「高濃度の回復魔法をもらったからな。右腕の骨折もそれなりには治った」
それなりにって、と疑うように言ってから体を戻し、高濃度ってレベルファイブ?と訊かれる。
「そんな高価な物はもらえないよ。学校から支給されるのはレベルスリーまで。第一、レベルスリーも調合するのに何年もかかるからね」
俺がたつきとの戦闘で痛み止めとして所持していたのはレベルワン。未成年の生徒が法律上持てるのはワンまでであり、成人でもレベルスリーまで。
それ以上は王家関係者や研究者の資格を持っている者のみ。つまり、昨日のタイマンでレベルファイブを使用したたつきは重罪を犯していることになり、退学も視野に入ってしまう。
「たつきくんは、わかっていたのかな。あのグミが最高級なものだって」
ひろみは少しカビのついた窓を眺める。
「わかっていただろう。スパイと繋がっている以上、ある程度のコミュニケーションをしたはずだ。あのグミも、なにか相応の条件付きで譲渡し、賭けたのだろう。でなければ、協力する義理もない」
無論、その偽スパイは俺のことであり、虚言で報酬やら保証やらを手紙に書き、たつきにグミの使用を誘導した。
肝となるのは、たつきを追い詰めるのにもっとも効果的なのが心理的——つまり、俺の苦手とする感情部分だ。
もっとも、たつきが意図して非人道的な言葉で俺を揺さぶらせる時、原因のわからない謎の塊から出てきた、たつきのトラウマを利用できたことで赤黒いグミを使わせることができたが、もしそれがなければもっと長期戦になっていただろう。
なにしろ、たつきの言う通り、俺は情報を何一つ得ることができなかったのだ。情報の詮索を早めに切り上げたのは、希望がないと断定できたから。
「にしても、あの日はいつもと違う孝一くんが見れたね。悪人顔が極悪人顔になった感じ」
「そりゃどうも」
とにかく、たつきとの勝負では、鳥肌が立つくらい生理的に嫌悪感が増したが、感情的に煽るフリを続けた。論理的に追い詰めれる相手には全く見えなかったからだ。それが功を繋いだのか、謎の塊による過去話も摩擦なく相手に伝えれることができた。
冷徹ないつもの俺だったら、あんな長話最後まで聞いてもらえなかっただろう。
「やっぱり孝一くんも感情はあったんだ?あんなに感情は嫌い嫌いしてたのに」
「……まぁあの日の俺は、確かにそうかもな。でも考えは変わらないよ。むしろ強まったくらいだ。感情は嫌い。辟易する」
「どうして?」
「人を狂わすからだ」
開けた窓から、草木の匂いを混じった風がこの古臭い図書館に入ってくる。
「孝一くん、後ろ見てみて?」
急に何の話かわからず、首を傾げると、横の一段の本棚からふっと黒いなにかが素早く通り、彼女の手に寄る。
「……また黒猫か」
「ほんとこの図書室が好きなんだね。よしよし」
白くて華奢な手で黒猫を優しく撫でる。この黒猫はよく図書室の窓から侵入している。
ひろみはそのまま撫で続けながら少し沈黙し、猫を見つめながら言葉を溢す。
「感情は、人を狂わすよ。とても共感する」
俺を目を丸くする。こいつにもネガティブなところがあったなんて。
「でも、私は感情を醜いとは思えないな。少なくとも、この子猫を優しくすることはできるって考えると、余計にね」
「……」
確かに、向こう側の机には猫がゴロゴロ鳴きながら尻尾で自分を覆って、人の温もりに寄っている様子から鑑みて、自分側の机には空っぽと言っても過言ではなかった。
でも、だからなんだと、俺は思ってしまう。強がりでも、嫉妬でもなくて、本当に理解できないのだ。
出会ってから、何度も思う。ひろみの言葉には何一つ響けない。猫に優しくできるからなんだ、それでなにか利益が生まれるのか?
むしろ俺はこの猫にひどく嫌気がさす。
なぜなら、前にひろみを学校案内した時も出会っており、そこを分岐点として嫌なことが連続で起こったからだ。
ここから、少し過去編が続きます。小説を書き続けていくうちに物語の辻褄が合わなくなり、第一章『思惑通りの思わぬ事態』からの出来事のリメイク版を書いていきます。何度目かの自己否定感に押し潰されながら頑張ります……。




