49.夜間学校とニラレバもしくはレバニラ
「それではヒュー君、この問題の答えは?」
「……分かりません」
ヒュー・マーリンの答えを聞いて、演壇の先生は眉根にしわを寄せた。
「覚えるだけで答えられる問いだよ? どうも最近少し、集中できていないようだね。成績も下がっているみたいだし」
「す、すみません」
油ランプからガス灯に代わったとはいえ、まだまだ薄暗い夜間学校の教室。
ヒューは先生に頭を下げて、席に着く。
「今日はここまでとする、各自しっかり復習をしておくように……いいね、ヒュー君」
「……はい」
授業を終えた先生は、教室を後にした。
レンガ造りの綺麗な講堂。
蒸気機関の原理や力学を学ぶための学校では、生徒はまずスレート版と呼ばれる薄く割った粘板岩に、石灰チョークで図や表を書く。
それは持ち運び用の、小型な黒板のようなもの。
帰宅後にそこから大事な部分だけを抜き出し、質が悪い割に高価な紙で作ったメモ帳に、書き移して復習するというのが定番だ。
ヒューは立ち上がると、黒板の前へ。
そこに書かれた内容を、スレート版に書き写す。
そして席に戻ってから、あらためて黒板に目を向けてみる。
「なんでだろう。やっぱり文字が見えづらい……」
ため息と共に、こぼれる言葉。
ここしばらく、どうにも『見える日』と『見えない日』がある。
そのため見えない日は文字を見ることに意識を集中してしまい、授業の内容が頭に入ってこない。
「最近は特に見づらいし、そのせいで問題が解けてない……参ったな……うわっ!?」
教室を出ようとしたところで、まさかの転倒。
「まただ……」
さらにここ数日は、暗い場所でつまずくといったことも多くなっている。
一体自分はどうしてしまったのか。
だが、ゆっくりと考える時間はない。
なぜなら明日も朝から、工場での仕事があるからだ。
ヒューは悩みながらも一人、足早に夜間学校を後にした。
◆
やや細長い、レンガ造りの二階建て。
同じ顔つきの家が何軒も横並びになっている区画の一つに、ヒューは両親と共に住んでいる。
「ヒュー、調子はどうだ?」
昼の工場仕事の後、持ち出すのを忘れていたスレート版を取りにきたヒューに、父が声をかけてきた。
「悪くないよ。だから父さんも仕事は無理しない程度にね」
「あなたもよ、ヒュー」
「……もちろんだよ、行ってくる」
母の言葉に笑って応えるヒューだが、父が以前ほど働けなくなっていることに気づいている。
どうやら思ったより、体力の衰えが来ているようだ。
最近は辛そうにしている姿を、よく見かける。
労働者階級の中では上位層となる、技師の家庭。
ヒューも父のように技術者を目指し、働きながら夜間学校に通うという選択をした。
食べることには困らない環境。
学ぶことができる現状のありがたさを知っているからこそ、しっかり学んで両親を少しでも楽にさせたい。だが。
「大丈夫……大丈夫なはずだ」
最近の不調を思い出して、口を突く言葉。
この後は、夕食を食べつつ夜間学校へ向かうのみ。
普段なら続く屋台で適当にパンの一つも買って食べるのだが、今日はその限りではない。
「参ったな……どうして見えない日があるんだろう」
夜になると始まる視力の低下に、下がる成績。
突然生まれた問題が、ヒューを悩ませる。
このままでは、知識や技術を身につける前に父の限界が来てしまうかもしれない。
「おにいさん、ウナギはどう?」
ウナギのゼリー寄せを売る屋台の店主がかける声も、聞こえない。
「おにいさん? おにいさん!?」
ヒューはそのまま一人、屋台の並びを通り過ぎてしまった。
「……あれ?」
夕食を取りに来たはずが、気づけばそこに屋台の姿はなし。
仕方なく、踵を返そうとしたところで――。
「初めて見る店だ」
見えたのは、得意げに歩くキツネの看板が目に付く一軒の店。
「今日は、この店にしてみようか」
ヒューはそのまま、店のドアを開く。
「いらっしゃいませーっ!」
「いらっしゃい」
さっそく駆け寄ってきたエマの案内で、ヒューはカウンター席に腰を下ろした。
「はあ……」
来るなりため息を吐いたヒューに、達也は自然と目を向ける。
「やっぱり、これくらい明るければちゃんと見える」
