97.チャーチルの新たな挑戦とスペアリブ
チャーチル・ハローズには、大きな目標がある。
それは一つの店で何でもそろう、大型商店を作ること。
今は父の教えを受け、小さな衣料品店を経営している。
「……また、新しいことか?」
ため息をついたのは、ウィリアム・ウィキング。
生地を扱う、大きな店舗を持つ商人だ。
今はチャーチルと、協業という形で商売をしている。
「はい、新たな商品を仕入れましょう! 今度は衣料だけなく帽子や手袋、靴下といった服飾品も扱うんです!」
「今の商売で十分に成り立っている以上、手を広げる必要はない。やるなら今売れている商品をもっと大量に仕入れ、売り出すべきだ」
「まだどこも扱ってない良い商品があるんです、これを売らない理由はありません! 一つ成功を生み出した今だからこそ、次へ向かうんです!」
「……いいか、チャーチル。共同経営は、判断を共有しなければならない」
すでに大きな店を持つ、ウィキング。
その商売はリスクを取らずとも良い段階にあり、動きはやや鈍く保守的だ。
「私には、私の商売がある」
「でも! これから人気を得るであろう商品を、みすみす逃す理由はないですよ!」
「それなら、自分の目利きを信じて好きにやればいい……協業は終わりだ」
「……っ!」
そう言われてしまっては、強く出られない。
「分かりました……」
チャーチルは、肩を落としながら店を出る。
「これでもう、何度目の却下だ……?」
紡績工場を営む父に学んだチャーチルは、布地商、洋服商として大きく成長。
さらに『消費傾向』を読む力を開花させたことで、生地や洋服に加えて服飾雑貨を扱うことで成功を収めた。
市場の変化を読む速度に優れるのは、良い商人の特徴だ。
協業はその『目』を買われて始まったのだが、これでは苛立ちが募るばかり。
チャーチルはため息をつきながら、ウィキングが持つ豪華な五階建ての社屋を出る。
「ああ、もったいない――っ!!」
そして、叫ぶ。
目の前にある『これから輝く』商品を手放すことなど、やはり認められない。
だがウィキングとの協業は、ステップアップするためのチャンスだ。
様々な商品を扱う店を作りたいという夢のためにも、無下にはできない。
チャーチルは悔しさに、石畳を強く踏みつける。
「チャーチル」
「……父さん」
声をかけてきたのは、店の前で待っていた父だった。
「落ち着きがなくなる時は、我慢している時……そうだな?」
「……ああ、そうだよ」
工場を継ぐのではなく、店を持ちたいと言い出した時と同じせわしなさ。
息子の苛立ちと苦悩に気づいた父は、ここまで声をかけに来たようだ。
「付いて来い。こういう時は、うまいものでも食べるに限る」
二人が目指すのは、チャーチルが父に学ぶことを決めた料理店。
労働者街イーストエッジの道を進み、キツネの看板が目印であるその店のドアを開く。
「いらっしゃいませ」
楚々とした挙動でやってきたマリアは、二人をカウンター席へと案内した。
「ご注文は、いかがなさいますか?」
「そうだな……何かエールに合うものはあるかな」
父がそう言った瞬間、マリアの目が変わる。
「もちろんございます。今日であれば、スペアリブが一押しです」
「スペアリブ……? ではそれを二人分。エールと一緒に頼むよ」
「はいっ」
しとやかなマリアらしからぬ、ご機嫌な声でオーダーを受ける。
スペアリブは、あばら骨付近でも腹部側の肉を差す。
赤身と脂身が層になっており、濃厚なコクとジューシーな味わいを持つのが特徴。
骨付きのため、豪快にかぶりつくのが最適だ。
父は今もまだ不満そうなチャーチルと、料理の到着を待つ。すると。
「お待たせいたしました」
「「おお……っ!」」
思わず親子で声を上げてしまうような一品が、やって来た。
皿に盛られたスペアリブは、表面を覆うドライラブによって、見事な赤褐色に焼き上がっている。
ドライラブとは、スパイスやハーブ、塩、砂糖などを混ぜ合わせた粉末状の調味料のこと。
肉を焼く前にしっかりすり込んでおくことで、肉のうまさを何倍にも引き上げる。
どうやら今回は、アメリカンバーベキューのスタイルのようだ。
表面にはスパイスと肉の脂、砂糖が焼けてできた濃い色の皮。
香ばしい肉の匂いに、パプリカの甘み、ガーリックと黒胡椒の刺激的な香りが重なっている。
「父さん」
「ああ……」
それだけで、すでに夢中。
