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第二日目 4節「一騎打ち」(ギルファス)

 目をあけると青空が広がっていた。青い青い空。汗ばんだ額を渡る風は涼やかで、もう秋なのだとギルファスは思う。

 時刻は、昼を少しだけ過ぎたばかり。

 明け方の戦闘が嘘のように、平和な昼下がりだった。

 

 銀狼隊が森の中から脱出したころ、鏑矢によって攻撃に出たゴードら西軍本隊は、まずまずの戦果をあげていた。東軍が夜襲に気づいていたために、壊滅的な打撃を加えることこそ出来なかったが、今朝を境に『宴』の戦況が一気に西側に傾いたのは事実だった。

 ギルファスは、草むらの上に寝転んで、遠くに小競り合いの音を聞きながら、青空を眺めている。

 脳を占めているのは、唯一つの疑問だけだ。

 ――どうして。どうして、ウィルフレッドは……

 不思議でたまらなかった。……いや、去年までのギルファスだったら、不思議になど思いもしなかっただろう。銀狼は尊重されて当たり前。そういう意識でずっと育ってきたのだから。

 しかし、今年は違う。銀狼になったからといって、自分は何も変わっていない。ただ銀狼だというだけで、尊重されて当然だとは思えない。銀狼は、それほどまでに、重要な存在だろうか。『宴』は、中日がようやく始まったばかりである。これからが本番だと言ってもいい。『宴』において銀狼を重視するのは、銀狼と媛が両方戦死したらその場で『宴』が終わってしまうからで。銀狼に『生きて』いて欲しいと願うのは、自分の活躍する場を長引かせるため、という意識が、若者たちの中には確かにある。

『戦死』してしまったら、ウィルフレッドにとっての『宴』は、終わってしまうのに。

 目を閉じると、昨夜の闇が脳に浮かぶ。闇の中、わずかながら届く月明かりが、闇をひときわ濃く際立たせていた。木々の間から東軍兵士たちの黒々とした影が見え、隙を見ては棍棒が振り下ろされ、体中が熱く、左腕がうずき、心臓が激しく脈打つのがうるさかった。

 ウィルフレッドは、思えば、ずっとギルファスの左側を固めてくれていた。ともすればがら空きになりがちの場所を、さりげなく気をつけていてくれた。そして最後に、ギルファスを逃がすために、自分ひとりだけ、東軍の只中に残ったのだ。

 不思議といえば、銀狼隊のみんなもそうだ。

 あの時ウィルフレッドの名を呼んだのは、ギルファスだけだった。

 他のみんなは、当然のことだと受け止めた。ウィルフレッドが残って、ギルファスが逃げることを。彼らは、立ち止まろうとするギルファスを引きずりかねない剣幕で、あの闇の中から連れ出した。『目付』の声が、無情に響く。

『西軍銀狼隊ウィルフレッド、戦死』

 もしこれが『宴』という名のゲームじゃなくて、本当の戦争だったら。

 少しだけ、背筋が寒くなる。本当の戦争で、戦死するということは、その人と二度と会えなくなるということだ。今ならば、『安置所』に忍んでいって、ウィルフレッドを問いただすことが出来る。なぜあんなことをしたのか。どうしてああしてまで、銀狼を生き延びさせようとしたのか。聞くことが出来る。満足の行く答えを得ることが出来なくとも、その疑問をぶつけることは出来るのだ。

 しかし、本当の戦争だったなら、ウィルフレッドは既にこの世にいない。どうかんばっても、面と向かって問いただしたり、首元をつかんで揺さぶったり、……左側を固めていてくれてありがとうと、礼を言うことすら出来ないのだ。

 ――『戦死』してもいいんだよ、ギルファス。

 ゴードの言った言葉。

 本当の戦争だったなら、銀狼が戦死したからといって、何だというんだ?

 確かに……それはそうだけど。

 ギルファスは、目を閉じたまま、寝入りそうになる自分を自覚しながら、考えをめぐらせる。

 ――本当の戦争だったなら……俺はシャティを戦場に出して、こんなに平然としてはいられない。

 今も、媛隊はゴードの命令で、囮作戦のために活躍している最中だ。

 無事だろうか。危険な目に遭ってないだろうか。本当の戦争だったら、そしてシャティアーナが今のような役割を担っていたとしたら……

「お前よくこの状態で寝られるな」

 あきれたような声がして、ギルファスは薄目を開けた。仁王立ちになったラムズが、真上から見下ろしている。

「飯、持ってきた。食うだろ?」

「ああ……」

 ため息をついて起き上がると、ラムズが隣に座った。

 ギルファスとラムズの間の地面に、バスケットがどさりと置かれる。ギルファスは、頭に残る眠気を振り払って、バスケットに手を伸ばした。

 

