91.新たな挑戦とビーフストロガノフ
「失礼します」
開店前の『みけ』に、二人組の男がやって来た。
「いらっしゃいませーっ! ごめんなさい、開店時間はまだ……あれ?」
エマは見知った顔を見て、首を傾げる。
「ロベルトさん! エミールさん!」
「やあ」
すでに常連と化しているエミールは、慣れた感じで片手を上げてみせた。
「どうぞ」
達也が席を進めると、二人はそのままカウンター席に腰を下ろす。
「今日は、どんな用件で?」
GNWR鉄道のロベルトと、フランク王国出身の料理人エミール。
達也がたずねると、さっそく要件の説明が始まる。
「実は、お願いがあってやってきました」
ロベルトはそう言って、咳ばらいを一つ。
「我々の業界は、今も続々と新たな参入が続いています。まさに鉄道狂時代と言えるでしょう。競合がひしめくこの現状。我が社が確固たる地位を得るために、再び力を貸していただきたいのです」
「っ!」
その言葉に反応したのは、元令嬢マリア・フローリスだ。
「ぜひ、参加させてください……!」
真剣な面持ちで、名乗りを上げる。
ずっと感じていた、可能性のような何か
ロベルトの持ち込んで来た話は、大きく心をうずかせる。
「もちろん、こっちは構わないよ」
エミールも、楽しそうに応えた。
「前回の期間限定メニューは話題になり、大好評を博しました。そこで今回も、鉄道と食を組み合わせた企画を続けたいと考えています」
語られる内容は、前回の企画の第二弾だ。しかし。
「うまくいけば、今後も我が社のブランド商品として定期的に販売していきたいと思っているんです」
どうやら今回は社名を冠した商品として、販売を続けていきたいという話のようだ。
「もちろん人気ぶりを見て、なんだよね?」
「はい。ですが売り上げだけでなく、内容を含めてですね。その上でどちらか一品を選ばせていただきたいのです。売り上げはお二方のもので構いません。こちらとしてはその新商品と、契約を結ばせてもらえれば」
「いいね、僕はやるよ」
「私もぜひ、参加させていただきたいです」
ロベルトの持ち込んできた企画に、二人はそろって参加を表明した。
「ありがとうございます。販売の日時などは追って連絡いたします」
話がまとまると、忙しそうに店を出ていくロベルト。
「今回は敗けないよ。最高の料理で勝負だ」
エミールもすぐに、その後を追うようにして退店した。
「定期的に販売したいとなると、ブリティシアで手に入れられる食材が良さそうだな。そうなると、おにぎりは難しい」
それが、話を聞いていた達也の見解。
前回と同じ形でも、十分評価は受けられるだろう。
しかしブリティシアは、そもそも米の流通がほとんどない。
そのためおいしいおにぎりが作れる極東産の『短粒種』を求めるとなれば、大きな手間が生まれてくる。
ロベルトの言う『内容を含めて判断』というのは、こういった部分だろう。
「何か、方向性とかは考えてる?」
問いかける達也。
するとマリアは不意に、店内を見渡すようにした。
「……『みけ』にいて、気づいたことがあるのです」
「気づいたこと?」
「『みけ』のお客さまは、お店の料理を食べることを楽しみに来店しています」
栄養補給のための『義務メシ』が常識のブリティシアで、食事そのものを楽しみに来店する。
それはロンドールでは、なかなか見られない光景だ。
「中でもサンドイッチは、仕事の休憩時間などに食べるもの。それでもその瞬間を楽しみにして、買っていくのです」
言葉にするほど、マリアの中で可能性が大きなものになっていく。
「これから鉄道に乗るから、長旅だから食べておくのではなく、鉄道に乗る時の楽しみにできる料理ができないかなと……」
「なるほど……そういうことか」
「『みけ』でのお仕事を続ける中で、いつの間にかそんな思いが生まれていたんです」
「……良いと思う」
達也はそのアイデアに、素直に賛辞を贈る。
また実際に使えそうな料理が、いくつもある。
「それならまずは、どの食材がブリティシアで手に入るかの確認。そして、もっと料理の練習が必要だな」
「はい、がんばります……っ!」
おにぎり以降も、様々な調理補助を始めていたマリア。
来たるべき日に向けて、新たな料理への挑戦を決めたのだった。
◆
「あらあら、もうこんな時間。急がないと」
ロンドールの魚市場であるビリングゲートを出た、マリアは走る。
その足で向かうのは、肉や青果を扱うスピタスフィールズ市場だ。
「君がマリアさんだね」
声をかけてきたのは、人気屋台の店主である中年男性テッド・パーマー。
「これは市場の食材をまとめたメモだ、持って行ってくれ」
「ありがとうございます」
「『みけ』のためなら、これくらいお安い御用さ」