そう言って、持ち出してきたメモを見直す。
「せめては復習は、いっぱいしておかないと……」
さっそくメモの束を読み漁りながら、難しい顔をするヒュー。
「わ、たくさんのメモ」
それを見たエマが、驚きの表情を見せた。
「ああ、ごめんね。この時間でも、ここでなら良く見えるから」
「よく見える?」
達也がたずねると、ヒューは最近の悩みを語り出す。
「昼間は問題ないんだけど、日によって夜になると見えづらい時があって……」
「なるほど……」
そんなヒューの話を聞いた達也は、考える。
「最近、ニンジンやチーズなんかは食べてるか?」
「いや。ジャガイモのスープとパン、塩漬け肉ばっかり食べ続けてるよ」
「……もし良かったら、今日のメニューは決めさせてもらっても?」
「え? 別に構わないけど……どうして」
「その症状に効くかもしれない料理を知ってるんだ。少し癖のある食材だから、合わなければ追加料金なしで別のものを用意するよ」
「分かった。頼むよ」
それは願ってもない話。
ヒューは言われるまま了承した。
そして再びメモを見返しながら、料理の完成を待つことにする。
するとしばらくして、エマが料理を持って来た。
「お待たせいたしましたーっ! こちらニラレバ炒めになりますっ!」
「これは……」
艶めくレバーは光を受け、表面に薄くまとった油膜が輝いている。
立ち昇る湯気の隙間から飛び出しているのは、鮮やかな緑のニラ。
そのしなやかな葉先は、炒められたことで深い緑に変わっている。
濃い色味の一品に、もやしの白さが入ることで生まれる軽やかさ。
皿の底には炒め油と調味料が混ざった、うまそうな琥珀色のタレが広がっている。
見た目は確かに、食欲をそそる一品だ。しかし。
「……レバーか」
ヒューは思わず、顔をしかめた。
牛や羊のレバーは圧倒的に安価であり、肉として下等の扱いを受けている。
なぜなら産業革命にあるブリティシアのレバーは、達也の国のものよりずっと臭く、硬く、血の味が強い。
それはもう、別物と言っていいほどの差がある。
またレバー特有の臭みは、ブリティシアの弱い調理法では消しにくい。
そのためタマネギと一緒に炒めることで、『何とか食べられるものにする』というのが一般的だ。
これは労働者たちにありがちな、『仕方なく食べる』料理の最たるものと言えるだろう。
「そ、それじゃあ……いただきます」
それでも作ってもらった以上、一口も食べずに断ることはできない。
ヒューはあの嫌な風味を思い出しながら、恐る恐る口に入れる。
呼吸を止め、眉間にしわを寄せながら噛み続けていくと――。
「あれ……?」
思っていたものとはまるで違う味わいを感じて、驚きの声をあげた。
ごま油と醤油ベースの甘辛ダレがふわっと広がり、食欲を刺激する。
そこにガツンとくるのが、ニンニクのパンチと生姜のキレだ。
レバーはしっとり柔らかで、クセが強すぎない。
見事な下処理によって嫌な苦味はなく、むしろ旨みの方が前に出てくる形だ。
甘辛ダレと、ニンニクの濃厚な旨味に絡むことで、レバーのコクがグッと深くなっている。
ニラはシャキッとした食感を残していて、噛むたびに青い香りが広がる。
そこにタレをしっかりまといつつも水分を含んだもやしが一緒になることで、ニンニクのパンチやレバーの濃さを、ちょうどよく和らげてくれている。
「……うまい! うまいぞこれっ!」
そのおいしさを確認するように、何度も口に運ぶ。
もちろん、クセがないわけではない。
だがそれが『嫌な感じ』はなく、むしろおいしくすら感じる。
気付けばヒューは、夢中でニラレバを食べていた。
「これはいい! レバーがこんなにうまいなんて信じられないっ!」
いよいよ皿を手に持ち、直接かきこんでしまう。
それ程にうまい。
「あ、あの……っ!」
すると口をあんぐりさせながら、ヒューの食べっぷりを羨ましそうに見ていたエマが、うっかり手に持っていたフォークを慌ててポケットにしまいながら声をかけてきた。
「お酢をかけても、おいしいんですよっ!」
「ビネガーを……?」
すでに十分うまいこの料理に、酢をかける。
大きな変貌を遂げてしまいそうな話に、わずかに困惑するヒュー。
