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第二日目 5節「暗殺」(アイミネア)(2)

  *   *   *


 この館は、かつての豪奢な生活を誇るかのように、無駄に広い。

 目指す部屋にたどり着くまでに、何人かとすれ違った。誰もが屈強な男たちばかりで、夜中の警備につくために、早めに眠りに入るのだろう。みんな足早に先を急いでいて、幸いなことに声をかけられなかった。目的地への長い長い廊下を歩く間、ずっと緊張しきっていたので、もうこの廊下ったら果てしなく続いているのではないかと思えるほどだった。

 それでも、やっと、目的の扉にたどり着いた。この部屋は身分の高い人物が住んでいた部屋のようで、その分執拗な略奪を受けたのだろう。入り口の壁が崩れて瓦礫が床にばら撒かれていて、扉がなくなっている。これは三階と同じだった。まだ周囲に人影がいたので一度その前を通り過ぎ、廊下から東軍の人々がいなくなった一瞬を狙って、部屋の中に滑り込む。

 壁が崩れてはいたものの、いつ人が出てくるか分からない廊下と違って、部屋の中の静けさはありがたかった。廊下側の壁の隅に寄ると、この部屋の中を覗き込まない限り見つかる怖れもなさそうだ。部屋の中央にはうずたかく瓦礫が積み上げられていて、アイミネアの記憶が正しければ、あの瓦礫の山の向こう側に、一階へ続く大きな穴があいていた。……はず。

 防水布を抱えたまま足早に瓦礫の山の向こうに回る。窓板が閉められているので、部屋の中はほとんど何も見えない。廊下から見えない場所に来ると、彼女は一度防水布を床に置いて、自分も床に座り込んだ。廊下からの光が届かないこちら側は本当に真っ暗だ。

 床に腰を下ろして、足を伸ばして穴を探る。この暗闇の中足を踏み外して一階に転落なんて、洒落にもならない。足の先が穴のふちらしきものに触れた。体を起こして手で触れてみると、確かに床に穴があいている。用心深く穴のふちをつかんで、彼女は穴の中を覗き込んだ。

 一階も暗かったが、この部屋ほどではなかった。窓板はしまっているようだが、部屋の南側の方から、かすかに光が届いている。

 人の気配はしない。

 少し大胆になって、彼女は穴の中に頭を突っ込んだ。ぶら下がった状態のまま、ぐるりと辺りを見回す。一階は、数部屋分をぶち抜いた大きな部屋になっていた。かつては応接間として使われていたのだろう。アイミネアが今いるところは、応接間の中央付近、やや北側である。

 一階は、他の階に比べて天井が高い。飛び降りても怪我をすることはないだろうが、音を立てずに降りる自信はなかった。ミネルヴァだったら難なく飛び降りるのだろうけれど。それに暗すぎて、床に障害物があるかどうかもわからない。

「……」

 どこかで、話し声がした。

 アイミネアはぎくりとして、辺りをそっと見回した。

 南側、つまり応接間の中央の方から、うっすらと明かりが漏れている。声は、そこから聞こえてきたものらしい。

「……」

「……」

「……」

 声に一度気づくと、何人かが会話を交わしているようなのがわかってきた。内容までは聞こえないが、場所的に考えると、さっきライラやゴルゴンがするといっていた打ち合わせの可能性が高い。よく目を凝らしてみてみると、南側の方に、どうやら衝立ついたてらしきものが立てられているのが見えてきた。あの向こうで、打ち合わせをしているものらしい。

 それだけ把握してしまうと、アイミネアは即座に行動を開始した。

 まず、抱えてきた防水布を一枚ずつ広げて、音を立てないようにそっと一階に下ろした。最後の一枚をそうっと裂いて長くし、二階の窓枠に固定して、即席のロープを作る。ガートルードほど鮮やかには行かないが、アイミネアの体重を支えるくらいなら大丈夫だろう。