 二人は今、昨日占領した小高い丘の、東側の斜面にいた。ここからだと、今『宴』の中心になっている、東側の平野が良く見える。二人のちょうど正面に館が小さく見えていて、右手のほうに背の高い潅木の茂みが点在していて、広場の周囲をぐるりと森が囲んでいる。

「なんか、浮かない顔してるな」

 もぐもぐした口調で、ラムズが言った。練り粉にかぶりつきながら、こちらを見る。

「ゴードには褒められたんだろ。鏑矢を撃ってくれて助かったって。マディが大喜びしてたぜ」

 てっきりもっと、嬉しそうな顔をしてると思ったのに。ラムズの言葉には答えず、ギルファスは塩味の利いた練り粉の塊にかぶりついた。腹が減っていた。黙々と食べる彼を見て、ラムズはちょっと、息を漏らした。

 仕方ないな、というような吐息。

「銀狼を一度でもやるとさ……みんなが思ってるほど、いい役じゃないってわかるよな」

 まるでギルファスの内心を見通すかのような的確さで、ラムズはそう言った。

 ギルファスは顔をあげた。

 よっぽど不思議そうな顔をしていたのだろうか。ラムズが少し笑う。

「銀狼を助けるために、ウィルフレッドとヴェロニカが『死んだ』」

 事実を確認するような、淡々とした口調。

 ギルファスは止まっていた口を動かして、練り粉の塊を飲み下しながら、彼を見た。

「ヴェロニカ、見つかったのか?」

「いや……」

 そこがおかしいとこなんだよな。ラムズは言って、再び練り粉の塊を口に入れた。しばらく、もぐもぐと口を動かす音だけが聞こえる。

 

 東軍兵士に囲まれていたとき、隙を作り出してくれた大音量は、ヴェロニカが作り出していたのだと、先ほどラムズから聞いた。

 ギルファスたちが、鏑矢を撃ってゴードやシャティアーナに危機を知らせたのと同じように、ヴェロニカは、銀狼隊を助け出すために、暗闇の中で大きな物音を立てて、東軍兵士たちの注意をそらせてくれたのである。

 自分の居場所がばれるのを厭わず。

 彼女とはそれっきり、会っていない。見つかってもいないという。それで、ゴードも首をひねっていたのだ。『宴』で出た『戦死者』は、本物の死体ではない。動くこともできるし、口を利くこともできる。『戦死』したものは、たいてい自分で歩いて『安置所』へ向かう。ヴェロニカが姿を見せないのはおかしかった。どこかで怪我をして動けないのだろうかと、暗いうちはずいぶん心配されたものだが、日が高く上がってしばらくしたというのに『目付』の目にも触れないというのはおかしい。

「お前さ、実は、銀狼だからとかどうとか言う前に、自分でどうにかできなかったのが、悔しいんだろ」

 いたずらっぽい口調で、ラムズが言った。

「ウィルを犠牲にしなけりゃあそこから逃げられなかったのが、気に入らないんだろ?」

「う……」

 ギルファスは一瞬、言葉に詰まった。ラムズの言葉は、憎らしいくらいにギルファスの心を言い当てた。今までギルファスは、助けられる側、保護される側、守られる側に回ったことがなかった。『宴』で危険な局面に立たされても、自分の力でそこから抜け出すか……それがかなわなければ、『戦死』する。ただそれだけでよかった。銀狼になって初めて死んではならないと言われ、初めて、自分を保護するために他の人間が『死ぬ』という局面に立った――

 グスタフだったら、あの場面で、ウィルフレッドもマディルスもそして自分自身も、無事に脱出する作戦を立てることができただろうか?

「そりゃ無理な相談だ」

 ラムズが絶妙なタイミングで言ったので、ギルファスはぎくりとした。自分の内心を、声に出してしまっていたのかと思った。

「あの場面でウィルがあの行動を取らなかったら、全滅してたと思うよ、俺は。……って俺たちがはぐれたのが悪いんだけどさ」

 先ほどから何度も謝られていたのだが、ラムズはもう一度、ごめんな、と言った。

「どんな奴だって、あの場面で、誰かを犠牲にせずに助かるなんて不可能だった。というか、ああなったのはお前が鏑矢を撃つと決断したからだ。でも考えてみろよ、西軍が夜襲で戦果をあげることができたのは、あのタイミングでゴードに知らせることができたからだ。……もし鏑矢を撃ってなかったら? どうなってたと思う?」

