第13話 平穏崩壊、依頼ラッシュ
学園生活は、今日も平穏からほど遠かった。
朝飯のパンをかじるだけで、神の集会への出欠確認が飛んでくる。
「アッシュ様、本日の『神の声を聞く会』のご出欠につきまして確認を——」
「出ない」
食堂でひそひそと囁く男子生徒たちをスルーして、俺はパンをかじった。
「アルマンド卿……どうか私めにも『無音の治癒魔法』の御教授を! 我が家の不治の病をも治せると聞きまして!」
「そんな魔法使ったことないし、俺の魔力ゼロだから」
すがりついてくる上級生の涙ながらの訴えも、視界の右下にある【システムエラー:対象ユーザーの承認プロトコル(NO)を記録】という冷酷な緑の文字によって処理していく日々。
「はぁ。エレナみたいに、魔法の天才がいればこんなの頼まれないんだろうな……」
俺がポツリとこぼした言葉に、隣の席でノートを広げていたエレナがハッと顔を上げた。
「……私の名を、お呼びになりましたかアッシュ様。光栄の至りに存じます。我が身はすべて貴方様の剣であり盾でございますから、どうぞこの命、惜しみなくお使いください」
「頼んでない」
エレナは俺に命を救われて以来、狂信者というよりは『過激な信徒筆頭』になってしまっていた。俺が席を立てば立ち、俺が水を飲めば涙を流して感謝する。
学園トップの魔力量を持つ美少女が、常にこの調子で付きまとってくるのだ。男子生徒からは嫉妬と畏敬の混ざった視線を向けられ、女子生徒からは「エレナ様が崇拝するアッシュ様」として熱を帯びた視線で見つめられる。
「このままでは、静かな事務官ライフが完全に崩壊する……」
俺はため息をついた。
だが、その日、さらに厄介な輩が学園に現れたのだ。
「——貴方が、アッシュ・アルマンド君ですね」
学園の中庭。
生徒たちが遠巻きに見守る中、黒のローブを纏い、胸に鋭利な銀の紋章をつけた男が俺の前に立ち塞がった。
「魔法省、特別異端査察室の者です」
魔法省。
俺が就職を希望している、国家の魔法行政を司る機関だ。
だが、査察室となると話は別だ。彼らは魔法省の中でも、禁止された危険な研究や、遺跡の不可侵条約に触れた者を取り締まる「異端審問」のプロフェッショナルである。
「査察官……?」
俺が怪訝な顔をすると、男は冷たく整った顔を歪めずに続けた。
「学園周辺の第4遺跡、並びに旧王都地下の浄水システムにおいて、『未知の巨大な術式』が発動した痕跡を確認いたしました。……いずれも王都を滅ぼしかねないシステム干渉であり、魔力の痕跡が一切残っていないという異常事態です」
「あー……」
俺がデバッグ『削除』したやつだな、それ。
「同時に、学園内では一人の生徒が一連の事象を解決したという神懸り的な噂が広まっております……魔力測定ゼロの落ちこぼれであるにもかかわらず、です」
査察官の目が、鋭く俺を射抜いた。
「アルマンド君、貴方は……何か『禁忌の旧遺物(古代アーティファクト)』を所持しているのではありませんか?」
おお、これは……。
俺は少し感心した。彼らは『神の奇跡』などという夢物語ではなく、論理的に物事を考えている。あの『無詠唱パージ』は遺物の力ではないかと疑うのは、至極真っ当な推論だ。
「仮に……そうだとすれば?」
俺はあえて曖昧に答えた。システムの声(AI)と繋がっているとは、とても言えない。
「我々魔法省は、国家の安寧を脅かす未知の技術を看過することはできません」
査察官は、懐から一枚の令状を取り出した。
「貴方に、異端審問のための『一時拘束命令』が出されております。同行を願いたい」
周囲の生徒たちが息を呑む。
レディスやエレナがただちに立ち上がろうとしたが、俺は目で制した。
「……同行すれば、俺の身の潔白は証明されるんですか?」
「審問の結果次第です。ただし、魔法を無効化するほどの強大な遺物を隠匿しているとすれば——『国家反逆罪』に等しい大罪として裁かれる可能性もあります」
国家反逆罪。
つまり、死刑か終身刑。平穏な事務官ライフの対極である。
「冗談じゃない……」
俺が思わず呟いた時だった。
【System:警告。ユーザー(アッシュ)に対する魔法省からの強制連行プロセスを検知】
【System:該当プロセスは、管理者権限の不当な拘束に該当します】
【System:魔法省査察官に対し、防衛プログラム『沈黙の制裁』を実行しますか? [YES/NO]】
「ルートミュート……?」
見覚えのないコマンドが出現した。
だが、俺の平穏を脅かすこの連行は、断固として拒否しなければならない。
「すまないが、俺は忙しいんだ。あんたとは行けない」
「……抵抗するおつもりですか?」
査察官が冷酷に目を細め、その杖の先に高純度の魔力を一瞬で凝縮させた。
『雷縛の鎖』——高位の拘束魔法だ。触れれば全身が麻痺し、意識を刈り取られる。
「アッシュ様!!」
エレナの悲鳴が上がる。
俺は向かってくる紫電の鎖を見据えながら、脳内で強く『YES』を叩きつけた。
——その瞬間。
「なっ……!?」
放たれたはずの雷の鎖が、空中でパチッと音を出したかと思うと、査察官の杖ごとスゥッと『光の粒子』になって消滅した。
いや、それだけではない。
査察官の体から、魔力の波動そのものが「ごっそり」と抜け落ちたのだ。
「ば、馬鹿な!? 私の体内の魔素が……繋がらない!? 術式が、構築、できない……!?」
男はパニックに陥り、意味不明な言葉を喚きながら自分の両手を見つめた。
【System:防衛プログラム完了。対象の魔素接続回路を一時的に遮断しました】
どうやら、俺のデバッグ権限はついに「魔法を消す(プロセスキル)」だけでなく、「相手の魔法を発動できなくする(アカウント凍結)」にまで進化してしまったらしい。
査察官は「あだぐしはばほーすが……できな、えっ……!?」と完全に錯乱してへたり込んでいる。
「……あー、悪い。一時的なエラーだから、すぐ治る(はずだ)んだ」
俺が気まずそうに言うと、静まり返っていた中庭から、堰を切ったように狂信者たちの歓声が爆発した。
「見ろ! 国家権力のトップである異端査察官すらも、アッシュ様の前では魔力を封じられた一介の俗物に成り下がるのだ!」
「畏れ多くも神に刃を向けた大罪! アッシュ様は自らの手で、彼から魔法という神のご加護を剥奪されたのだ!」
「アッシュ様万歳! 神の御子に栄光あれーーッ!!」
大合唱の渦の中心で、俺は青ざめる査察官を見下ろしながら、胃の激痛に顔を歪めていたのだった。
そして翌朝、王宮から届いた一通の書簡が、この騒動を国家規模へと引き上げる。