 次に積み上げられていた瓦礫を一つ、一階の防水布の上に落とす。

 何度かロープを引いてから、彼女はそっと穴を通り抜けて、ロープを伝って一階に音もなく降り立った。

 南側での話し合いはまだ続いている。じりじりしながら、音を立てないように気をつけて防水布をたたみ、いつでも持って逃げ出せるように束にしてしまってから、今伝って降りてきたロープの先に先ほどの瓦礫を結びつけ、二階の穴に向かって投げた。瓦礫は上手く穴を通り抜けて、ロープごと視界から消える。瓦礫が床にごつんと当たる音がして肝が冷えたが、誰も気づいた様子はないようだった。一階にぶら下げたままにしておくよりは、この方がよっぽどマシだろう。仰向いて首尾を確かめてから、彼女は部屋の中をぐるりと見回した。

 その部屋は、とても広かった。本来は長方形をしているが、どうやら真ん中辺りで二つに仕切られているようだ。衝立の向こうから、うっすらと光が届く。

 足音を忍ばせて衝立に歩み寄り、隙間から向こうをのぞくと、彼女から見て右側の角の部分がまた衝立で仕切られていて、光はそこから漏れてきていた。話し声も鈍く伝わってくる。しばらく耳を澄ませたが、彼女の鋭い聴覚をもってしても、内容までは聞き取れない。

 衝立の狭い隙間を覗き込んだままの状態で、彼女はしばらく思案した。

 目の前に、話し合いの場を仕切る衝立が見えている。

 その衝立に沿うようにして、防水布の山が築かれていた。何とか、あの防水布の中にもぐりこめないだろうか。きちんとたたまれているわけじゃなく、山積みになっているから、今もっている布も足せば、小さなあたしの体くらい隠してくれるだろうか。

 思案し、ためらったのは一瞬のことだ。

 やるしかない。それ以外に、あいつらの話を盗み聞く方法なんてない。決意して一つうなずき、彼女は再び行動を開始した。

 隙間から離れ、衝立を左手で触りながら、足早に部屋を横切る。西側の壁と衝立の間には結構広い隙間が開いていて、そこから通り抜けられる。

 目の前に、出入り口がある。今は閉まっているが、いきなり開いたりしたら大変だ。

 そんなことを思いながら、彼女はその広い隙間に、何気なく足を踏み出した。

 衝立から離れ、薄闇の中に、アイミネアの小さな体がさらされる。

 足音こそ忍ばせていたものの、何の警戒もしていなかった。だから、向き直った前方の闇の中に、一人の見張りの姿を見たとき、彼女はギョッとして立ちすくんだ。

 一瞬何が起こったのか分からなかった。

 暗い暗い闇の中に、男が一人立っている。

 男の顔は見えなかった。男が立っているのは、会議が行われている衝立の陰で、その向こうから漏れてくる明かりのせいで、彼を包む闇はいっそう濃く際立って見えた。だから彼の姿は、輪郭しか見えない。

 一番大変なのは、防水布の陰にもぐりこむ時だと思っていた。

 それから、すぐ目の前にある扉が開いて人が入ってくることも、もちろん警戒していた。

 だから。

 衝立の向こうに、まさか見張りが立っているなんてことは、白状すれば考えもしなかったのだ。

 彼は直立不動の姿勢のまま、まったく動かなかった。

 いきなり姿を見せたアイミネアに驚いているのだろうか。

 硬直から覚めたら、彼はどうするだろう。大声を上げるだろうか。掴みかかってくるだろうか。

 この窮地を切り抜けるためのありとあらゆる方法が脳裏に明滅し、一瞬のうちに全て却下された。今から棍棒を突きつけたって、物音を立てれば、会議中の人たちが気づいてしまう。彼が我に返ったらそれで終わりだ、と結構冷静に彼女が思った、時。

 見張りは両手を上にあげた。

 頭上で両手を組んで、背中を伸ばす。

「うーん」

 聞こえた見張りの声はやけに呑気で、アイミネアは闇の中で目をぱちぱちとさせた。もしかしたら、という考えが、脳裏に沸き起こる。もしかしたら、彼は、背中を向けているんじゃないのか?