しかしエマの表情があまりに真っ直ぐだったため、言われるまま酢をかけてみることにした。
それはブリティシアの定番であるモルトビネガーとは違う、黄みがかった透明な液体。
しっかりからませて、あらためて一口。
「お、おおおおお――っ! これもうまいっ!!」
さっきまでとはまた違う味わいに、思わず声が出る。
酸味の加わったニラレバも、最高だ。
「しっかり料理しても好き嫌いの出る食材だから、おいしく感じられるなら良かった」
そう言って、安堵を見せる達也。
「うめぇよな、ニラレバ……いやレバニラだったか?」
首を傾げているのは、テーブル席にいた荷受人夫のアラン。
「レバニラ、ニラレバ……あれ、どっちでしたっけ?」
どちらもしっくりくる呼び名ゆえに、エマも首を傾げ出す。
「どっちでもいいよ」
達也はそんな二人に、苦笑いを浮かべる。
元々は『韮菜炒牛肝』という料理のため、順当に考えればニラレバとなる。
しかし達也の国では、とある人気アニメの登場人物が「レバニラが好物」だと言ったことでその名が拡散。
そのまま名称として定着したという、異色の経歴を持つ料理なのだ。
「こいつは『みけ』のエールと一緒でも最高にうまいんだ、今度試してみてくれよな! 店主も!」
「はい、価格三百倍」
「……しまった! で、でも好き嫌いの出る食材なのに、こんなに夢中で食べさせちまう店主の腕は、やっぱ最高だよな! 間違いない!」
「元通りで」
「いよォォォォ――しっ!!」
すっかり定番になってきた、アランのエールいじり。
二人の軽快なやりとりに、ヒューにも笑う余裕が生まれてきた。
「でも店主さん、どうしてレバーを?」
「症状の改善に、特別よく効く食材だからだよ。夜盲は栄養の問題である可能性も高いから、これからはニンジンやかぼちゃ、チーズなんかも食べてくれ。数日ほどで改善してくるはずだ」
「なるほど、そういうことか……」
光を感じるために不可欠な体内物質には、ビタミンAが必要。
よって栄養の不足による夜盲症は、その不足によって起きる。
栄養価という考え方などない、ブリティシアの労働者たち。
偏った食事は各地で、このような不調を巻き起こしている。
「ありがとう店主さん。俺、がんばってくるよ」
そう言って、立ち上がるヒュー。
「ぜひまたどうぞ」
「ありがとうございましたー!」
「今度は一緒に、エールで一杯やろうぜ! 店主も!」
「はい四百倍」
こうして達也たちは、努力を続けるヒューの背を笑顔で見送るのだった。
◆
「店主さん、今日もニラ……レバ? レバニラを頼むよ!」
「……まだ、見えないのか?」
連日の注文に、達也もさすがに心配そうな表情を見せる。
「いや、おかげでしっかり見えてるよ!」
しかしヒューは、そう言って笑う。
『みけ』でニラレバを食べつつ、ニンジンやチーズもしっかり摂取する日々。
すると達也の言う通り、暗所で見えにくいという問題は解決した。
それでもヒューが『みけ』に通う理由は、一つだけだ。
「ただあのレバ……ニラレバが、食べたくてしょうがないから来たんだ! 店主さん、ニンニク強めで頼むよ!」
「……はいよ」
安堵を見せながら、調理に入る達也。
「ニラ……レバニラのおかげで勉強の方も好調なんだ! これなら……できるかもしれない!」
「何か、やりたいことがあるんですかっ?」
そんなエマの問いに、ヒューは笑顔で応える。
「できるなら、父さんと一度一緒に働いてみたいと思ってるんだ!」
「それはいいですねっ」
「……ああ、すごく良い目標だ」
達也も懐かしい『みけ』での日々を思い出して、うなずく。
生まれた、新たな夢。
そのために昼は働き、夜には勉強という忙しい日々に、負けずに挑み続けるヒュー。
「ありがとう店主さん! 俺……がんばるよ!」
達也は、静かにうなずいてみせる。
問題と悩みを同時に払しょくしたヒューは、その成績を上げていく。
そしていつの日か父と共に働き、両親を助けられるような人間へと成長していくのだろう。
誤字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!
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