96.続・帰って来たニセ慈善事業家とサーロインステーキ
「なんとしても、上流階級として名を上げたい……っ!」
タウンハウスの豪華な私室で熱く燃えているのは、パーシヴァル・ゴドフリー。
30代中盤ほどの丸々としたこの男は、産業革命という好機に恵まれた新興富豪だ。
そのため『名声』や『家柄』といったステータスが、とにかく欲しくてたまらない。
「それだというのに、我が作戦は停滞の一途ではないか!」
口ひげをいじりながら、忸怩たる思いに駆られる。
「ウォルター!」
「はいはい! なんでございましょうか! パーシヴァルさん!」
駆けつけてきたのは、ひょろりとした同年代の男。
パーシヴァルの長らくの腹心である、ウォルターだ。
「再び『みけ』に向かえ!」
「ぶふぅぅぅぅぅぅ――――っ!!」
まさかの指示に、盛大に噴き出す。
「お前が危険だというから再び調べてみたが、やはりイーストエッジに貴族が店を出しているという事実はない!」
「で、ですが……」
「ならばなぜ、お前が言うような豪華なもてなしができるのか教えてやろう……それは」
「それは……?」
「稼いでいるからだ! あの場所で食堂をやれば、名声を築きながら大きな利益まで上げられるようになるのだろう! そうなればもう、やらない理由はないっ!」
ブリティシアの上流階級は、『高い身分には高い道徳的義務が伴う』という価値観を強く持つ。
そのため新興の富裕層は、伝統的な貴族と肩を並べるために、慈善事業を積極的に行う。
しかしやる以上は稼いでやろうと考えるのが、パーシヴァルという人間だ。
「あの店の成功は、我が理論の正しさを証明しているのだ!」
「やめときましょうよぉ……」
しかしウォルターは、すっかり弱気だ。
パーシヴァルの太鼓持ち一本でやってきたこの男だが、完全に『みけ』を恐れてしまっている。
「だいたい貴族が関わっているのであれば、必ずその情報が入ってくるはずではないか!」
「箝口令をしいているんですよ! 我々は今、虎の尾を軽く踏んでみたり、ヒゲをつんつんしてみたりを繰り返している状態に違いありませんっ!」
密偵として『みけ』の料理技法や、紅茶の作法、食器や食材を見てきたウォルターは、完全に怯えてしまってる。
「ええい! いいから行くのだ!」
「やめましょう! やめておきましょう!」
パーシヴァルはグイグイと引っ張るが、ウォルターはソファーにしがみついて離れない。
「まったく、情けない……」
いくら引っ張っても動かないウォルターに、大きなため息をつく。
「いいだろう! ならばこのパーシヴァル・ゴドフリーが自ら店に向かい、直々にお前の勘違いを修正してやる! そして上流階級の華として、ブリティシアに燦然と輝くのだ!」
パーシヴァルは砂糖をたっぷり入れた紅茶を飲み干して、勢いよくタウンハウスを出た。
行き先はもちろん『みけ』だ。
店にたどり着くや否や、勢いのままにドアを開いてみせる。
「いらっしゃいませー!」
駆けつけたのは、今日も元気なエマ。
(そら見た事か! 確かに客層は多少は混ざっているが、店員も町娘ではないか!)
カウンター席に陣取ったパーシヴァルは、早くも余裕を見せる。
「ご注文はどうしますかっ!」
さっそくメニューを確認してみると、いきなり目につく料理を発見。
(ほう、サーロインステーキがあるのか。やはり……儲かっているに違いない!)
余りのおいしさに感動したかつてのブリティシア国王が、肉に対して貴族の敬称である『Sir』の称号を授けたという、至上の部位である『Loin』は、腰肉のこと。
それはもちろん上流階級たちの、ちょっとした御馳走となっている。
「レントも近いしちょうど良い、サーロインステーキをもらおうか」
「はいっ! とってもいいと思いますっ!」
そんな御馳走の注文に、うっかり感想を述べてしまうエマ。
「焼き加減は、どうします?」
たずねたのは達也だ。
しかしブリティシアに、焼き具合の細かな『分類』はない。
「任せよう」
「分かりました。飲み物はどうします? 今日は赤ワインがありますよ」
「ならば、もらおうか」
「はい、銘柄はカベルネ・ソーヴィニョンです」
(やはり、この店は稼いでいる! サーロインとワインがその証拠だ!)