 暗くて見えないけど、でも。

 神様、ありがとうございます。

 アイミネアはそっと足を横にずらした。動きを止めていた心臓が急に激しく打ち始めた。神にというよりは、目の前の見張りの背中に祈る。どうか振り返りませんように。あとほんのわずか、ほんの数センチ、あたしが横にずれるまで。衝立の陰に隠れるまで。

 気配を消し、できるだけ静かに、左足を衝立の陰に入れて。

 後は体を、衝立の陰に入れるだけだ。

 ……そのとき。

 いきなり、バン! と音が響き、目の前に何か真っ黒いものが出現して、彼女は今度こそ飛び上がった。鼻先に壁がいきなり出現した。鼻をぶつけなかったのが不思議なくらいだ。

 それはつまるところ、先ほど警戒していた扉の片方が、いきなり開かれたというだけのことだった。後から思えば、これはものすごい幸運だった。もし扉を開けた人間が、向こう側の扉を開けていたら、アイミネアの目の前に人間が出現したことになる。また扉が逆方向に開く仕組みになっていても同じことだ。そして、彼女が立っていた場所がほんの少し前だったら、彼女は顔面を強打された挙句に気づかれるという大惨事が起こっていただろう。ちょうど彼女の体を隠すように開いたというのは、後にして思えば大変幸運なことだったのだが、残念ながら彼女にはそれを把握している暇がなかった。

 どう動いたのかも覚えていない。

 気づくと、先ほどの衝立の陰にうずくまっていた。

 どくどくどくどく、血管がひどい音を立てている。

 その音を伴奏に、扉を開けた人間が、息を弾ませて言った。

「お、お呼びだとか!」

「……うあー、ビックリした」

 答えたのは先ほど伸びをしていた見張りだろう。こっちの方がビックリだわ、と呟くアイミネアをよそに、彼は苦笑混じりに抗議した。

「全く。ノックぐらいしろよな」

「すみません。慌ててしまっていて」

 答えた声は、少女の声。

 息を弾ませているが、耳に快い、落ち着いた響きを持つ声。

 この声は。

 アイミネアは先ほどの驚愕の余韻を何とか押さえつけて、肩越しに、衝立の向こうを覗き見た。開かれていた扉がゆっくりと閉まるところで、入ってきた人間はここからは見えない。でも、この声は。アイミネアは自覚しないうちに立ち上がっていた。衝立の向こうで、ひそやかな会話が続く。

「会議に呼ばれたんです。取り次いでいただけます?」

「もちろん。こちらへどうぞ」

 見張りが彼女を連れて、会議を仕切る衝立の隙間のほうへ歩いていく。

 こちらへ背を向けて。

 チャンスは今しかない。

 アイミネアは、ごくりと唾を飲み込んで、そして今度こそ、衝立の陰から足を踏み出した。

 

 二人の後についていくのは、とても緊張を強いられることではあったが、伝令隊の精鋭であるアイミネアにはそれほど難しいことではなかった。相手がどこにいるのかわかっていて、どういう状態であるのかも分かっていれば、緊張や恐怖は押し殺すことが出来る。ただ二人が振り返りさえしなければ、難なくついていける。

 彼らの後をつけながら、彼女はこれからの計画を頭の中で組み立てた。難しいのは彼らが衝立の隙間にたどり着いて、中に入る時だ。その後ろを上手にすり抜けて、防水布の方まで行くことが出来れば、後は会議の模様をじっくりと拝聴することが出来るというわけだ。

 心臓は相変わらず跳ね回っていて、その音で二人に気づかれるんじゃないかと思いながら、アイミネアはそっと二人の後姿を盗み見た。

 先ほど入ってきたのは、アイミネアとそう年の変わらない、一人の少女。

 二つに分けた長い髪を、きっちりとしたお下げにしている。

 二人が衝立の隙間にたどりつき、見張りが彼女を先に入れた。一瞬こちらに向けた横顔が、中の光に照らされる。見張りが彼女を中に押し込むようにして入り口で立ち止まり、向上を述べる。アイミネアは足を速め、できるだけ中の人々の目に触れぬよう少しだけ離れてから、彼の背中を通り過ぎた。

「ヴェロニカが来ました」

 見張りの声が背後で響く。

「どうぞ、お座りください」

 ガスタールの低い優しい声が、衝立の向こうで響く。

「遅くなりまして、すみませんでした」

 ヴェロニカの静かな声を聞きながら、アイミネアは防水布の山に駆け寄って、はやる心を抑え、できるだけ音を立てぬよう気をつけながら、衝立と布の山の間にもぐりこんだ。

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