一話
よろしくお願い致します。
「みんな、そろそろ着くぞー」
沢山ある液晶画面の内、手前の小さなモニターに映し出された目的地の座標を指でなぞり、確認した彼女は耳に装着したイヤホンマイクを押さえて他の船員達に告げる。腕時計型の通信端末を通して全員の耳元へ届いた少女の声に、彼女の耳にも低い声が疎らに返ってきた。
今回の目的地には『瘴気』と呼ばれる有毒ガスが濃い区域のため、全員がガスマスクの着用を余儀なくされている。そんな物々しい雰囲気の中、鼻歌を唄いながら操縦感を握るのは見目にして十二、三の少女だった。
彼女が皆に声を掛けた数秒後、そのイヤホンマイクから「前方注意」の言葉が聞こえる。それは見張り台にいた船員の声で、少女の「見つけたか?」という問いに、彼は呆れたように鼻で笑った。
《おいおい、またガセネタ掴まされてんじゃねぇか》
「またぁ? 今度は何だった?」
《四足大型が二頭》
ガスマスク越しにスナイパーマントを深く被り、双眼鏡を覗く彼は辺りを注意深く見回しながら、感じ取れる気配までの距離をおおよそで測る。
「正面一五〇〇メートル、あとは十時方向一二〇〇メートル先の森ん中だ。どっちもまだ目視は出来ない」
《面倒臭ぁ……まぁ、別に偽情報でも良いけどもー?》
「良い訳あるか、阿呆船長。風向きが北西から西へ移動、風速も上がってる」
《了解、風下へ避けるぞ》
見張り台の青年の報告に応え、少女は操縦桿を小さく回してペダルを踏む。船の速度を落とし、ゆっくりと旋回する。
少女が座る操縦席の右後ろにあるコントロールパネルの前では、回転椅子に座る体格の良い男性が「こっちにも反応が出た」と少女に声を掛けた。彼は袖から覗く夜明け前の空のような青い肌の腕を伸ばし、モニターの角度を変えてカメラの切り替えスイッチを入れる。
「レーダーに入ったか。映像を回してくれ」
「了解。左のは結構なデカさだ」
座標とは別のモニターに映ったレーダー映像に、少女はいよいよ溜め息を吐く。
「……んもー……」
「ローズマリー、指図書には何と?」
「二足小型が三頭」
「まったく、『上』は俺達を余程殺したいらしい」
見張り台の青年とまったく同じ嘲笑を零した彼に、少女は「帰ったら文句言ってやる」と可愛らしく遺憾の意思を見せた。
「しかし、どうしようか……装備はあるけど、二頭をもっと引き離さないと厳しいな」
「本部からの移動距離を考えると、閃光砲は止めておいた方がいい。再充電に三日、『予定違い』で食料もそんなに積んでないから食べ盛りが飢えるぞ」
「まぁ仕方無いか」
少女は船内スピーカーで船員達に呼び掛けた。
「いいか、みんな。正面の方は本船で引き付けとくから、ユズ君とリンで先に森にいる方の討伐を頼む」
《マリーさん、地上に降りた方が良い?》
そう問い掛けたのは、船の最下部にある飛行バイクの整備室で、装備を積み込んでいた青年だ。
ガスマスクの変わりに、ゴーグルと『兄』の手縫いである深紅のスカーフをマスク代わりに口元へ巻き、準備に勤しんでいる。
そんな彼に、少女は「飛んでいった方が安全だ」と指示した。
《ただでさえ相手が大きいからな。いくらリンでも、踏まれると痛いぞー?》
「えー怖ぁい」
《リンデン、今からハッチを開ける。ちょっと下がってろ》
青い肌の男性が注意を促し、「了解」という青年の返事を聞いた男性は、船の真下にある後部ハッチの開閉ボタンを押した。
整備室の奥へと移動し、ゆっくり外側へと開いていくハッチから距離を取って眺めていた青年だったが、室内に外の風が入ってきた瞬間、言い様の無い違和感にゴーグルの中で眉を顰めた。
「……これ、ちょっとヤバいんじゃない?」
その一言は当然、操縦席の少女や他の船員達も聞いていた。己の名を呼ぶ彼に、少女も訝しげな顔をしつつ問う。
「リン、どうした?」
《俺ちょっと先に出るよ。ユズさんに言っといて》
「俺も聞いてる。何があった?」
《分かんないけど、確認したい事が出来てさ。何か変な感じがする》
「変な感じ?」
青い肌の男性が少女を見る。すぐに少女と視線が合い、頷いた彼女は「良いだろう」とゴーサインを出した。