一度は『売り場』を追い出されたテッドだが、達也のコロッケで息を吹き返した。
それからはずっと、好調そのものだ。
「また店の方にも、行かせてもらうよ」
「はい、お待ちしております」
丁寧に頭を下げて、マリアは再び走り出す。
自分で名乗りを上げた以上、ブリティシアで使える食材はしっかり把握しておきたい。
そのため今日は、二つの市場を駆けて回った。
そして、これから向かうのはキッチン・みけだ。
ドアを開くとちょうど、開店のタイミング。
「注文をいいかな?」
「はい」
マリアは息を整えながら、『みけ』の仕事に入る。
「そうだな、紅茶とペペロンチーノをいただこうか」
「かしこまりました、少々待ちください」
「おーいマリアさん、こっちもオーダー頼む」
「はい、ただいま」
上流階級客のもとから、続けて休み時間の職人たちのテーブルへ。
今日もエマと共に、慌ただしく立ち回る。
「マリアさん、紅茶の提供をお願い」
「はい、すぐに向かいます」
「それで……どうだった?」
「テッドさんが、とても親身になってくれました」
達也の問いに、笑顔で応えるマリア。
ここ最近の日課だった市場の食材調査は、一つの料理にたどりついた。
「ブリティシアに流通する食材で作れる料理、やはりこれが一番かなと思います」
「分かった。こっちも用意をしておくよ」
「よろしくお願いいたします」
「マリアさん、無理はしないでくださいね?」
「ありがとうエマちゃん、大丈夫よ」
エマが心配そうにするのも、無理はない。
最近のマリアは、午前中に調理の練習。
それから市場調査に向かい、そのまま帰ってきて『みけ』の店員として接客。
そして仕事が終われば調理の復習をして、依頼の料理をどういう形で提案するか考える。
そんな日々を送っている。
昨夜も家には帰らず、エマの部屋に泊まって試行錯誤を続けていたほどだ。
「ごちそうさん」
「ありがとうございました」
それでも、いつもと変わらぬ笑顔で続ける接客。
「マリアちゃん。ここからは余裕ができる時間帯だし、休憩を取ってきてくれ」
「はい、ありがとうございます」
マリアは紅茶と、達也が用意してくれた小ぶりなサンドイッチを手に階段を上がる。
そして三階の部屋に着くと、一つ息をついた。
そのまま何となくベッドに横たわると、遠く聞こえてくる一階の喧騒。
静かに一人、マリアは目を閉じる。
「いらっしゃいませーっ!」
新たな来客を、エマが満面の笑みで迎え入れた。
「こちらのお席へどうぞ!」
男は一つため息をつくと、カウンター席に腰を下ろした。
(ここが、娘の働く料理店……)
男の名は、アルバート・フローリス。
マリアの父親だ。
元々上流階級の生まれであり、貿易商を営んでいた彼にとって、労働者街の料理店は未知の空間。
ただ一つ確かなことは、淑女の立ち寄るような場所ではないという共通認識。
そんな料理店で働く娘が、家に帰らないほど忙しそうにし始めたとなれば、心配になるのも当然だ。
アルバートはいよいよ居ても立っても居られず、自ら『みけ』にやって来た。
「ご注文はどうしますかっ?」
「……店主のお勧めを頼むよ」
「はいっ。達也さん、お勧めをお願いしますっ」
「はいよ」
男の正体を知らない、達也とエマ。
アルバートは店内に娘の姿がないことを確認すると、静かに料理の到着を待つ。
(店の状態や店主次第では、マリアを連れて帰らなくては……)
あらためて覚悟を決め、大きく深呼吸を一つ。すると。
「お待たせいたしましたーっ! こちらビーフストロガノフですっ!」
「……っ」
アルバートは、わずかに目を見開いた。
薄切りにされた牛肉と、アメ色に炒められたタマネギ。
そしてマッシュルーム。
それらをたっぷりと内包したソースが琥珀色なのは、白く滑らかなサワークリームによるものだ。
炒めた牛肉とタマネギの香ばしさ、バターときのこの豊かな匂いに混ざって鼻を抜ける、かすかな酸味。
ビーフシチューとの違いはなんと言っても、生クリームを発酵させて作るサワークリームが生み出す影響だろう。
「どれ……」
アルバートはたっぷりとソースをまとった薄切り肉を、フォークで口に運ぶ。
「お……おおっ」
思わずもれる感嘆。
柔らかな牛肉は薄切りゆえに、口内で自然と開いていく。
するとその旨味も同時に、濃厚なソースと共に力強い味わいを広げていく。
重なる肉の食感を歯で楽しむほど、感じられる肉の風味。
そこにやってくるのは、タマネギの甘みだ。
ソースの中でじっくり火を通されることで辛味がすっかり抜け、柔らかくとろりとした食感になっている。
「牛肉の濃い旨味に自然な甘みが加わって、素晴らしい味わいを演出しているじゃないか……」
