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第218話 真白の光様オタクラジオ

 光くんが消えた。


 ステージの100人も、手を振りながら袖に戻っていった。


 スタジアムには5万人の歓声と拍手がまだ残っていたけど、それも少しずつ——ほんの少しずつ、小さくなっていった。


 スタジアム全体の照明がゆっくりと明るくなった。


 現実が戻ってくる感覚。夢から醒める直前みたいな、あのふわふわした感じ。あたしは涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、まだペンライトを握りしめていた。隣の人も同じだった。前の席の人も。後ろの人も。


 帰らなきゃ。帰らなきゃいけないのは、わかってる。でも、足が動かない。


 そのとき——急にモニターが点いて、声が聞こえた。


『はい、どうもー!ファン代表のDJ真白です。裏方から失礼しまーす』


 ——え?


「おおお!」「DJ!?」「えっなに!?」


 場内がどよめいた。さっきまで余韻に浸っていた5万人が、一瞬で顔を上げた。


『みんな泣いてるね〜。うん、うん、わかるよ』


 声が柔らかかった。でも、なんていうか——ラジオDJだ。テンポがいい。間の取り方がプロっぽい。裏方のスタッフさんだよね? なんでこんなに喋り慣れてるの?


『……私もさっき裏でめちゃくちゃ泣いてたからね』


 ふっ、と笑いが漏れた。あたしの隣からも、前からも、あちこちから。泣いてた空気が、一気にゆるんだ。たしかに、写っている映像をよく見ると目の周りが真っ赤だった。


『というわけで、退場BGM代わりに「真白の光様オタクラジオ」お付き合いください! 帰り道にちょうどいい感じにするから!』



 ——このラジオが決まったのは、ライブのかなり直前だった。


 準備会議で真白が言った。


「ライブから退場する時に、座席で変に待ち時間があると現実に戻っちゃいますよね。その間もみんなで余韻を共有できるような、ラジオとかどうでしょう」


「それはわかるんだけど、ラジオ誰がやるの? 今から探すの?」とマリ姐。


「私、多分できます」


「え、全然イメージできないんだけど」


「一時期、光様について語り合うラジオ配信をやってたもので。ちょっとやってみますね」


 真白はその場で即興のデモを始めた。テンポの良い語り口、間の取り方、話題の切り替え——普段の"話さない"か"オタク早口"の2択しかない真白からは想像もつかないDJ回しが、会議室に響いた。