パーシヴァルは、あらためて店内の様子を確認。
労働者街の店にしてはかなり綺麗な店内に、確信を深めながら料理の到着を待つ。
「お待たせいたしましたーっ! こちらサーロインステーキになりますっ!」
するとエマが目を輝かせながら持って来たのは、今もまだ焼き音を鳴らしている一枚肉。
皿に乗ったサーロインステーキは、香ばしい匂いを立ち上らせている。
「ごくり……」
目の前にすれば、その見事な焼き具合にノドが鳴る。
しっかりとした焼き色のついた肉にナイフを入れると、切り口から肉汁がにじみ出し、焼き上がった脂が艶やかに光り出す。
そして表面の焼き目の下に、薄いピンク色の肉が見えた。
「おお……っ」
硬くなってしまうほど火は通さず、しかしレアのような生っぽさもない。
程よい焼き加減だからこそ見られる美しさに、こぼれる感嘆。
(ウォルターが恐れる店の料理、しっかりと確かめてやろう)
そう決めて、口に入れる。
「むうううっ!?」
程よく焼かれた表面の肉々しい弾力を、確かに感じる。
しかし一度歯が潜り込んでしまえば、そこから先は柔らかだ。
焼いた肉特有の香ばしさが鼻を抜け、直後に牛肉らしい濃厚な旨味が広がった。
サーロインの脂は熱でとろけており、赤身の味わいに脂の甘みが重なる。
それが口の中ですっと広がれば、最後にはしっかりとした肉の風味が残る。
(噛めば噛むほど、肉汁と旨味がじわじわと染み出してくるのがたまらない……っ!)
特に脂身の多い部分は、赤身とは違う濃厚な味わいがある。
焼けた脂から香ばしさが立ち、噛めばその甘みが口いっぱいに広がる。
その脂を赤身の力強い牛肉の味が受け止めることで、ひと切れの中で二つの味わいが重なりうまさを増す。
香ばしい焼き目、薄いピンク色を残した柔らかな中心部分、そしてサーロインならではの脂の甘み。
(これこそまさしく、肉の旨さを正面から味わえる最高のステーキだ!)
わずか一口で、虜になってしまう至高のうまさ。
もう一切れ味わったところで、付け合わせに視線を向ける。
アスパラの、ガーリックバターソテー。
薄く焼き色のついたアスパラから濃厚なバターと、ニンニクの食欲をそそる香りが届く。
そこにステーキを焼いて出た、牛肉の旨味を含んだ肉汁が絡み、ただの野菜炒めとは思えないほど深い香りに仕上がっている。
(ほう、これも見事だな!)
噛むほどにアスパラ特有の穏やかな青みを持つ甘さが広がり、そこへガーリックバターのコクと、肉汁から染み出した牛肉の旨味が混ざる。
コリコリとした瑞々しい歯応えは、肉との食感の違いを楽しませてくれる。
「ああ、これもうまい……」
――――しかし。
「このほのかな甘さが……ア、アスパラだと……ッ!?」
パーシヴァルはここで、驚きに目を見開いた。
(ちょっと待て! アスパラは今、完全に季節外……! この時期に出せるのは、ごく一部の上流階級のみだ……っ!)
ブリティシアの上流階級の行き過ぎた見栄の張り方に、収穫期ではない野菜を出すというやり方がある。
それはキュウリと同様、『温室栽培ができるほどの経済力』を見せつけるためのものだ。
アスパラは当時唯一『手で食べる』ことが認められていた野菜であり、指先にはめて1本ずつ摘まむための、小さな個人用トングが開発されていた。
また転がってしまわないように、溝が入った専用の皿まで作られるほど特別なものだった。
(そんなアスパラを……ステーキの付け合わせにするのかっ!?)
途端に、変わり出す空気。
ゴクリと息を飲みながら、辺りを見回してみると――。
「なっ!?」
家族客の子供が食べていた、お子様ランチに目が留まる。
そこには小さなフルーツの盛り合わせ。そして。
(あ、あれは、メロンじゃないか! なぜ、一般家庭の子供が……っ!?)
ブリティシアでは育たないその果実も、温室での栽培が必須。
園芸協会などの品評会で賞をとることは、最高のステータスとされている。
これにはさすがに、驚愕を禁じ得ない。
(……い、いや違う! 『稼いでる』という自分の予想が、正しいと証明されただけだっ!)