そして忘れてはいけないのが、マッシュルーム。
くにっとした弾力を歯が感じた後、きのこ特有の芳醇な風味が広がった。
牛肉とは違う方向の旨味が加わることで、ソースに奥行きを生み出している。
「タマネギの柔らかさとは違った食感が、何とも心地よい……」
ここであらためて、サワークリームを含んだソースを味わってみる。
濃厚なソースに溶け込んだ白い生クリームは、驚くほどまろやかな味わいを創出。
乳製品らしいコクが加わる一方で、程よい酸味が牛肉の脂とソースの濃厚さを、見事に引き締めている。
「クリーミーだがくどくない。この絶妙な酸味があるからこそ、次の一口にも自然と手が伸びるのだな……素晴らしい」
「パンと一緒でも、おいしいですよ」
言われて、辺りを見回してみる。
すると同じくスープ料理に、パンを押し付けて食べる客の姿が見えた。
もちろん上流階級では、そのような真似はしない。
少し悩んだ後、アルバートは覚悟を決めるようにしてパンを手に取った。
「……どれ」
まだ温かいパンをちぎって、皿のソースへ軽く押しつける。
そして琥珀色のソースがパンの柔らかな部分に染み込んだところで、口に運ぶ。
「っ!?」
牛肉の濃厚な旨味、タマネギの甘み、マッシュルームの豊かな香り、そしてサワークリームの爽やかな酸味。
全てが溶け合った、濃厚でまろやかなソース。
「うまい。小麦が香ばしいパンの風味に、ピッタリだ……」
一見すると重厚な料理なのに、濃厚なコクに爽やかな酸味が混じることで生まれる『もう一口』の感覚。
それは、ビーフストロガノフならではの満足感だった。
「店主。どうしてお勧めに、この料理を?」
華やかとは違うが、小さな贅沢といった風情がある家庭的な一品。
今も驚きの中にあるアルバートは、達也に問いかけた。
「少し、お疲れのように見えたので」
「……そうか」
疲れていても食が進むように、酸味のある料理を選ぶ。
鋭い指摘に、思わず面食らう。
「……私はかつて貿易商をしていたのだが、職を失ってしまってね。今は慣れない仕事を続けているんだ。そのせいで娘を働きに出さなくてはいけなくなってしまった」
懺悔するように、アルバートは言葉を続ける。
「我が子のために現状を変え、かつての生活を取り戻したい。そう思っているのだが、今の仕事ではどうしようもない。それが……悔しくてね」
静かにうなずいてみせる達也。
娘のために大きな邸宅を取り戻し、上流階級に返り咲く。
そんな願いは、現状では遥か遠い夢だ。
「それにしても……この店は変わっているね。同じ場に違う階級の者が集まって食事をすることは、めずらしい。それなのに、ここではそれが当たり前のようだ」
「今は休憩に入っていますが、素晴らしい素養を持った店員がいるんです。その子が架け橋になってくれてるんですよ」
「……店主。その子は、どうしている?」
アルバートは、真剣な面持ちでたずねる。
「最近は新しい挑戦のために忙しくしていますけど、すごく楽しそうですよ」
「……っ」
『――――はい、とても楽しいです』
達也の話を聞いて、不意に思い出した言葉。
それは先日の帰り道、マリアから聞いたものだ。
(……店主は良い人間で、店は料理も雰囲気も素晴らしい)
見れば注文をさばいているエマも、ずっと楽しそうにしている。
アルバートはここに来てようやく、安堵の息をつくことができた。
(それでも……いや、だからこそ今の内に以前の暮らしを取り戻してやりたい)
楽しく働けている間に、何としても。
(何よりマリアもきっと……それを望んでいる)
そんな気持ちを、新たにしてアルバートは立ち上がる。
「……ありがとう店主、見事な料理だったよ。何より、良い店だ」
「ありがとうございます」
「ありがとうございましたーっ!」
達也とエマにそう言い残して、店を後にするアルバート。
『みけ』のドアが閉まると、階段を降りてくる音が聞こえてきた。
入れ替わるようにやってきたのは、休憩を終えたマリアだ。
「すみません、ウトウトしてしまって」
「髪、立ってますよっ」
「あら、ありがとう」
エマに直してもらうと、またすぐに普段と変わらぬ笑顔で始める接客。
「すいませーん、パンのお代わりを」
「はい、かしこまりました」
両親のために。
今も強く感じている可能性を胸に、マリアはこの日も優雅な立ち回りを見せた。
ご感想いただきました! ありがとうございます! 返信はご感想欄にてっ!
ビーフシチューとの主な違いは薄切り肉、マッシュルーム、サワークリーム!
お読みいただきありがとうございました!
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