第三日目 5節「決着」(ギルファス)(2)
* * *
一騎打ちが、始まった。
ギルファスのいるところにまで、かすかに、ゴードとガスタールの立てる棍棒の音が届いてくる。
「うわ、見てえ……」
ラムズがそう呟いて、ルーディが頷いている。ギルファスも黙って頷いて、そのオレンジ色の光の中で繰り広げられる一騎打ちに目を凝らした。ここから見ても、二人は一歩も引かずに、見事に渡り合っている。
楽しそうだなあ、とギルファスは思った。
そして、うらやましい、とも。
ミンスター地区の少年たちは、『宴』に備えるためにという名目で、大人たちから戦い方を習う。教える者はそのときによって様々だったが、ゴードとガスタールが一緒に教えてくれることも良くあった。だから、二人の一騎打ちは何度も見たことがある。そういう時二人はとても楽しそうではあったが、少年たちに戦い方を見せるという思いが頭にあるからだろう、どことなく作り物めいた雰囲気があった。相手を打ち負かすよりも、どれだけ違った技を繰り出すか。いかに相手の隙を狙うか。そういう冷たい計算のようなものが、いつもどこかで感じ取れた。
けれど今、あの館の前で行われている一騎打ちは、練習ではない。少年たちに見せるためではないのだ。『宴』という特殊な舞台で、ミンスター地区で一番有名な英雄が二人、その持てる全てをぶつけ合って戦っている。二人の英雄にとって、それはどんなに楽しいことだろうか。
ゴードは先ほどの話し合いで、『宴を本番だと思ったことはない』と言っていた。
でもきっと、今では。ゴードは紛れもなく、今こそが『本番だ』と思っているに違いない。
ゴードが長年の考えを簡単に思えるほどにあっけなく捨てて、ガスタールと一騎打ちを始めた。そのことが、ギルファスは嬉しくてたまらなかった。ゴードが、ガスタールに対してだけは本気になるのだということの、証明のように思えたからだ。
持てる全てを出し切って戦える相手がいるというのは、そして周囲の誰もが、お互いに英雄同士――どちらが劣っているでもなく、どちらが勝っているでもない、かけがえのない二個の存在である、と、認めているというのは、ギルファスにとってとても羨ましいことのように思えた。そう、二人のことが、羨ましくてたまらなかった。お互いに相手のことを『すごい奴だ』と思っている関係。お互いに『絶対に負けたくない』と思いあっているライバルでありながら、かけがえのない親友同士であるという関係。それはなんと羨ましい関係であることか。
俺もいつか、あんなふうになれるだろうか。
俺が思うだけじゃなくて、グスタフが――俺のことを、あんな風に、いつか。
思うようになる日は来るんだろうか。
「ギルファス」
考えにふけっているときに、不意に名を呼ばれて、ギルファスは顔を上げた。
あんまりタイミングが良かったから、グスタフに呼ばれたのかと思った。しかしすぐに、それがルーディの声だと気づいた。暗くてよくわからなかったが、ルーディは西の方――西軍の本拠地であり、今媛隊がいる小屋の方へ、目を向けているようだった。
「誰か走ってくる」
西へ目を向けたまま、ルーディが言う。
「……マディルス?」
同じくそちらへ目を向けたラムズがぽつんと呟いた。その声で、マディルスがこの場にいなかったことに初めて気づいた。二人の見ている方へ目をやると、なるほど、マディルスが転びそうになりながら、必死で走ってくるのが見えた。
――森にいたのか?
漠然と、そんなことを思う。
――森で、何してたんだろう?
