第153話 零細配信者ちゃん『光くんのASMRを、みんなと一緒に初めて聴いてみよう』
その配信者は、登録者600人ほどの零細配信者だった。
特別な肩書きはなく、
新譜を聴いたり、雑談したり、
たまに再生数が伸びて「今日は良かったな」と思う程度。
だから、その日の配信タイトルは、少しだけ背伸びしていた。
『光くんのASMRを、みんなと一緒に初めて聴いてみよう』
配信が始まる。
「はい!今日はこれです!」
やや緊張した声で、配信者はCDケースを掲げた。
「光くんの初回限定CD!
ギリッギリ手に入れました!
今日は、今話題の“トラックゼロ”を
みんなと一緒に聴いていきます!」
コメント欄が、一気に流れ出す。
《よく手に入ったな》
《おいやめろ、死ぬぞ》
《買えなかったから助かる》
《実質腹上死》
《もう これで終わってもいい だからありったけを》
《汚ねぇ最期やめれwww》
「そんな大げさな――」
配信者は苦笑しながら、
ヘッドホンを装着した。
「じゃ、いきますね……再生します」
クリック音。
――最初は、ほとんど音がない。
空気だけが、そこにある。
『……テスト、テスト……聞こえる?』
近い。
耳のすぐ横で、低く、柔らかい声。
《近い》
《近い近い近い》
《無理無理無理》
「ちょ、ちょっと待って、近くない?」
《お前の声がうるせぇw》
《邪魔、黙って》
《光くんの声が聞こえない》
「私のチャンネルなんだけど!?!?」
次に入ってきたのは、
柔らかく、湿度のある音。
耳を揉まれている感触。
外側をなぞり、
縁を撫で、
奥へ――
耳の穴の中に、
指が入ってくるような距離感。
ぷに。
くちゅ。
『……ほんとだ、すごいねぇ。
本物の頭みたい。』
そのまま、
頭全体を包むように、ゆっくり撫でる。
なで。
なで。
《死》
《耳責めやめれ》
《頭撫でられて死亡》
「ちょ、これ……これ……」
〈だから黙れw〉
〈喋るな、息もするな〉
少し間を置いて、また声。
『これくらいの距離で……聞こえる?』
顔が近い。
息遣いまで、はっきり分かる。
『……ふふ』
配信者は、もう笑えなかった。
————
――しばらくして、例の新曲の解説シーン。光の声のトーンが変わる。
『それでさ。
少し前に聞いた話なんだけど』
同じ部屋、すぐ隣にいる距離感のまま。
『支える側にいると、
目立たないとか、
誰でもできることをやってるだけって、
感じちゃうこともあるらしいんだよね』
「……っ」
配信者の喉が鳴る。
『でもさ』
一拍。
『たまたま、
得意なことが違っただけなんだよ』
『ほんと、それだけ』
指先が、静かに鍵盤をなぞる音。
配信者の目から、涙が溢れた。
「……やめて……」
《刺さる》
《私も無理》
『自分が得意なこと、
できることを、
一生懸命やる』
『クリアに、
それだけをやる』
配信者は、もう声を出せない。
肩を震わせ、嗚咽を漏らしている。
『周りの雑音は、
気になっちゃうかもしれないけど、
本当は気にしなくていい』
《もらい泣きするって》
《やばい》
『気にするとしたら』
少し考える間。
『自分なりに一生懸命やれたか。
得意なことをやれてるか。
ちゃんとやれたか』
『それくらいで、いいと思う』
「……っ、無理……」
そして、少しだけ軽くなる。
『……まぁ俺も、
そんな毎日ちゃんと一生懸命やれてるかって言われると、全然そんなことないんだけどね』
《笑》
《安心した》
《急に親近感》
『とにかくさ』
画面の向こうを、まっすぐ見る声。
『迷ってる人が、
“自分はこれでよかったんだ”って』
『聴いてる間だけでも、
そう思えたらいいなって』
小さく息を吸う。
『そんな気持ちで、
新しく書いた曲です』
鍵盤に、両手を置く音。
『——新曲。
「これでいい」』
音が、静かに流れ出した。
配信者は、
泣いたまま、
何も言えず、
そのまま配信を終えた。
後日。
そのアーカイブだけが、
そのチャンネルで
他の動画の千倍近い再生数を叩き出していた。
───
評判は、思った以上に広がった。
「トラックゼロを聴きたい」
そんな本当に切実な声が増え続け、
やがて――サブスクでの配信が決まった。
オフィスで、その再生数を見ながら、
光が首を傾げる。
「……みんな、こんなのを求めてるの?」
少し不思議そうな声のまま続けた。
「なんかさ、
ゼロ番が一番聴かれてて。
なんでだろ?って感じだよね」
「……なんででしょうね」
真白は、すっとぼけた顔で答える。
雪が、じっと真白を見る。
「真白さん……
分かって言ってるでしょ……」
詩音が、苦笑した。
「さすがの顧客目線ですね……」
マリ姐は、こめかみを押さえる。
「真白さん、
あなたほんとにやりたい放題ね……」
遥は、
少し楽しそうに微笑んだ。
「でも、
今までの私たちだと到底思い付かなかった企画だよね。
素直に、すごいな、楽しいなって思う」
光は、
その会話を聞きながら、
少しだけ首を傾げた。
「……まぁ、いっか」
そう言って、
小さく笑った。
その場の誰も、
それ以上、
説明しようとはしなかった。