十センチを超えるほどの骨付き肉を手に取ると、二人はそのままかぶりつく。
「「むおおおおっ!?」」
最初に感じたのはやはり、表面の香ばしさだった。
カリッとした皮を噛み砕くと、しっかりとした塩気とブラウンシュガーの甘み、そしてパプリカのほのかな苦みが広がる。
その奥からガーリックとオニオンの旨味がやって来て、黒胡椒とチリの辛味が舌に残る。
そしてその刺激を追いかけるように、甘い脂を含んだ肉汁が口いっぱいにあふれ出した。
ほろっと骨から外れるほど柔らかくなった豚肉からは、噛むほどに肉の旨味と脂のコクが溶け出してくる。
その肉々しい歯応えは、これ以上ないほどに最高だ。
「甘くて、しょっぱい」
「香ばしくて、少し辛い」
濃厚な肉の味を感じた後は、スパイスのキレが後味として残る。
だから、エールが欲しくなる。
二人は思わず、冷えたエールを同じタイミングで一口。
「「はああああああ――――っ!!」」
口の中に残った脂とスパイスを炭酸がさらっていき、苦味が肉の甘味を引き締める。
だから、もうひとかじり。
こうなれば、エールもスペアリブも止まらない。
骨までしゃぶりつきたくなるような濃い肉の旨味に、スパイスで生まれる香ばしさを楽しむこの一品。
マリアのお勧めは、最高だった。
「おいしそう……」
「エマちゃん! こぼれるこぼれる!」
「ああっ!」
それはチラチラとのぞき見していたエマが、思わず涎をこぼしてしまいそうになるほどだ。
「……それにしても、肉を食べている客が多いな」
そんな微笑ましい光景を眺めていた父が、不意につぶやいた。
「レント前だからだろ」
当然のように応えたのは、チャーチル。
父は、思わずハッとする。
「チャーチル。お前は間違いなく成長しているよ。それに、思った以上に需要を見る目もあるようだ」
「だからこそだよ」
父の言葉に、思い出したかのようにため息をつく。
「確かにウィキングは大きな会社だし、協業を続ければ名を上げられるかもしれない。だけど、目の前にある機会を見逃すのは……悔しいんだ」
このまま大きな会社の一端でいれば、チャーチルの店も少しずつ成長していくのだろう。
しかし見つけた新たな可能性は全て『待ち』となり、その取り扱いは誰かが人気を確定させてからだ。
これからも、やきもきし続けるだろう。
「俺は一体、どうすりゃいいんだ……」
つぶやき、カウンターに突っ伏すチャーチル。
ただぼんやりと、店内を眺める。
「やっぱり、『みけ』の紅茶はおいしいな」
聞こえてきたのは、工員トーマスのそんな声だった。
「まったくだなァ」
荷受人夫のアランも、大きくうなずいて賛同する。
酔いによる事故を起こさなくなるだけでなく、覚醒効果まであることが分かり、エールに代わって各職場で推薦されるようになった紅茶。
労働者階級の面々は、錫製のカップと共に茶葉を持ち歩くほどになっていた。
「ただ、この辺で売ってる紅茶はどれもいまいちなんだよね……」
「なあトワイトニングさんよォ、ここら辺にも茶葉の店を出してくれェ」
アランはカウンター席でくつろぐ紅茶商、トワイトニングに語り掛ける。
「悪いが、高級茶商はブランドが命なんだ。安価な紅茶を出せば名前に傷がつくし、大量消費の市場は利益率が低い。それにイーストエッジの流通は雑貨商が担っていて、茶商が入る余地がないんだよ」
「なんだよォー」
「それは残念だな」
不満をあらわにするアランと、残念そうにするトーマス。
「……待てよ」
そんな二人を見て、チャーチルの嗅覚が働いた。
イーストエッジには、港湾労働者や職人階級が非常に多い。
また『みけ』の影響もあり、紅茶が急速に日常の飲み物として広がり始めた地域だ。
彼らにとって紅茶はもはや嗜好品ではなく、砂糖とミルクを入れて飲む日常のエネルギー源、新たな『飲むパン』になっている。
そのため、家庭消費もかなり多い。
「それって、紅茶を扱えば確実に売れるってことじゃないか……!」
見れば『みけ』の客には、ミルクティーだけでなくレモンティーまで楽しんでいる者がいる。
「紅茶は茶葉だけでなく、牛乳やレモンの需要を生み出す商品ってことになる……いや、それだけじゃない!」
紅茶は単品で売れるだけでなく、周辺商品の需要も引き寄せる。
砂糖、牛乳、ビスケット、パン、保存食品に食品雑貨。
紅茶を買いに来る客は、高い確率で他の商品も買っていくだろう。
