魔王と勇者と魔王軍幹部共⑫
もはや四の五の言っていられない。本気で戦わなければ冗談抜きでやられる。
頭を切り替えた途端、アイリスの脳裏に『両足を掴んで捕らえる』という言葉が浮かぶ。
影の中から突然にゅるりと伸びてきたニアの手を跳躍して避けると、空中のアイリスめがけて飛んでくる火魔の拳をぎりぎりでかわす。
落下地点で待ち構えている追加の影は剣の光で打ち消し、着地と同時に襲い掛かって来る氷魔の魔法を即座に跳んで避ける。
「動きが急に変わりやがった……!」
「どうしたのニア!不意打ちはあなたの十八番でしょう!」
「『わからない』けど……!」
攻撃を避ける合間、アイリスが隙を見つけて切りかかるようになると、徐々に幹部達に傷ができ始める。
状況が好転し余裕が出てきたアイリスは、離れた場所から幹部達の傷を癒している光魔に狙いを定めた。
突然反転して走り出したアイリスの足の速さに他の幹部達は付いてくることができず、難なく光魔の元に辿り着くと、その細い首筋に剣を突きつけてアイリスは言った。
「光魔。正直お前が一番何してくるか読めないからな。悪いが容赦しない」
「ええ、ええ。この場に来た時点で、覚悟は出来ております」
抵抗する素振りすら見せず、光魔はただ祈るように胸の前で両手を組むだけだった。
アイリスの頭に光魔の言葉は浮かんでこない。
攻撃する気もない。逃げる気もない。
怒りも、後悔も、恐怖さえも、光魔は感じていない。
それが逆に不気味に感じられて、剣を振り下ろすのを躊躇ってしまう。
「どうか、されましたか?早くしないと、追いつかれてしまいますよ?」
「……いい度胸だ」
もはや問答無用と、アイリスは袈裟懸けに剣を振るった――が。
どういうわけか、肩口に振り下ろしたはずの剣は光魔の手のひらによって防がれていた。
「あらあら。反射的に、防いでしまったようですね」
穏やかに微笑を浮かべる光魔だが、アイリスはとても笑う気にはなれなかった。
端から見れば運よく防いだように見えただろう。
だが違う。剣を振るったアイリスだからこそわかる。
光魔はアイリスが剣を振る前から手のひらを出していた。
まるでそこに攻撃が来ることがわかっていたかのように。
もはや躊躇うことなく、右から、左から、上から下から斜めから、次々と剣を振るうアイリス。
だが、その全てを光魔は防ぎきった。
ふんわりとした微笑を浮かべながら……。
「……そりゃそうか。あの幹部達の中でお前だけがまともだなんてことあるわけないよな」
もはや疑うまでもない。
光魔はアイリスの心を読んでいる――。
すると、アイリスの脳裏に光魔の声が響いてきた。
(さすがに、隠しておくのは、無理がありましたか)
(どうして心が読める?その力をどこで手に入れた?)
(神のご加護、ですよ)
(神だと?)
奇跡の力は神から授かるもの。アイリスの力もエリスの力も元を辿ればそこに行きつく。
だが、魔族に信仰を許す神はいない。だから奇跡が使えるわけないのだ。
(いいえ、我ら魔族にも、神はおりますよ)
(馬鹿言うな。魔族の信仰を許す神なんかいるわけが――)
すると光魔は、上気した顔で、蕩けるような、うっとりとした口調で言った。
(我が神の名は――デスヘルガロン様、と申します)
(……冗談だろ)
光魔が口にしたのは魔王と同じ名前。
だが、当然そんな名前の神は存在しない。
つまるところ、この光魔ガルゼブブという魔族は、自らの中で勝手に魔王デスヘルガロンを神と定義し、それを心の底から信仰することで、奇跡の力を得ているということ。
それはもはや無から有を作り出しているのと同じだ。
そんな馬鹿げたことが出来るなんて、もはや狂っているとしか言いようがない。
アイリスは光魔のことを幹部の中で唯一まともだと思っていた。
だが、違った。
間違いなく、幹部の中で一番頭がおかしいのはこいつだ。
(狂信者が……!)
(くふふっ。では、狂信者は狂信者らしく、祈るといたしましょう。狂おしいほどに愛おしい、我が崇高なる神、デスヘルガロン様のために――)
「っ!?」
光魔が祈りを捧げた瞬間、アイリスの頭が割れるように痛みを発した。
剣から光が失われ、心の声も聞こえなくなる。『勇者の血』が――奇跡の力が打ち消されていく。
「んな馬鹿な……!」
「っしゃおらぁ!追いついたぜぇ!王女さんよぉ!」
アイリスの視界の端に火魔の巨大な拳が映る。
避けるために跳躍しようとするが、足が地面に張り付いたように動かない。
見ると、いつの間に取り付いていたのか、米粒くらいの小さな氷魔がわらわらと群がってアイリスの足を凍らせていた。
もはや避けられないことを悟ったアイリスは、剣で火魔の拳を受ける覚悟を決める。
「ロルデウス特急一名様ご案内だぜぇッ!ニア!ちゃあんと捕まえろよぉ!」
「ロルデウスだと……!?」
言われてみれば、戦いが始まってから闇魔の姿を一切見ていない。
闇魔は闇を操ることのできる魔族。
闇のない昼間はほとんど何もできないはずだが――。
(まさか……!)
そう心の中で呟くのと同時に、アイリスの身体が吹き飛ぶ。
壁に激突する――そう直感し身を固くするが、直前に地面から現れた真っ黒な影が捕食するかのようにアイリスをばくりと飲み込んだ。
上下左右の間隔が完全に消失した何も見えない真っ暗な影の世界。
そんな中、背後で何者かが動く気配を感じて、アイリスは深くため息をついた。
『……そうだな。確かに、妖魔が作る影の世界も闇っちゃ闇だ。で?お前は一体あたしに何をしてくれるんだ?』
アイリスの質問に闇魔は答えなかった。
ただ、その代わりというかのように、うわ言のような呟きを投げかけてくる。
『ねぇ、おーじょさまぁ。世界でぇ、いっちばん暗いとこってぇ、どこだと思う?』
『世界で一番暗い所?さぁ、知らないな』
『そっかぁ、ざーんねん。正解はねぇ――『こ・こ・ろ・の・な・か』だよぉ?』
『心の……中?』
その瞬間、猛烈に嫌な想像がアイリスの脳裏を過った。
闇魔は闇を操る。
もし、闇魔が相手の『心の闇』すらも自由に操れるのだとしたら――。
『ま、まさか、お前……!?』
『あっは!あっはははは!あっはははははははははははははっ!さぁさぁさぁさぁさぁ!おーじょさまの心の闇はぁ、いったいどぉんな味がするのかなぁっ!?あは、えはは、きひははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!?』
薄れゆく意識の中、アイリスは思った。
分裂して即死魔法を放ってくる雪女、炎を纏った巨大すぎる牛の化け物、自ら創造した神を信仰する狂信者に、いつでもどこでも影の中に引きずり込んでくる天邪鬼、そしてトラウマを操り精神攻撃してくる陰湿童女。
魔王に嫌われたくないからとかいう馬鹿みたいな理由でこれ程までの力を隠し続けてるこいつらなんなんだよ、と。
どんだけ魔王の事好きなんだよ、と。
そして、こんな化け物共にこれほどまでに熱狂的に慕われている魔王って一体何者なんだよ、と――。




