魔王と勇者と魔王軍幹部共⑬
エリスの後に続いて辿り着いたのは、ノースト王国城の玉座の間だった。
走り回っても余裕で余るほど広い部屋には誰もおらず、不気味なほどに静まり返っている。
「このあたりでいいでしょうか」
そう言って振り返ったエリスは、面を取って素顔を晒した。
そして、いつもどおりのふんわりとした笑顔が浮かべながら、穏やかな声で言う。
「デモント平原で別れてからまだ少ししか経っていないのに、なんだかとても久しぶりにガロンさんに会った気がします」
「……そうだな」
何と返していいのかわからず素っ気ない返事になってしまうが、エリスは特に気にした様子もなく、むしろどこか楽しそうに「ふふっ」と笑った。
「何かおかしい事を言ったか?」
「いいえ。そんなことはありません。ただ、嬉しかっただけです」
「嬉しい?」
「わたしなんかとはもう喋ってくれないんじゃないかって、そう思ってたので。だから、またこうして声が聞けて、普通にお話ができて、凄く、嬉しくなっちゃいました」
え、辛――いや違う。辛くなっている場合じゃない。
弁明だ、弁明をしなけれ――いやこっちも違う。弁明してどうするんだ。
ひとまず心を落ち着けたうえで謝罪を――ってだから違う!
駄目だ。
まだ一言二言しか喋っていないのにもう心が折れかけている。
このままだと普通に話をしているだけで負けを認めてしまいそうだ。
すると、エリスは居住まいを正して言った。
「戦う前に、ひとつだけ教えてくれませんか?」
「なんだ」
エリスは俯いて深呼吸した後、意を決したように顔をあげて言った。
「ガロンさんが平和条約を作ろうとしたのは――わたしを自由にするためなんですか?」
「…………」
「間違っていたら笑ってください。自惚れるんじゃないって。でも、もしもそうでないのなら……本当のことを教えてください。お願いします」
ここで違うと言うのは容易い。今の俺の立場的にそう言わなければならないこともわかっている。
だがそれをしてしまったら――ここで嘘をついてしまったら、エリスとの間に培ってきたものが決定的に壊れてしまう気がする。
それは、俺にとって何よりも……それこそ、永遠に封印されることよりも恐ろしいことのように思えた。
深く息を吐くと、エリスを真正面から見据えて口を開く。
「……あぁ、そうだ。それが平和条約を結ぶ上でアイリスと約束したことの一つだった」
俺の答えに一瞬息を詰まらせたが、エリスはゆっくりと頷いて、はっきりと告げた。
「……そう、ですか。なら、もう迷いはありません」
そう言うと、エリスは細剣を引き抜き、真正面に構える。
これまでに見たことのないくらい眩い白光を纏った細剣は、エリスの覚悟を表しているようだった。
「魔王デスヘルガロン。あなたを止めます。わたしが、ここで」
「本気なんだな?」
「はい」
「……わかった」
エリスは何もかもわかった上で俺の前に立っている。
だとすれば、いくら言葉で諭そうとしたところで意味はないだろう。
戦いたくない。それが正直な気持ちだ。
だが、俺だって半端な覚悟でこの場に立っているわけじゃない。
この戦いの行く末に魔族達の未来がかかっている。
それを邪魔するというのなら、たとえエリスと言えど容赦することはできない。
覚悟を決めると、右手を前に掲げ、エリスに狙いを定める。
静まり返る玉座の間。
遠くでアイリス達が戦っている音が微かに聞こえてくる。
エリスの事だ。小細工なしで真正面から突っ込んでくるに違いない。
異常なまでの踏み込みの速さは何度か目にしているので対処できる。
問題は、初撃を避けた後、エリスがどう動くのか全く見当がつかないことだが――。
「わたしの勝ちです、ガロンさん」
ふと、そんな声が俺の真下から聞こえてきた。
恐る恐る見下げてみると、目に映ったのは眩い金色――エリスの綺麗な金色の髪だった。
背中に回された腕に力を込められて、ようやく自分が抱きしめられていることに気付く。
そんなエリスの行動に、俺は掲げていた右手をだらりと下ろすことしかできなかった。
「……どうして、攻撃しなかった?」
油断していたわけではない。目を逸らしたわけでもない。
それでも何もできなかった。
そんな俺を倒すことは造作もなかったはずだ。
俺の呟くような声に、エリスは優しい声音で返してくる。
「ガロンさんを傷つけることなんて、出来るわけないじゃないですか」
「傷つける覚悟もなく俺を止めるつもりだったのか?」
「ごめんなさい。でも、それはガロンさんも同じですよね?」
「何を根拠に――」
「わかりますよ。だってガロンさん、ずっと泣きそうな顔してるんですもん」
「…………」
そうか……中庭でアイリスがしらっとした目で俺を見ていたのはそのせいだったのか。
しかしなんだ――泣きそうになっているのがばれて何もかもご破算になるとかさすがに情けなさすぎる。
アイリスが聞いたら問答無用で切りかかって来るに違いない。
「…………なぁ、エリス」
「はい」
「最初からやり直させてもらっても――」
「ダメです」
「そこをなんとか――」
「ダメです。もう絶対、離れませんから」
その言葉を体現するように、エリスは痛いほどに俺を強く抱きしめてくる。
そして、俺の胸に顔を埋めたまま、潤んだ声で言葉を紡いだ。
「自分一人が犠牲になればいいなんて、そんな寂しい事言わないでください。ガロンさんが封印されるなら、わたしも一緒に封印されますから」
「冗談は……」
「冗談なんかじゃありません。覚えてますか?ガロンさんに死ぬまで仕えろって言われて、わかりましたって答えたときのこと。あの時は恥ずかしくて逃げちゃいましたけど、あれ、噓じゃないんですよ?」
「…………」
「ガロンさんと一緒にいたいんです。ガロンさんに一緒にいてほしいんです。だってわたしは――優しい魔王様のことが、大好きなんですから」
その言葉に、俺は何も言い返すことができなくなってしまった。
わかってしまったからだ。
この少女には、もう何を言ったところで意味がないのだと。
拒絶しなければならないのに身体は全くと言っていいほど動かず、ただ抱きしめられるままになっていて。
それどころか、こうして誰かが側にいてくれるということに、これまで感じたことのない心地良さすら感じていた。
そうして気付く。
戦いでも、言い合いでも、そして気持ちでも。
俺はエリスに、完膚なきまでに負けたのだと――。
「……魔王の側にいたいだなんて、物好きな奴もいたものだ」
「そうかもしれません。でも仕方ないじゃないですか。好きなんですから。それに、その物好きはわたしだけじゃありませんよ。なんてったって、魔王様大好きクラブは総勢数百万を超える、大集団なんですから」
そう言って、いつもと同じようにふんわりとした笑顔を見せるエリス。
そんなエリスにつられるように笑ってしまうと、俺は大きく息を吐いて言った。
「……俺の負けだ、勇者エリスよ」