「ただし、対象からは二百メートル以上の距離を置くんだぞ。攻撃はするな、あくまで偵察だからな」
《了解。ありがとう、マリーさん》
壁に掛けてあった、革の鞘に納まる一本の長い剣。その負い革に腕を通して背負い、自らが装備を整えたスカイライドのレバーを上げてエンジンを掛ける。
彼はすぐさま飛び乗るようにバイクへ跨ると、マフラーを靡かせながら数秒と待たずに船のハッチから出ていった。
見張り台の青年が彼の飛び立っていく姿を見た時、耳元に少女の声が届く。
《フェノン、聞いてたな。そこからリンの様子を見ててくれ》
「嫌だね」
《そう言わずに援護してやれ。アイツの偵察は見るだけで終わらないの知ってるだろ?》
「まったく……だったら許可出すなよ」
呆れた様子で溜め息を吐く見張り台の青年に、少女もつい苦笑を零す。
「リンの『変な感じ』は、九割が要救護者の発見に繋がってる。もしかしたら、と思うと無碍に出来なくてな」
《アイツが勝手に死んでも俺は知らねぇからな。連帯責任は御免だぜ》
「んもー、またそんな事言って……」
「要救助者を発見したら全力で守る、討伐対象を発見したら全力で倒す。マニュアル通りだろ」
青い肌の男性は「いつもと同じだ」と続けるとそのまま席を立ち、少女にコントロールパネルの操作を全て操縦桿からのオートメーション設定にしたと報告する。
パネル脇に置かれた落下防止のハーネスを素早く装着した彼は、さも面倒臭そうに腕を上げて背筋を伸ばし、灰色の髪をガシガシと掻いた。
「さて、そろそろ俺も行ってくる」
「わかった。気を付けるんだぞ」
《あの阿呆はユズさんに任せました》
「面倒だが了解だ。皆、武運を祈る」
数分後、整備室からもう一基の飛行バイクが出ていき、見張り台の青年は備え付けの機関銃と大型対象用ライフルに弾丸を装填しながら、ガトリング銃を背負う男性の飛行バイクを見送った。
船は向きを変えて進みながら、少女がフットペダルを踏み操って搭載されている重火器の装備を始めている。しかしその時、全員のイヤホンマイクに、最初に出ていったスカーフの青年の慌てた叫び声が入った。
《マリーさぁん! 緊急、緊急!》
「おお、どうした?」
《女の子拾っちゃった!》
「……女の子っ?」
スカーフの青年の言葉に、少女は思わず首を傾げた。
何故、女の子? しかも、何故こんな所に?
ここは街から離れた、人など入らぬ……人が生きていけるような環境に無い、森の奥地の上空なのだ。何故、そのような少女がたった一人で、猛獣や討伐対象の蔓延る生息地を彷徨っていたのだろうか。
しかし、考えるのを二秒で止めた彼女は青年に指示を出す。
《リン、一度船に戻って立て直すんだ。要救護者を抱えたままじゃ危ないぞ》
「ごめん、無理!」
《何? どうしたんだ》
《テメェ、船長の指示無視してんじゃねぇよクソが》
少女の指示を拒否した仲間に、見張り台の青年が不機嫌そうに文句を述べる。だが直後、その理由を理解した彼は双眼鏡を片手にガスマスクの奥で顔を引き攣らせた。
「……おいおい、変異種かよ」
彼等が討伐対象としている相手は、通常の個体とそうでない『変異種』がある。
一般的にはただ動物と大差無い行動を取るが、今回遭遇した大型は、身体を覆う黒い靄を背から触手の様に多数伸ばし、飛び回る青年を追い掛け続けている。時にはその触手を鞭のようにしならせ、彼を叩き落としてでも捕らえようとしているのが見て取れた。
世界中に蔓延る、その名も『生きた死』。彼等はそれを『モルス(死)』と呼び、この世界において、最も人類を脅かしている恐るべき存在であった。
スカーフの青年は髪の長い褐色肌の少女を裸のまま肩に担ぎ、片手で巧みに飛行バイクを操りながら右へ左へと触手を何とか躱し続けている。
「チキショー……こいつ、集中的にこっちばっか狙ってくるんだけど! ユズさん、早く助けて!」
「ちょっと待ってろ、すぐ行くから頑張れ!」
重量オーバーとなった人数を乗せた飛行バイクは、若干の悲鳴を上げながら本来のスピードからは考えられない速度で巨大な毒牙から逃げ回っている。