マディルスの慌てようは尋常ではなかった。顔は良く見えないが、今にももんどりうって倒れそうなほどに慌てている。その様子に驚いたのか、それとも他の何かに気づいたのか。ルーディが、息を呑んだ。次いで、走り出す。
「どうしたんだろう」
ラムズの声が呟いた。その声に促されるようにして、ギルファスも走り出した。
ルーディとマディルスのところにたどり着くと、暗闇になれた目に、マディルスのゆがんだ顔が見えた。彼は大きく息を弾ませて、今にも泣き出しそうに見えた。普段から落ち着きのない少年だが、ここまで泡を食っているのは本当に珍しい。
息を切らせてマディルスが言った。
「た、大変だ」
「見りゃわかるよ」
ラムズが落ち着かせるためにか合いの手を入れて、マディルスはそれでちょっと息をついた。小さな少年の肩が酸素を求めて上下している。それが少し落ち着くと、マディルスはまくし立てた。
「川なんだこっそり小屋を目指して抜け出したんだ! もう小屋のすぐ傍にまで、」
「主語を言え、主語を――」
ラムズがまたしても口を挟んだ。しかし、ギルファスは。
その言葉だけで、全てを悟っていた。
「グスタフが?」
低い声に、マディルスが頷く。
「うん、……多分」
「川から?」
「松明の明かりが見えたんだ。俺、あのう、小屋に向かう途中だったんだ。『宴』はもう終わりだと思って、それで腹が減って、媛隊のところに行けばなんかあるかなあと思って、それで――」
「人数は」
「く、暗くてわからなかった、でも、少なくはないと思うんだ。ミネルヴァが足怪我してるだろ、だから、それで、俺」
「わかった」
ほうっておけばいくらでもまくし立てて酸欠になりそうなマディルスの肩を叩いてなだめてやる。
本来ならば、勝手に隊を抜け出して媛隊のところへ遊びに行っていたことを咎めなければならないところだろう。でも、そのおかげで気づいたのだ。咎めるどころか、良くやったと背中をどついてやりたい気分だった。
それにしても、よりによってこんなときに。
西軍のほとんどが館の周囲に集まっていて――広場に点在していた部隊も、ゴードとガスタールの一騎打ちに気を取られて、あちらに近づいていってしまっている、この時に。
ギルファスは、顔を上げた。
「ラムズ、ルーディ、できるだけ騒ぎにならないように、みんなに知らせてくれ」
迷っている暇はなかった。まだ小屋の方で騒ぎが起こっていないから、東軍は、小屋をじわじわと包囲しつつある段階なのだろう。媛隊はまだ気づいていないのかもしれない。もしここで大声を出したら、東軍は焦って攻撃を早めるだろう。西軍の攻撃に持ちこたえられるほどの人数を連れているとは思えないからだ。しかし東軍が攻撃を開始してしまっては――東軍の堅牢な館に比べ、西軍の本拠地は急ごしらえの貧相な小屋である。媛隊と、周囲を守る少数の兵士だけでは、到底持ちこたえられるとは思えなかった。
こんなときに銀狼隊を分散するのは避けたかったが、他に仕方がない。
「ギルファスは――」
ルーディが、硬い声でたずねた。ギルファスは自分の胸のうちを確かめるように、呟いた。
「小屋に行く途中にいくつか部隊がいるだろう。彼らと合流して助けに行く」
部隊がいればの話だが。そうは思ったが、口に出さないでおく。
「それなら俺一人で知らせに行く」
ルーディがそう言ったが、ギルファスは首を振った。
「できるだけ早く、できるだけ多くの人に知らせてほしいんだ。こっちは一人でもいいくらいだ」
「ま、まだ包囲されたわけじゃないと思うから、ま、まだ、間に合うと思うよ」
息を切らせながらマディルスが言う。ラムズが苦笑した。
「そうだな。人の目をかいくぐって媛を助けに行くんなら、ギルファスとマディルスが一番上手いよな」
ギルファスは頷いた。謙遜している場合じゃなかった。マディルスは身が軽く、ギルファスは夜目が利く。東軍が小屋を包囲しきってしまう前にたどり着くには、これが一番いいと思える人選だったのだ。
ギルファスには、自分が『宴』の勝敗を左右する銀狼という役割である――という自覚なんて、もうどこにもなかった。
媛を助け出すためにはどうすれば一番良いのか。それを導き出し、実践することしか、考えていなかった。
* * *
館の中は暗かった。
東軍媛隊は全員揃って、館の一階、正面玄関のすぐ脇で、崩れた壁の隙間から、ゴードとガスタールの一騎打ちを眺めていた。本来ならばもっと館の奥深くで身を守っていなければならないのだが――実際、ライラが『一騎打ちを見たい』と言い出したとき、四人はこぞって反対したのだが、最後まで頑強に彼女を押しとどめた少女は誰もいなかった。みんな本当は見たかったに違いない。
ここからだと、ガスタールの広い背中が良く見える。
