エレナ・クロウリー十五歳
※十七世紀パートの会話は、当時の言語を現代日本語に置き換えて表現しています。
――一六一二年
ランカスター城。
裁判の朝、城内には大勢の人間が集まっていた。
兵士に挟まれ、エレナ・クロウリーは法廷へ向かって歩いていく。
両手には鉄の枷がはめられていた。
頬にはまだ新しい傷が残り、歩くたびに乱れた金髪が顔へかかる。
人垣の中から声がした。
「この魔女め!」
「親殺しの悪魔が!」
エレナが足を止めかける。
「ちゃう」
小さな声だった。
「ウチは殺してへん」
誰かが石を投げた。
鈍い音がして、エレナの体が傾く。
反射的に跳ね上がった両手は、ジャラリと重い音を立てただけで顔には届かなかった。
兵士が怒鳴って群衆を下がらせたが、異様に興奮した場の空気は変わらなかった。
「魔女!」
別の場所から声が上がる。
兵士に促され、エレナは再び歩き出した。
もう弁解はしなかった。
法廷の扉が開く。
エレナは一度だけ振り返った。
人垣の向こうには、知らない顔ばかりが並んでいた。
やがて扉が閉まり、その姿を覆い隠した。
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十数日前。
イングランド北西部、ランカシャー。
「エレナ」
「……ん?」
窓の外をぼんやり眺めていたエレナは、母ソフィアの声で我に返った。
「それ」
「え?」
ソフィアの視線を辿り、手元へ目を落とす。
いつの間にか、机の端に置かれたロウソクから青白い炎が離れ、エレナの指先でゆらゆらと揺れていた。
「あっ」
エレナは慌てて指を閉じた。
炎がふっと消える。
「ご、ごめん。ぼーっとしとった」
「もう……。家の中でも、なるべく使わないって約束したでしょう?」
「うん……」
ソフィアの目が、ちらりと窓へ走った。
「誰かに見られたら、どうするの?」
「……目隠しの板、ちゃんと閉めてるやん」
「そういう問題じゃないの」
「分かってるって。ごめん」
ソフィアは困ったように息を吐き、窓の目隠し板を確かめた。
部屋の隅では、父ルークが開いていた聖書の脇で、日曜礼拝の説教原稿を書いていた。時折ペンを止めては、凝りをほぐすように首を回している。
「お前なぁ。前の町でも同じこと言うとったやろ」
「前の町では外で使ってへんやん」
「家ん中で使っとったのを見られかけたやろが」
「あれはたまたまや」
「その『たまたま』で何回引っ越す気やねん」
エレナが口を尖らせる。
「ウチのせいだけちゃうやろ」
「誰もお前だけのせいや言うてへん」
「ほなええやん」
「ようないわ」
ルークは原稿の上にペンを置き、顔を上げた。
「ここへ来てまだ大して経ってへんのや。今度こそ、しばらく大人しゅうしとけ」
「分かってるって」
「さっきも聞いたわ」
エレナは欠伸を噛み殺し、ぷいと窓の方へそっぽを向いた。
けれど、いくらもしないうちに、ちらりと父の背中を盗み見る。
「お父ちゃん、また肩痛いん?」
「ん?」
「さっきからずっと首回しとるやん」
「歳やな」
「まだそんな歳ちゃうやろ」
エレナは椅子の後ろへ回ると、ルークの肩へ両手を置いた。
「ほら」
「なんや」
「揉んだる」
「しゃあないな。揉ましたるわ」
「態度でかいな。
うわっ、硬!」
ぐっと指に力を込める。
「痛っ! お前、力加減知らんのか!」
「うるさいなあ。じっとしとき」
「魔法よりこっちの方が危ないわ」
「大げさやな」
ルークの悲鳴を聞き流しながら、ソフィアが小さく吹き出した。
その間にもルークが大声を張り上げている。
ソフィアは朝から置いてあった黒パンを指した。
「エレナ、それ終わったらパンを切ってくれる?」
「はいはい」
「返事は一回」
「はーい」
エレナは最後にひと押ししてから肩を離し、台所へ向かった。
口では面倒そうに言いながらも、パンを切り、皿へ並べ、ついでにソフィアが運ぼうとしていた器まで横から取った。
「あら、ありがと」
「お母ちゃんもゆっくりしとき」
「さっきまで文句言ってたのに?」
「なんとなく手伝ったろって思っただけ」
「調子いいんだから」
「へへっ」
エレナの目が、ふと窓の外へ向く。
朝から降り続く雨は、まだ止む気配がなかった。
ぬかるんだ道を、二人の男が歩いていた。
一人は黒い外套の下に書類を抱え、時折そこへ何かを書き込んでいる。
もう一人は少し離れてその後ろを歩き、家々や行き交う人間を静かに見回していた。
向かいの家から出てきた二人は、短く言葉を交わし、次の家へ向かう。
そして次の家へ向かった。
エレナが窓辺へ寄る。
「……また来てるわ」
「ああ」
ルークの返事は短かった。
「何してんの、あの人ら」
「聞き回っとる」
「何を?」
ルークは原稿に目を落としたまま、ぼそりと答えた。
「魔女や」
「また?」
「ああ」
二人の男が、もう一軒先の家の扉を叩く。
しばらくすると、中から出てきた女が何かを尋ねられた。
遠くて声までは聞こえない。
だが、その顔が青ざめていくのは窓からでも分かった。
「……ほんまにおるんかな」
「何がや」
「魔女」
ルークの手が止まった。
エレナは窓の外を見たまま続ける。
「ウチらとは違うんやろ?
だって、魔女って悪魔と契約して人を呪うんちゃうん?」
「誰から聞いた」
「村の子」
「また適当なこと吹き込まれとるな」
「ほな、おらんの?」
ルークは何か言いかけた。
だが、その視線がソフィアへ向く。
「……だから、魔法使って、魔女やと疑われるようなことをすんな」
「ウチ、魔女ちゃうのに。
お母ちゃんも」
ルークは黙ったまま眉間に皺を寄せた。
「お父ちゃん」
「飯が冷める」
「お父ちゃんってば」
ルークは、そこで初めてエレナを正面から見た。
「その話は終わりや」
エレナは口を閉じた。
窓の外では、役人たちが次の家の扉を叩いていた。