 お前のとった行動は、正しかったんだよ。

 ラムズはそう締めくくって、しかめっ面で、虚空を睨んだ。

 ややあって、口を開く。

「くそ、何を言わせるんだ……恥ずかしいじゃないか」

「くっ」

 ギルファスは思わず吹き出した。くくくく、とのどが鳴るのを抑えることができない。ラムズはおどけてこちらを睨んだ。

「笑うか、そこで」

「わ……悪」

 止めようと思っても、笑いは大人しく収まってくれそうもない。照れているのはこちらも同じだったし、励まそうとしてくれている、ラムズの言葉がくすぐったかった。うつむいて身を震わせていると、ラムズも笑い出した。

「まあ、頑張ろうぜ」

 そう言いながらも、照れ隠しなのか、ばしばしと背を叩かれる。

 そこへ、

「あーっ! こんなところにいやがった!」

 背後から甲高い声がして、斜面をマディルスが駆け下りてきた。

「なぁーにやってんだよ二人して、今大変なんだよちょっと!!」

 勢いあまって二人のいる場所より少し下まで走り降りてしまいながら、マディルスが体をひねって言った。かなり不安定な体勢だったが、身の軽いマディルスはくるりと器用に一回転して、二人に向き直って止まった。息を少し切らせている。

「ど、どうしたんだ?」

 ラムズが棍棒を左手に腰を浮かせた。ギルファスも顔をあげる。マディルスはよほど慌てているらしく、あわあわと両腕を動かした。

「ヴェ……ヴェロニカが東軍でシャティアーナが囮で鉢合わせって言うか! なあ!?」

「はあ?」

「いいから来てよ北側の森だよ出動命令が出たんだよ!」

「落ち着け」

 再び背後から声がした。今度はルーディだ。こちらも走ってきたらしく、息を切らせていたが、マディルスよりはずいぶん落ち着いている。ルーディは余計な前置きをせず、単刀直入に言った。

「囮作戦が成功した。シャティたちが銀狼を釣り上げた。今小競り合いしながらこっちへ向かってる」

「ゴルゴンを!?」

 ギルファスは跳ね起きた。左手は無意識のうちに棍棒をつかんでいる。今朝酷使した左腕は、ここ数刻の休息でだいぶ痛みが薄れていたが、今やはり感覚はない。取り落としそうになった棍棒を右手でつかみなおしながら、彼は訊ねた。

「どこだって?」

「北の森。……行こう」

 ルーディの声は重苦しくて、走り出しながら、先ほどマディルスがいっていた言葉を思い出した。ヴェロニカ。行方不明のヴェロニカが、再び姿をあらわしたというのだろうか――

 嫌な予感がする。長い髪をお下げにした、有能で綺麗で温和で優しい、ルーディの姉。彼女が。

「ごめん、ギルファス」

 ルーディが、走りながら言った。

「姉ちゃんが、スパイだったんだ」


  *   *   *


 ゴルゴンはギルファスたちと同い年の勇猛な少年である。

 子供の頃から体が大きく、腕っ節も強く、それに見合うように気性も激しかった。昔ギルファスはからだが小さく、両親がおらず、負けん気だけは強かったものだから、よくゴルゴンには様々なちょっかいを出されたものだ。ゴルゴンは腕白で悪戯小僧で大多数の大人が言うところの「悪ガキ」で、独裁的で強引な少年だったが、その分さばさばした性格で、『宴』で同じ軍になるとかなり頼れる味方になる。

 幼い頃の経験を引きずって、ギルファスのゴルゴンに対する感情は未だに複雑だ。すごい奴だと思う気持ち、負けたくないと思う気持ちに加えて、出来るならば近寄りたくないというような、苦手な意識も確かにある。それはとても微少な感情で、普段は忘れているのだが、ゴルゴンに向かい合ったときに一瞬だけ走る違和感でそれを思い出す。

 鼻白むというのだろうか。一瞬だけ、後ずさりしたくなるのだ。実際後ずさりしたことはないし、その感覚は一瞬だけですぐ消えるのだが、ギルファスは、そんなことを感じる自分が情けなくて厭だった。

 

 そのゴルゴンが、今、少しずつ西軍の仕掛けた罠にはまりつつある。

 広場の北側よりで展開していた戦局は、横に広がる傾向にあった。ゴルゴンら東軍銀狼隊が、北側よりにいたのに着目したゴードは、シャティアーナたちをそこへ投入して、木々の比較的多い方へと誘導したのである。その作戦を聞いたとき、銀狼がそううまく前線に出てくるだろうかとギルファスは思った。ゴルゴンが出ようとしても、周りが止めるのではないだろうかと。しかしゴードはにやりとして、言った。

「媛でつれば出てくるさ。ゴルゴンは今手柄を立てたくていても立ってもいられないだろうからな」

 グスタフが奴の、せめてひとつか二つでも年上だったなら、また話は違うだろうが。

 付け加えられた言葉が気になったが、事実、ゴルゴンは媛を追って突出し、仕掛けられた罠にかかりつつある。

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