わずかに震えながら、ワインに手を伸ばす。
赤ワインはコクと共に渋みを持ち、肉のしっかりした脂を上品に洗い流してくれる。
そのため赤身肉のコクや、脂の甘みを引き立てるのに最高だ。
飲む度に肉の食感が恋しくなるのだから、ステーキを食べる手は自然と止まらなくなってしまう。
「はぁぁぁぁ……」
最高の食事の最後に、飲み干すワイン。
思わずうっとりとした吐息をもらした瞬間、今度は手にしたグラスを見て気づく。
(……待て。何だこの見事なカットグラスは?)
達也の祖母がそろえた切子のグラスは、目を見張るほどに美しい。
美しいカットグラスは、今まさにブリティシアで広がりつつある上流階級のトレンドだ。
(これまで見たどの高級品より完成度が高い。しかも……これだけの数をそろえているだと……!?)
しかもブリティシアには、ガラスの重量に応じて課税される『ガラス税』が存在する。
見栄のために所持する美しいグラス。
そんな特別な器が棚にズラッと並んでいる光景に、目が離せない。
(ち、違う……違う違う違うっ! これは稼げているからだ! この店に貴族とのつながりなどないんだっ!!)
「うふふ、ワインもおいしそうですねぇ」
「っ!」
聞こえてきたのは、マリアのそんなつぶやき。
必死に首を振るパーシヴァルだが、見ればテーブル客に完璧な作法で紅茶を注いでいる。
「――っ!?」
その横には、極東の美しい伊万里焼きを運ぶエマ。さらに。
「どうでしたか? フルボディのソーヴィニヨンは、コクや程よい渋みが肉に良く合うでしょう?」
「っ!!」
どこか得意げに語る達也に、いよいよ目を見開く。
ワインの説明ができるのは、上流階級ならではのステータスに他ならない。
(ち、違う、違ぁぁぁぁうッ!! これは稼げているからだ! この店には、背後についている貴族などいないんだぁぁぁぁ――ッ!!)
「……えっ」
そう自分に言い聞かせたところで見えた、達也のエプロン。
その胸元には、キツネの刺繍。
(キツネの、紋章……?)
パーシヴァルは、最高速で記憶をたどる。
そして、たどり着いた。
(キツネの紋章を使っているのは確か……イルムチェスター伯爵家だ!! その役職は――――枢密院顧問ッ!!)
その瞬間、これまで見てきた『みけ』の異常の全てがつながる。
(ならばただの貴族などではない! 国王の諮問機関にすら連なる、大物ということになるぞ――ッ!!)
「あ、ああっ、あああああああ――っ」
突然背中に感じ出す、寒気。
国王にすらつながるような店に、自分たちの汚い野望を知られたら……終わりだ。
ガタガタ震えるパーシヴァルをしり目に、達也はあらためてワインのボトルを確認する。
「……すみません」
「な、なにがですっ!?」
「ワインですが、カベルネ・ソーヴィニョンではなくカベルネ・フランでした」
酒類は詳しくないのに、ちょっと『知っている風』を出してしまった達也は、苦笑いしながら告げる。
「――――忘れてください」
「っ!?」
(……き、気づいたことは全て『忘れろ』と、そういうことかッ!?)
思わず顔を上げれば、(ステーキがおいしそう過ぎて)ナイフ片手に涎を拭くエマ。
提供するためのフォークを手に、ギラリとした目で(ワイングラスを)見つめてくるマリア。
そして、包丁を持って(気恥ずかしさに)笑う達也の顔があった。
「お、おおおおお、仰せの通りに――――ッ!!」
もはやパーシヴァルにはそれが、刃を閃かせる暗殺者たちにしか見えない。
勘定をカウンターに乗せると、大慌てで店を駆け出していく。
「本日はありがとうございましたッ! ししし失礼いたしますぅぅぅぅ――――ッ!!」
夜の街を、そのまま全速力。
転がりそうになるほどの慌てぶりでタウンハウスに逃げ帰り、しっかりとドアを閉める。
「パーシヴァルさん……?」
そして様子を見に来たウォルターを見つけると――。
「あの地域に店を出すのは止めだ! そして、全てを忘れろっ!」
その襟首をつかんで、がくがくと揺さぶる。
「さもなくば……喰われるぞ――――ブリティシアの闇にぃぃぃぃッ!!」
「はひぃぃぃぃぃぃ――――っ!!」
こうして二人の悲鳴は、首都ロンドールの夜空に響き渡ったのだった。
ご感想いただきました! ありがとうございます!
肉の桃色の部分を見るとたまりませんね……! 返信はご感想欄にてっ!
お読みいただきありがとうございました!
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