勇者と妖魔とおくりもの⑨
「魔族と人族との休戦条約について、あなたはどう思うかしら?」
王国の中でも常々話題に上がる休戦条約。
賛成派と否定派はほぼ半々で、アイリス様も常々気にかけてくれているのは知っています。
でも、なぜニアさんを相手にわざわざそんな話を持ち出すのでしょう。
ノースト王国に住む者であれば、いつでも、いくらでも話は聞けそうなものなのに。
問われたニアさんは、迷うことなく口を開きました。
「『とんでもないもの』です。知り合いにも『戦いたい』と思っている者は大勢います」
「そう。でも私はその反対の意見を言う者達の気持ちもわからないわけではないわ。それについてはどうかしら?」
「『まったく』『わかりません』。『大嫌いな方』がいる日常は、みんな『壊したい』と思ってるから」
「なるほど。あなたの考えはよくわかったわ」
表向きは殺伐としたことを言うニアさんに同調する姿勢を見せるアイリス様。
でも、どうしてでしょう。
なんとなく二人の会話に違和感のようなものを感じていました。
二人というより、アイリス様の話し方にと言った方が正しいかもしれませんが……。
いずれにせよ、このままアイリス様とニアさんとの会話を続けさせるべきじゃないのは間違いありません。
そう思って口を開こうとすると、まるで見計らったようにアイリス様は言いました。
「そうそう、エリスは知っているかしら?」
それからアイリス様はまるで世間話をするかのような気軽さでその言葉を口にしました。
「ノースト王国内に、魔族のスパイが潜んでいるという話を」
「…………え?」
アイリス様の表情は変わりません。
ここに来た時からずっと同じ笑顔のまま。
でも、変わらないからこそ、恐ろしさ感じている自分がいました。
その時、ずっと感じていた違和感の正体にようやく気づきます。
アイリス様はじっとニアさんの目を見つめています。
わたしに話しかけている今でさえも。わたしたちがこの部屋に入ってからもずっと、何かを伺うように、推し量るように、瞬きもせず、ただただ、ニアさんの瞳だけを、じっと――。
ぞっとする予感がわたしを震え上がらせます。
まさか、アイリス様はニアさんが魔族のスパイであることに気付いて――?
「そう言えば、魔族との休戦条約を提案したのはあなただったわね。何か知っている?」
ニアさんを疑っているのなら、今日一日一緒にいたわたしを疑うのは当然です。
でも、ここでわたしが『知らない』と答えてしまえば、話の矛先はニアさんに向かってしまいます。
ニアさんのことだから場の空気を読んで知らないと言ってくれるでしょうが、逆言葉になれば『知っている』と言うことになってしまいます。
そうなったらもうどうしようもありません。
逆言葉なんですなんてことを言ったとしても信じてはもらえないでしょう。
「どうしたのエリス。もしかして、何か心当たりがあるのかしら?」
ニアさんを守るために今のわたしに出来ること。
それは一つしかありませんでした。
「わたしは――」
しかし、言葉を最後まで言い切ることはできませんでした。
ニアさんがわたしを庇うように立ち塞がったからです。
それからニアさんはアイリス様に向かって躊躇いなく言いました。
「『知りません』」
不幸中の幸いか、ニアさんは正しい答えを返していました。
「そう」
満足そうに頷くアイリス様。
でも、ほっとしたのも束の間――。
「それなら、帰すわけにはいかないわね」
「ど、どういうことですか!?」
「どういうことも何も、知っていると自白したのだから帰せるわけがないでしょう?」
アイリス様が言った言葉の意味がすぐには理解できませんでした。
ニアさんは確かに『知らない』と言ったはず。
それなのにどうして『知っている』と言ったことになっているのでしょう。
それじゃあまるで――。
呆然とするわたしの疑問に答えるように、アイリス様は言いました。
「だって、ニアが話している言葉、全て意味が逆なんでしょう?」
その言葉の衝撃に、わたしは頭を殴られたような感覚に陥りました。
「言葉の真偽くらい見極められないと、王女なんてやっていられないもの」
確かに、アイリス様は多すぎるくらいの人々と関係を持っています。
その中には当然悪意を持って近づいてくる人もいるのでしょう。
そんな人に騙されないため、相手が何を考えているのかを言葉から洞察するのは上に立つ者として必要な能力なのかもしれません。
でも、だからといって初対面のニアさんの言葉まで看破できてしまうものなのでしょうか。
しかも、『言っていることが全て真逆』だなんて、普通なら思いもつかないことを――。
「それでニア。そのスパイは誰?もしかして、あなたがそのスパイ本人なのかしら?」
もはや確信を持っているとでもいうかのように、アイリス様は言葉でニアさんを追い詰めていきます。
ニアさんは何も言いませんでした。
でも、アイリス様に知っていることがばれてしまった以上、逃げることは出来ません。
だんまりになってしまったニアさんを嘲るように、アイリス様は挑発するような言葉を口にしていきます。