オレンジ色の松明の明かりに照らされて、ガスタールとゴードがすばやく身を翻しながら、飽くことなく、どちらにも決定的な攻撃を当てることもなく、戦いあっている。戦闘の苦手なライラの目から見ても、その二人の実力が拮抗していることはよくわかった。
ガスタールの方が力が強い。背も高い。ゴードよりもはるかに高い場所から、重い一撃を繰り出すことができる。そして腕が長い。腕が長いということは攻撃範囲が広いということだ。それなのにゴードに決定的な一撃を当てることができないのはどうしてかしら、と呟くと、ライラの右横に座り込んだ媛隊の少女、カシーナが、したり顔で呟いた。
「ゴードの方が目がいいんじゃない?」
「目?」
「そう、あと、身が軽いのよね。ギルファスとゴルゴンを見てたらわかるじゃない? ゴルゴンの方が力が強いし体も大きいのに、ギルファスには勝てないものね」
「負けてもないわよ」
どうしてここでゴルゴンを引き合いに出すのだ。ライラはカシーナを軽く睨んだが、暗闇のせいでカシーナは気づかない。ついでにライラの苛立ちにも気づかず、そうね、と言った。
「だからガスタールもゴードに勝てないし、ゴードもガスタールに勝てないのよ。同じよ」
「でもギルファスってきっと、大きくなるよね」
ライラの左隣の少女が二人の会話に割り込んだ。そのネリカの顔も闇に沈んで見えないが、噂話をするときに特有の笑みを浮かべているのだろうとライラは想像する。
「だって足がすっごい大きいんだよ。あと手も。だからきっと、すぐゴルゴンよりも大きくなるよ、ね」
「ゴルゴンだって大きくなるわよ」
不自然にならないように、努めて平然と答えてみる。するとネリカとカシーナは二人揃ってそうねえ、と言った。
「そりゃ大きくなるだろうけど」
「でも、今の状態で互角なんだったら、ギルファスが大きくなったら、ゴルゴンはもう勝てないんじゃない?」
「そうそう、そう思うよね。ゴルゴンも案外それわかってるんだよ、だからあんなにギルファスに突っかかるんだよ」
「ねー、そうだよね、絶対そうだよ」
二人の無邪気で残酷なおしゃべりは、ライラを挟んで楽しそうに続けられている。ライラは二人に見られないように、きゅっと唇を噛んだ。表立って反論できない自分が、ライラはとても嫌いだった。
――ゴルゴンは本当は優しいのに。
ライラはそれを知っている。でも他の少女たちは知らない。ここでゴルゴンの弁護をしたら――少女たちが嵩にかかってゴルゴンの悪口を言い始めるのがわかっているから、そしてそれがライラを責める言葉にまで発展するのがわかりきっているから、ライラは口をつぐむしかない。
――もしシャティアーナだったら……こういう立場になったとき、決然として弁護するんだろうか。
そんなことを考えて、またさらに憂鬱になる。
ゴルゴンは少し乱暴なところがあるからか、女の子には人気がなかった。それは仕方がないことなのだ。だってライラら、ゴルゴンと同年代の少女たちは、幼い頃に――ゴルゴン率いる悪ガキたちに、多大な被害を蒙り続けてきたのだから。
子供の頃、ゴルゴンに勝てるのは誰もいなかった。
その頃ゴルゴンの姿を見たら、いじめられないように隠れるしかなかった少女たちは、今ここに来て――ゴルゴンの優位が崩れそうになっているのが、嬉しくてたまらないのだ。
乱暴で意地悪だったのは、ずいぶん昔の話なのに。
ギルファスに突っかかるのだって、ギルファスに負けそうで焦っているからじゃない。ライラは悲しいくらいにそれを良く知っていた。ゴルゴンがギルファスに突っかかるのは、焦っているからじゃない。ただ――ゴルゴンにも、どうしようもないのだ。だって、ギルファスはシャティアーナの許婚なのだから。恋人だったなら、ゴルゴンだってあそこまで、突っかからずに済んだかもしれない。けど、許婚だから。腹立たしいのだろう。ギルファスは何もせずに、いつかシャティアーナを手に入れる。それが悔しいのだ。
「ちょっと静かにしなさいよ」
右端の、ライラたちより少し年上の少女が、だんだん高くなってきた二人のおしゃべりをいさめてくれたので、ライラはそっと息をついた。
――ゴルゴン……
胸のうちだけで呟いて、今自分の姿を隠してくれている、ホールの崩れた壁に肘をつく。壁は座り込んだライラの胸の辺りの高さにまで崩れていて、肘をつくのにちょうど良かった。こわばっていた背中が伸びて気持ちがいい。ふわふわの髪が動いて白い頬があらわになり、壁についた肘がオレンジ色の明かりにさらされる。
「ライラ、見つかるわよ」
カシーナがワンピースを引っ張ってきたが、ライラは生返事をするだけだった。
そのままの体勢で、ぼんやりと、この三日間だけ恋人同士を演じることになった、ひとつ年上の少年のことを考える。