しかし、変異種の『モルス』が牙の付いた触手を上へと新たに伸ばした事に彼が気付いた瞬間、それは目にも止まらぬ速さで飛行バイク目掛けて振り下ろされた。
「やっべ」
避けきれない。スカーフの青年が戦慄に目を見開くが、触手は寸での所で弾かれたように上へと跳ね上がり、千切られた触手の先は飛行バイクの反対側の地面へと音を立てて落下する。
直後に轟く、『モルス』の苦しげに聞こえる咆哮。唖然と見ていた彼のイヤホンマイクに、見張り台にいる青年の低い声が届いた。
《生きてるか? 阿呆リンデンめ》
「あ……ありがとうフェンネル! マジで助かった、ビビったーっ!」
《言っとくが、これは貸しだ。晩飯にアイスを所望するぜ》
「種類はっ?」
《チョコレート》
「了解! 俺もチョコ好き!」
見張り台の青年は構えていた狙撃銃の薬莢を排出し、再びスコープを覗き込んで照準を合わせる。倍率を下げれば、彼はもう一台の飛行バイク近付いてを見つけて小さく息を零した。
「リン、八時方向三十メートル後ろにユズさんだ」
《!》
仲間の言葉を聞いてスカーフの青年が後ろに振り向けば、ガトリング銃を背負う青い肌の男性が飛行バイクで此方へ飛んで来ていた。
未だ逃げ続けるスカーフの青年は、彼の姿を見て思わず安堵の声を漏らす。
「良かった、来てくれた!」
「この大馬鹿野郎! 救助する前に一回相談しろ!」
「だってぇー! 『急を要した』の!」
現場に到着した男性は、すぐに背のガトリング銃を下ろすと素早く構えて残りの触手を落とし始める。その隙に男性の頭上近くへと移動したスカーフの青年は、己の背に携えた剣を抜いて坊主の男性へ向かって叫んだ。
「ユズさーん! 早速だけど、この子持ってて!」
「なっ……!?」
男性が見上げた直後に、上から降ってきた裸体の少女を咄嗟に抱き留めた彼は思わず「うわっ!」と声を上げる。男性は、彼女を投げ落としてきた仲間に悪態を吐きながら、何とか車体の揺れを立て直して落下を防いだ。
「……っお前は、何年! この仕事をやってるんだ! 要救助者を殺す気か!!」
幼い少女の見目は、おそらく船で操縦桿を握る少女よりも上背が低くずっと幼い。推測ではあるが、一見すれば七、八歳程度だろうか。
青い肌の男性はガトリング銃を下げて少女を横抱きに抱え直し、『モルス』からすぐに距離を取る。一旦船へ戻った方が良いと判断し、飛行バイクを旋回させるためハンドルを回そうとするすが。
「駄目だユズさん! コイツの狙いはその子だ!」
「あぁ!?」
「今『チャーチグリム』に近付いたらマリーさん達が危ない! 俺が囮になってみるから、ユズさんはその子の保護をお願い!」
「……まったく面倒な……理解はしたが、要救助者は丁寧に扱え! 分かったか!」
「ごめんなさーい!」
男性は怒鳴りながらも、青年の指示通り飛行バイクを自動運転に切り替え、着ていたパーカーを脱ぐとすぐに少女の身体をくるんだ。
意識の無い彼女に、命綱代わりの簡易ハーネスを装着して自分の物と繋ぐと、男性はその小さな身体を左膝に乗せて抱え込み、再び飛行バイクのハンドルを握る。
ガトリング銃を右膝に乗せて再び構え直した男性は、少女の護りに入るため距離を離しながら向かってくる触手を撃ち返していく。その最中でも、耳に聞こえる通信では、彼等の母船『チャーチグリム号』が対峙している『モルス』もまた変異種であるようだった。
見張り台の青年と会話している少女の声が、少しずつ焦り始めているのが分かる。確かに、現在搭載している船の装備だけで、大型の変異種を相手取るのは少々厳しい。
「リンデン! もう一体も変異種みたいだ!」
「向こうもっ? 急がなきゃ」
一方、身軽になった青年は背中の鞘から剣を抜き、虹色に輝く刀身を目標に向けて真っ直ぐに構えた。
「早く終わらせて、アイス作んないと」
飛行バイクのスロットルを全開にして速度を上げ、巨大な黒い靄の身体を旋回して赤く目が光る頭の方へと飛んでいく。剣を前から振り切るように真横に構え直した青年は、飛行バイクの上で腰を浮かせるとそのまま腿を上げてハンドルに足を乗せ、バイクを踏み台に勢い良く上へと飛び上がった。
