1.労働者と豚の生姜焼き
今まさに、栄華の時を迎えている大国ブリティシア。
各大陸へと向かう貿易船が途切れなく行き交うこの島国は、活気に満ちている。
それを支えるのは、紡績を始めとした機器の大きな発達だ。
だが始まった産業革命が生み出した大量の仕事は、労働者の勤務時間を激増させた。
「今日は特に忙しかったな……」
建ち並ぶ、赤いレンガの工場たち。
その煙突がもくもくと煙を上げ、大量の積み荷を乗せた馬車が石畳の道を急ぐ。
そんな首都ロンドールの東端。
製織工場で働く二十歳ほどの青年、トーマスがため息を吐く。
バランスよく整えた茶髪に、しっかり閉じた白シャツのボタン、ベージュのズボンはサスペンダーで持ち上げる。
真面目な性格をした彼は、仕事に対しても几帳面。
友人にはよく「ちょっとくらい手を抜いてもいいんじゃねえか?」と言われるが、それができない。
そのため、人より疲れを抱えがちだ。
「何か、食べておかないと」
休日という概念のない労働者たちは、常に疲労困憊。
確かに腹が減っているはずなのに、今夜は食べる気力が出てこない。
だがそれでは、明日を乗り切れない。
そして労働時間が減れば、安い賃金がさらに減少してしまう。
よって働くために、仕方なく食べる。
ここロンドールの労働者には、それが常識だ。
「でも……」
顔を上げるとそこには、石畳の道に並ぶ食べ物の屋台。
「おにいさん、フィッシュアンドチップスどう?」
そう言って屋台の店員が見せてきたのは、タラを使った白身の揚げ物。
厚くぼったりとした衣にしみ込んだ古い油の臭いに、ゲンナリ。
こんなもの、とても口に入れる気がしない。
「……要らない」
「それなら野菜のスープはどう?」
今度は野菜くずをただ煮込んだだけの、薄味過ぎるお湯を勧められる。
もちろんそんなもの、食べる気にならない。
「……要らない」
「おにいさん、欲しいのはこれだよね?」
すると後ろの屋台の店主が、得意げに声をかけてきた。
「はい、ウナギのゼリー寄せ」
「要らない要らないっ!」
ウナギのぶつ切りを、ただ茹でるだけ。
その身から出たゼラチン質が冷えて固まり、自然とゼリー混じりになるその料理。
この時点でもう、生臭い。
下処理のされていない魚介特有の嫌な風味を思い出して、逃げるように屋台を通り過ぎる。
「参ったな……」
白目をむきながらウナギを補給する客たちを背に、トーマスは歩みを進める。
このまま食べないと、明日がつらい。
でも、マズいメシなんて食べたくない。
そんな状況に思わず途方に暮れかけた、その時だった。
「ん?」
街外れの一角に、見知らぬ料理店を見つけた。
ロンドールではよく見るレンガ積みだが、めずらしいのはそれが明るい灰白色ということ。
店舗である一階部分の窓には、綺麗なパネル型のガラスが張られている。
濃い色味の木製扉に貼られた銅製の丸看板に、胸を張り得意げに歩くキツネのモチーフ。
そして『キッチン・みけ』の文字が見える。
「……ここでいいか」
ついに観念したトーマスは、わずかな好奇心に頼って店内へ。
そこには木製のカウンター席と、テーブルがいくつか。
労働者街の店だというのに妙に綺麗で、それでいて庶民的な温かみもある。
キッチンには黒髪の、店主らしき料理人が一人。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませーっ!」
気づいた店員らしき少女が、満面の笑みと共に駆けてきた。
年齢はトーマスの、二つか三つほど下か。
飼い主の帰宅に気づいた犬のようにやって来た彼女は、金色のショートカットにメイド服。
「こちらのお席へどうぞっ」
目が留まったのは、ヒザ丈のスカートだ。
短いスカートのメイドなんて、見たことがない。
変わってるなと思いつつ、トーマスは案内されたカウンター席に着く。
これまためずらしいことに、ガラス製のコップに入った水を出されたが、ロンドールの水は衛生管理が悪く危険というのが常識。
とりあえず、飲まずに置いておく。
「ご注文は何にしますかっ?」
「んー……」
ここは労働者街。
どうせメニューなんて呼べるほどの品数はないだろう。
トーマスはうつむいたまま、正直な思いを吐き出す。
「カチカチのパンをエールで流し込むのは、もう嫌だ」
「はい」
「茹でたジャガイモに塩を振っただけのも、食べたくない」
「はい」
「それと……ウナギのゼリー寄せだけは勘弁してほしい」
「はいっ」
「何か、食欲が刺激されるようなものはないかなぁ」
「それなら、お肉はいかがですか?」
「……うまい肉なら」
「はいっ。少々お待ちくださいっ」
「えっ?」
二つ返事でオーダーを伝えに行く少女に、トーマスは困惑する。
なぜなら、うまい肉なんてものは存在しないからだ。
この街で『肉』とは、ガチガチに塩漬けした豚肉を差す。
長期保存のために水分を消し飛ばした肉はもう、硬くて辛いだけ。
もちろん焼けば硬いままだし、煮ればクタクタ。
要するにこの街で肉とは、他の食材より『多少マシ』という位置づけなのである。
伝わらなかった冗談に、ため息をつくトーマス。
「……あれ?」
おかしな事実に気づく。
「モルトビネガーがない」
ここロンドールの東端で使う調味料は、二つだけ。
『塩』そして茶色い『モルトビネガー』だ。
これを下味も付いていない料理に、直接かけて食べるのが労働者流。
ちなみに、自分好みの味にするのではない。