三日間。
……たったの、三日間。
そしてライラは崩れた館の隙間から見える、星空に視線を移した。あがりかけたばかりの白い月が、ライラから見て正面の、東の空に浮かんでいた。東の空には雲が多く、月はすぐに隠れてしまう。でもそのほかの空は綺麗に晴れて、贅沢なほどに満天の星空だった。
――もう、終わっちゃうんだ。
焚き火と松明の焦げ臭い匂いが混じる夜気に、ライラはそっとため息を吐いた。
ゴルゴンと一緒に今年の『宴』に選ばれた時はとても嬉しかった。役割だと思えば、今まで絶対言えなかったようなことだって言えると思った。大きくなって昔ほどには乱暴じゃなくなった代わりに、女の子に近づいてこないようになったゴルゴンと、誰にも見咎められたりせずに堂々と話せる、貴重な時間だと――思った。
でも、実際には。
自分の意気地のなさに気づかされただけの、惨めな、惨めな、時間だった。
(媛は大人しくしていなきゃ駄目だ)
(媛は銀狼を自由に動かせるために、館の中にいてくれなくては)
(銀狼と媛が『戦死』したら、敗北が決まってしまうのだから)
口々に語られる言葉が、初めの頃、ライラにはとても甘美に聞こえた。ライラは自分に戦いの能力がないことを良く知っている。外見が派手だから、活発な少女だと思い込む人間が多いけれど、ライラはどちらかといえば人の後ろで働くのが好きだった。自分が表舞台に立つような人間じゃないことなんて、わかりきっていた。
だから、口々に言われたときには本当にホッとしたのだ。
ただみんなに守られて、ただみんなに助けてもらって。それでいいのだと言われたときには、人の後ろに隠れている口実をもらったような気がした。この三日目の―― 一番危険なときにも、みんなが勝利をつかむために戦っている最中にも、館の中で、ぬくぬくとしていれば良かった。
――でも。
聞こえてくるのはシャティアーナに対する賞賛の言葉ばかり。
自力脱出を果たした、前代未聞の媛。
脱出したあとも、囮になって活躍した。
西軍では、銀狼と媛が肩を並べて戦ったそうだ――
その言葉には呆れたような響きとともに、シャティアーナへの紛れもない賞賛の感情が、隠しきれずに漂っている。
(君は大人しくしていてくれて助かるよ、ライラ)
苦笑紛れに言ったのは、ガスタールだ。
(『宴』の媛はそうじゃなきゃいけない)
そう言ったのは、西守備隊の隊長、だっただろうか。
ゴルゴンも頷いていた。ライラがここにいてくれるから、俺は気にせずに戦えるのだと。
そう、言うくせに。
――聞こえてくるのは、シャティアーナに対する賞賛の言葉ばかり、で。
ライラは黙って、ニコニコしながら、その会話を聞いていた。東軍内部でシャティアーナへの、賞賛の言葉を聞くたびに。ゴルゴンの顔に確かに浮かぶ、かすかな微笑みを。ただ、見てきたのだ。
(こんな……ひどい話があるかしら)
ライラはため息をついた。
情けなくて、たまらなかった。
あたしは今までの『宴』の常識に則って、媛の義務を果たしてきただけなのに。
どうしてこんな気持ちにならなければならないのだろう。
あたしが今まで普通の媛でいたことは、間違いだったのかと思わされて。
ただ逃げていただけなのじゃないかと、自問せずにはいられない。本当はシャティのようにできたのに、シャティアーナのようにしなければならなかったのに、そうするのがいやだから、あんな風にはできないから、あたしはみんなの言葉の上に胡坐をかいて、それで、だから、……でも。
三日目も終わりになってから、こんなことに気づくなんて。
あたしはこのままでいいのだろうかと、問いかけなければならないなんて。
ライラは黙ったまま、立ち上がった。媛隊のみんなが驚いて見上げてきたのが気配でわかった。それを見下ろしながら、悲しい気持ちで呟く。あたしは一体どうしたらいいんだろう。何もわからない。でも、このままただ日付が変わるのを待つだけでは、本当に何もわからないままかもしれない。
何か、しなくちゃ。
どうしたらいいのかわからないけど。
ライラはできるだけ心を落ち着けて、言葉が平静に響くように気をつけて、口を開いた。
「……ちょっとお花摘みに。床が冷たくて冷えちゃった」
「ついて行こうか?」
カシーナが腰を浮かせる。ライラは首を振った。
「ううん。大丈夫。ゴードとガスタールの一騎打ちが終わるまで、西軍も攻め寄せては来ないでしょう」
「いってらっしゃーい」
ネリカの能天気な声がする。カシーナもついてはこなかった。それが何より嬉しかった。みんなとても優しいのに――まるでライラが逃げ出さないように見張っているみたいだ、なんて、思ってしまわずに済んだから。
そしてライラは、ひっそりと静まり返った館の中を、足早に歩き出した。