『モルス』の頭上よりも高く飛んだ彼は剣を頭上に高く振り上げ、『モルス』の眉間目掛けて思い切り縦に振り下ろす。まるで剣の軌道をなぞるように巨大な斬撃を生んだ剣は刃先が『モルス』に届いていないにも関わらず、大型かつ変異種の『モルス』を一瞬で真っ二つに両断してしまった。
その断面には、青みがかった薄紫の美しい巨大な球体が妖しく輝きながら顔を覗かせている。それこそが『モルス』の動力であり、活動の源である『核』と呼ばれる物体だった。
飛び上がった勢いのまま断裂した間を飛び落ちていく青年はそのまま『核』へと剣を突き立てる。虹色の剣に触れた『核』はガラスよりも脆く簡単にひび割れて砕け、『モルス』は断末魔の咆哮を絞り出すように吠えると、黒い靄の身体をさらさらと空気中へ四散させ始めた。
その様子を確認した彼は腰に携えたフックショットを飛行バイクに撃ち込むと、そのままワイヤーを巻き取ってバイクを引き寄せ、見事に元居た座席の上へ着地する。剣を背に差し直し、爽やかな笑顔で彼は満足気に一息を吐いた。
「よし、討伐完了っ!」
「よく聞けリンデン、お前は今日明日と二日間、洗濯の刑だからな」
「ええっ!?」
何故か、あまりにも心外そうなスカーフの青年に、それでも青い肌の男性は「何が『ええっ!?』だ」と更に青年を叱り付けた。
「本当なら独断での行動は始末書ものなんだぞ。その上、要救護者まで無駄に危険に晒しやがって……ローズマリーに感謝して、お前はしっかり反省しろ」
「はーい……」
「よし、分かったならリンデンはこのまま『チャーチグリム』の加勢に向かえ。俺はこの子の救護で一旦船に戻ってから……」
《ユズくぅーーん! もう限界だ、一気にカタを付けるからなぁー!》
「はぁ?」
船からの無線が繋がった瞬間に聞こえた、聞き馴染んだ少女の声。軍の配給品である黒いパーカーに包んだ少女を抱える男性が「どういう事だ」と問い返した瞬間、男性と青年は、もう一体の『モルス』が、船から発射された激しい光の筋に貫かれるのを目撃してしまった。
轟音の中、強烈なレーザーを口から尾へと一直線に受けた対象は、ゆっくりと地面に身体を倒した直後、塵となって風に溶け消え始める。どうする事も出来ないまま、その光景を唖然と見つめていた二人は思わず顔を引き攣らせた。
「……あれぇ……? マリーさん、閃光砲使っちゃったのぉ……?」
男性は無言で頭を抱え、青年はすぐに見張り台の仲間へ連絡を取る。
もう一体の『モルス』は、吸引した空気を圧縮した弾丸として扱う変異種だった、と見張り台の青年は説明する。『チャーチグリム号』に搭載した装備だけではどうする事も出来ず、要救護者、そして仲間の安全確保が第一と判断した少女は、どうやら船長の権限……という名の独断で閃光砲と呼ばれるレーザーの主砲を使用したらしい。
お陰で残る一体の討伐は一瞬で済んだが、『間違っていた指図書』の所為で充分にエネルギーを蓄えていなかった船は、たった一撃の主砲で全エネルギーを使い果たしてしまったために少しずつ降下を始め、森の中へと入っていこうとしている。
彼等の船は、エンジンに搭載されたエネルギー源が常に自己発電を行うため、放っておいても充電は可能である。しかし充電システム自体はかなり古い物のため、ペダル式発電機を交代で漕ぎ続けても、飛び立てるようになるまでの再充電に最短で三日程の時間を要する。つまり、その間は何とかして『モルス』が巣食うこの立入禁止区で、皆で生き延びねばならないのだ。
《だって! 要救助者も居たし、変異種だったんだぞ!? 使うだろ! みんなの安全確保が第一だろ!》
ちなみに、この様な事態は今回が初めてではない。
「いつも俺達を守ってくれてありがとう、マリーさん。俺も一緒に発電機漕ぐからさ、何なら洗濯とか手伝って欲しいなー」
《一応、俺は止めたんだぜ?》
「どうせなら、もっとちゃんと止めてくれよ……」
仕方無い、まずはメシ探しか。
遠い目をして「面倒臭い」と天を仰いだ男性は、腕の中で気を失う少女を見て、更に深い溜め息を吐いた。
※
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。