味のないマズい料理が出てくるから、塩か酢をかけて『これなら何とか食べられる』にするのである。
そんな唯一の希望であり、どの店にも必ず置かれているはずのビネガーがない。
「この店、ハズレだ……」
トーマスはそう確信して、カウンターに突っ伏した。しかし。
「……ん?」
かぐわしいニンニクの匂いが、鼻先をくすぐっていった。
その香りに思わず顔を上げようとして、思い直す。
「いや、期待なんてするだけムダだ」
この街に、マズくない食べ物なんてない。
ここは労働者が集まる、イーストエッジなのだから。
「……んん?」
そこに続けてやってきたのは、炒めたタマネギの良い香り。
「き、期待するな。期待なんてしちゃダメだっ!」
トーマスは、ブンブンと首を振る。
しかし煮立つ醤油が独特の香ばしさを運び、とどめにバターと生姜の風味が鼻腔を直撃すると――。
「っ!」
我慢できずに、思わず顔を上げる。
「お待たせしました! 豚の生姜焼きになりますっ!」
すると笑顔のメイドがちょうど、トーマスの目の前に見たこともない料理を置いた。
「なんだ、これ……っ!?」
湯気を上げる四枚のロース肉は、やや厚手。
程よく付けられた焼き色と、醤油とみりんによって生み出された『照り』が、とにかく美しい。
その隣に盛られているのは、瑞々しいキャベツの千切りとミニトマト。
そこにご飯と味噌汁が並べば、豪華な定食の出来上がりだ。
ゴクリと、ノドが鳴る。
気付けば、あれだけ食べることを拒否していた腹が盛大に鳴っていた。
トーマスはフォークを手に取ると、勢いのまま肉にかじりつく。
「お、おおおおおお――っ!?」
そして、驚愕する。
柔らかな肉は、それでも程よい噛み応えがある。
だが、まったく固くない。
肉を食べたい時に身体が求める、『歯が食い込む』感覚を見事に提供してくれている。
噛めばこぼれる肉の旨味に、新鮮な脂身から出た油が混ざって、口の中に広がる。
続けて香ばしい醤油の塩味が、舌を刺激。
さらに濃厚なニンニクとバターの香りが、鼻を抜けていく。
「なんだよこれっ!? うまい……うますぎるっ!!」
程よい生姜の風味は、さらに食欲をかき立ててくる。
気付けば、失せていたはずの食欲は完全に復活していた。
白く輝く米をフォークでかき込んでみれば、もう止まらない。
「豚肉って……こんなにうまかったのかよっ!!」
醤油のしみ込んだ豚肉と、ほのかな甘みを持つふっくらご飯は、最高の組み合わせ。
うまいものに出会ってしまった働き盛りの男の手は、とどまることを知らない。
「こんなうまいメシ、初めてだっ!!」
おいしすぎて、思わず感極まってしまうトーマス。
勢いのままに、水を飲んで――。
「しまった!」
ロンドールの水の悪さを思い出す。しかし。
「……うまい」
冷えた水はとても綺麗で、何よりおいしい。
そして、しっかりと口の中をリセットしてくれた。
気付けばまた、口が生姜焼きの味を求めている。
「おかわり!」
「はいっ! 達也さん、豚の生姜焼きお願いしますっ!」
食欲なんてなくなっていたはずなのに、まさかの追加オーダー。
待っている間に、初めて口にする味噌汁のおいしさに感嘆していると――。
「はい、これ生姜焼きのおかわりね」
『達也』と呼ばれた黒髪の店主が、おかわりの皿を目の前に置いた。
厚手の白シャツに、黒の前掛けエプロン。
落ち着いた自然体ながらも、わずかに精悍さを感じさせる顔つき。
年齢はトーマスより、十歳以上は年上になるだろう。
「……これは?」
「二皿目なら、気が向いた時にでも使ってもらえれば」
皿の端にわずかに盛られたマヨネーズは、もちろん初見。
トーマスは言われるまま、生姜焼きに乗せて口に入れると――。
「お、おおおおお――っ!?」
マヨネーズのまろやかな酸味による味の変化がまた、違った味わいを生み出す。
「いいな! これもすごくいいっ!」
「でしょう?」
お勧めが喜ばれて、うれしそうに笑う店主。
その一工夫で、食欲がさらに加速する。
フォークを持った手は、止まらない。
「おいしそうですねぇ……」
その勢いに、ちょっとうらやましそうな顔をするメイド。
結局トーマスはそのまま、二皿目もすぐに完食してしまった。
千切りキャベツの一本も残さない辺りに料理のおいしさと、彼の几帳面さが垣間見える。
「はあ……」
思わずもれる、大きな吐息。
おいしい料理で腹いっぱいになるという幸福に、酔いしれる。
豚の生姜焼きが、どこのどんな料理なのか、トーマスにはよく分からない……でも。
失っていた元気は、間違いなくこの一品で取り戻した。
「よし……っ! これなら明日もがんばれるっ!」
気合と共に立ち上がる。
代金は意外なことに、トーマスにも十分払える額。
うれしい誤算に、思わず笑みがこぼれてしまう。
「店主さん、メイドさん……最高においしかった! ごちそうさん!」
「「ありがとうございました」」
笑顔の二人が、見送ってくれるのがうれしい。
ただ続くだけの忙しい日々の中に、見つけた幸せ。
満足したトーマスは、ガス灯が滲む夜のロンドールを、足取り軽く進む。
どうやら今夜は、気持ち良く眠りにつくことができそうだ。
料理系の新作第1話、お読みいただきありがとうございました!
これからメシマズ大国の様々なお客さんが続々とやって来ますので、引き続きよろしくお願いいたします!
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