「紅茶は、『食品雑貨店の中心商品』になり得るんだ……!」
しかもトーマスたちの話を聞く限り、イーストエッジは茶商ではなく、雑貨商が安物の茶葉を雑に売っている状況。
品質のばらつきに、不満を持たれている。
「それなら程よい茶葉を安定的に扱うだけで、雑貨と共に大きく伸びる……!」
身体を震わせる衝動。
それは新たな『未来ある商品』を見つけた時に、チャーチルの中で巻き起こるものだ。
「紅茶だ……」
「チャーチル?」
「父さん、紅茶が来るよ……!」
「なんだなんだ? 一体どういうことだ?」
「イーストエッジ向けの紅茶を中心にした、商売を手掛けるんだよ!」
「それはもう、生地や衣料とは何も関係ない話になるぞ」
父の言葉に、我に返る。
「そうか、そうだよな……」
これでは、ウィキングの時と同じだ。
衝動に突き動かされるままの自分を顧みて、チャーチルは深くため息をつく。
「……チャーチル」
しかし落ち込む息子を見て、父がその肩を叩いた。
「お前は私の元で生地を学び成長した。すでにこの世界で、大手からの協業を受け商品を当てたという実績もある」
何より間近で見てきたからこそ、父はその熱意が本物であることを知っている。
「たくさんの商品を集めた、大きな店を持つのがお前の夢なんだろう?」
「……ああ」
「新しい挑戦をする時が、来たのかもしれないな」
「新しい……挑戦」
「チャーチル、本当にやれるんだな?」
「ああ、やれる! 間違いないよ!」
「それなら踏み出してみろ。こっちの仕事は、私がなんとかする」
「父さん……」
父は笑いながら、その背を力強く叩く。
するとチャーチルは、勢いよく立ち上がった。
「行ってくる!」
夢に向かう父子の姿に、思わず声をかけるのは達也。
「ぜひまたどうぞ。その時は、お祝いをしましょう」
「ああ、その時は頼む!」
チャーチルは衝動に押されるようにして、走り出す。
「おっと、ごめんよ!」
「あらあらあら」
ぶつかりかけたマリアの肩をつかんで、くるっと一回転。
そのまま場所を入れ替わるようにして店を出たチャーチルは、イーストエッジを抜けて、そのままウィキングの店に駆け込んだ。
「ウィキングさん!」
「やれやれ、また新しい事か? 言っておくが、我が社は今のままで十分――」
「紅茶を売るんです!」
「はあ……?」
まさかの言葉に、ウィキングは首を傾げる。
「生地や衣料どころか、今度は食料品か? チャーチル、君は一体何がしたいんだ?」
「皆が欲しがるもの、必要とするものなら何だって!」
ウィキングは変わらぬチャーチルの姿勢に、いよいよ大きくため息をついた。
「……好きにしたらいい。ただし、協業は解消しておくぞ?」
「はい! ありがとうございましたっ!」
すでに悩みはない。
大きな会社との協業を振り切って、イーストエッジへと走り出す。
「こんなチャンス、放っておけるわけがない……っ!」
新たな挑戦を前にチャーチルは、これ以上ないほどに活き活きとしていた。
◆
「はい、いらっしゃい! うまい紅茶ならハローズ・アンド・カンパニー・グローサーズだ!」
チャーチルは勢いのままに、茶葉の良い仕入れ先を開拓。
イーストエッジの一角にあるステップニールに、紅茶を軸にした食品雑貨店を立ち上げた。
「店長さん! ビスケットはどこ!? 砂糖も欲しいんだけど!」
「紅茶と一緒に、チーズを一つもらうよ!」
「はいどうも! ビスケットは向こうの棚、砂糖はここにあるっ!」
予想通り、売り上げは上々だ。
茶葉は薄利だが、数が出る。
何より一緒に売っている食料品が、予想通りよく売れる。
賑わう店内を見ながら、楽しげに笑うチャーチル。
「やっぱり俺には、自分の目と足で商売するのが性に合ってる! そしていつか全ての商品を扱う、でっかい店を建てるんだ!」
新たな一歩を踏み出せば、自然とわき立つ気合。
彼のもとに訪れる新たなきっかけと一世一代の勝負どころは、この時すでに動き始めていた。
誤字脱字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!
ミックスされた香辛料の粉、良いですよねぇ……! 返信はご感想欄にてっ!
お読みいただきありがとうございました!
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