 全員が黙った。


「……採用」とマリ姐が言った。



『まず大事なことから。今日の衣装どれが一番良かったか、会場アンケート。判定は歓声の大きさです!』


 衣装アンケート。5万人で。


『最初の白いドレス——光ちゃんの女神様! の人ー?』


「わぁあああ!!!!」


 あの瞬間が蘇った。花道の先端で黒いマントを脱いだ瞬間。純白のドレス。ピアノの最初の一音。空を飛んだ時の、風にたなびくスカートの裾——


『ちなみにあの衣装、私が提案しました。ほんっっっと提案してよかった』


 歓声の中で、何人かが「ありがとう!!」と叫んでいた。


『どいたまでーす!光くんの太もも眩しすぎたね。みんな見た?』


「見たああああ!」「太もも!!」「ありがとうございます!!!」


『あれ台本じゃないからね? 私とスタッフさんたちの心臓止まったからね?』


 爆笑が起きた。あの瞬間、あたしも確かにスタジアムが揺れるくらいの歓声を聞いた。あれ、台本じゃなかったんだ。


『次! 紺のスーツセットアップの人ー?』


「わぁああああ!!」


 ジャズシンガーの光くん。ピアノに肘をついて、片手にマイク。あの大人っぽい低い声。指を鳴らしてスウィングしていた横顔——


『あのジャケット客席に投げたの見た人ー?』


「もらったの私です!!!」


 ——声が聞こえた。会場のどこかから。どこかわからないけど、確かに聞こえた。


 5万人がざわめいた。真白さんが一拍置いて言った。


『……一生の宝物にしてね』


「しますうううう!!」


 涙声だった。あの声の主は、たぶん、泣いていた。あたしも少し泣きそうになった。


『あと、帰り道に気をつけてね。結構マジで』


 会場中から爆笑が起きた。


『あとピアノバトルね。遥ちゃんと光くんのあれ、ほんとに台本ないんだよ? 遥ちゃんが一瞬固まったの見えた人いる?』


「いたいた!」「見えた!」


 見えた。あたしも見えた。モニターに映った遥ちゃんの、ちょっとだけ目が泳いだあの瞬間。でもすぐにニヤッとして、弾き返した——


『あれガチで焦ってたらしいよ。でも弾き返したよね。……さすがうちのバンマスだわ』


 うちのバンマス。その言い方に、なんだか胸が温かくなった。


『次、星空の和装の人ー?』


「わぁああ!!!」


 紺色の和装。片肩がはだけた、あの衣装。スパンコールが花火の光を浴びて、星が体に降っているみたいに輝いていた。せり上がりの上で20メートルの夜空に立った光くん——


『あのお衣装ね、三条さんっていう職人さんが一着一着スパンコールの角度を手縫いしてくれてるの。光くんが動くたびにスパンコールが花火の色を反射するように設計されてて——って言いだすと止まらないからやめとく』


「もっと聞きたい!」


 5万人がまだいるスタジアムの中で、そんな声が上がった。


『だめ! 帰れなくなっちゃうよーー?』


 笑い。でもほんとに聞きたかった。


『最後! アンコールの白シャツにデニムにコンバースの人ー?』


「わぁああああああ!!!!!」


 ——一番大きかった。圧倒的に。


 真白さんが、少し黙った。


『…………だよね』


 その一言に、何かが詰まっていた。


『女神様のドレスでも、スーツでも、和装でも、花火でも空飛んでも——結局あの、いつもの光くんが一番なんだよね。……うん。そうだよね』


 声が柔らかくなった。さっきまでのDJっぽいテンポが消えて、ただのファンの声になった。


 あたしは手を叩いていた。涙が出ていた。理由はうまく説明できない。でも——そうなの。いつもの光くんが、一番好きなの。


『あ、そうだ。全部って人ー?』


「はーーーい!!!」「ワハハハ」「ずるーーい!」


『全部が一番多い気がする……みんなずるいなぁ!』


 笑い声がスタジアムに広がった。さっきまで泣いてたのに。みんな、笑ってた。



『ここからオタクの早口コーナーいきます』


 真白さんの声のギアが一段上がった。


『今日のライブ、実は台本通りじゃなかったところがたくさんあります』


 ざわざわ。


『まず。ハッピーバースデーのロックアレンジ。あれ完全に即興ですからね?』


 ——え。


『セトリには「ハッピーバースデー(ピアノ弾き語り)」としか書いてないの。光くんが突然「ロックアレンジやろう!」って言い出して、遥ちゃんのモニターに映ったあの顔見た? おでこ押さえてたやつ』


「見た見た!」


 見た。確かに見た。あの時、あたしは「遥ちゃん困ってるな」って思った。でも——即興だったの? あの完璧なバンドアレンジが?


『あの顔が全てを物語ってるよね。でもバンドのみんな、一発で合わせたんだよ。すごくない?バンドの皆さんに拍手!!!』


 会場中から大きな拍手が響いた。


『あと「River of Moon」』


 月の歌。あのとき、空を見上げた瞬間のことを思い出した。光くんが「ねえ、空見て」って言って、5万人が一斉に空を見上げて——本物の月が浮かんでいた。


『月が見えたから追加しますって急に言い出した。セトリにない曲をスタジアムライブで急に追加するの、普通はありえないからね?』


 あれがセトリになかった——


『でも遥ちゃんとバンドが「はいはい、またか」みたいな顔で合わせてくれるの。光くんが呟いた「ありがとう」ってモニターに映ったの見た人いる? 遥ちゃんが肩すくめて「まったく」ってやったやつ』


「見たああ!」「あれ泣いた!」


 見た。あたしも泣いた。マイクを通さない「ありがとう」が、モニターに映って——遥ちゃんが肩をすくめて——あれが、あの二人の関係なんだって思った。


『あの二人の信頼関係、尊いよね……』


 真白さんの声が少し遠くなった。オタクが推しの関係性に感情移入している時の声だ。



 そのとき、場内アナウンスが入った。


「A-7ブロックのお客様、ご退場をお願いいたします」


 ——あ。規制退場だ。


 あたしの席はA-7ブロック。花道の先端、ピアノのすぐ横だったあの席。


 立ち上がった。名残惜しかった。でもラジオはスピーカーから流れ続けている。歩きながらでも聴ける。


 通路に出た。周りの人たちも、みんな同じ顔をしていた。泣き腫らした目。でも、口元は笑っている。真白さんの声を聴きながら、ゆっくりと歩いている。


 誰一人、急いでいなかった。


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