異世界の冒険者ギルドで、まず手鏡が金貨3枚になった
「で、どこで拾ったの」
10月1日の朝、ひよりは台所のテーブルに置いた角を、スマホの横持ちで撮っていた。
「ホームセンターの裏」
俺は冷蔵庫から麦茶のパックを取り出しながら答えた。やかんに水を入れて火にかける。
「ホームセンターの裏に、こんなの落ちてんの?」
ひよりが角を指先でつつく。つついてから、カメラを止めて画面を確認した。
「あたし、これフリマに出してみようかな。『未確認生物の角・美品』って。3000円くらいで売れないかな」
「やめとけ」
俺はコンロの火を止めて、テーブルから角を回収した。
「なんでよ。おじさんの拾い物でしょ。無職なんだから小遣い稼ぎしたらいいじゃん」
「これは俺のサンプルだ」
「サンプルって何。しかも何の」
ひよりが半目になってこちらを見る。
「品質管理の用語だ」
「あっそ」
ひよりはスマホをパーカーのポケットに押し込むと、猫耳ヘッドホンを耳に当てた。どうやら興味はもう尽きたらしい。
「おじさんの無職生活、初日から謎すぎるんだけど。ヒゲは伸びてるし角は拾ってくるし」
「そんなもんだろ」
俺は角をポケットに戻し、自分の部屋に引っ込むつもりで台所を出ようとした。
「恒ちゃん」
母の声が背中に刺さった。
振り返ると、母が洗濯物を抱えて立っている。俺の顔を見るなり、眉をひそめた。
「ヒゲ剃りなさい。せっかく辞めたんだから、せめて顔くらいきれいにしなさいよ。昨日も風呂入ってないんでしょ」
「これから剃る」
「無職だからって、だらしない格好してると近所の人に何言われるか」
「無職は関係ない」
俺は洗面所に向かって歩き出した。後ろで母が「あと髪も切りなさいよ」と追いかけるように言う。
ひよりが笑いを噛み殺すような声を出した。
「無職おじさん、ばあちゃんに怒られてるじゃん」
俺は振り返らなかった。
洗面所の鏡に、伸びたひげの男が映っていた。
目が据わっている。3日間、森を歩き回った顔だ。
ポケットに手を入れる。
角の硬い感触と、真鍮の鍵の冷たさが指に触れた。
この鍵のことは、まだ誰にも話していない。
話すとしても再現性を確認してからだ。条件を整理して、手順書が書ける形にしてからでないと、ただの妄想話になる。
俺は鏡の前で、電気シェーバーのスイッチを入れた。
◇
昼になった。庭の草むしりは半分だけやった。残りは明日にする。
部屋に戻って机の引き出しから手帳を出す。昨夜のページを開いた。
「9月30日 21:00 進入。21:48 復帰。現世経過48分。森経過3日」
この記録を指でなぞる。電卓代わりにスマホを出す。
「3日で48分。1日は16分」
「1日16分。30日なら、8時間」
手帳の余白に書く。
「向こう1日=現世16分」 「向こう30日=現世8時間」
電卓を置いて窓の外を見る。庭の物置が見える。戸は閉まっている。昨夜、確かにあの戸の向こうに森があった。
ペンを止める。条件は揃った。毎晩21時に物置の戸を開けて、朝5時に戻ってくる。それだけで向こうでは1か月が過ぎる。家族は俺が寝ていると思っている時間だ。
「手順としては成立する」
手帳に最後の一行を書き足す。
「毎晩21時から朝5時まで行けば、向こうで1か月になる」
ページをめくって、ペンを動かした。
「持込品リスト」
箇条書きにしていく。品質管理の手順書と同じ形式だ。
水 2リットル
カロリーバー 3本
軍手 1組
黄色いテープ 1巻
手帳 1冊
ボールペン 3本
ライター 1個
手鏡 1枚
食料は現地調達。原資は手鏡とライターだ。手鏡は100均で買う予定だ。現地で何かと交換できるかは分からないが、鏡はどの文化でも珍重される傾向がある。品質管理的には「仮説に基づく試験的投入」だ。ライターは着火確認用と、最悪の場合の煮沸用である。
手帳を閉じて、財布とスマホを持って家を出た。
ホームセンターで水と軍手と黄色いテープを買った。次に100均に寄る。
折りたたみ式の手鏡は、顔を映して歪みを確かめてから選んだ。ライターと、黒のボールペンを3本。
「合計550円です」
会計を済ませて自転車の前かごに袋を突っ込む。10月の風が心地いい。無職になって初めての昼間の買い物だが、会社にいた頃より時間の流れがゆっくりに感じる。
気のせいだろう。
◇
21時。物置の前に立った。
リュックの中には水2リットル、カロリーバー、軍手、黄色いテープ、ライター、手鏡が入っている。胸ポケットには手帳とボールペン。ポケットには真鍮の鍵。
母には「寝る」とだけ言って部屋を出た。ひよりはリビングでスマホをいじっていたが、俺のことは見もしなかった。
手帳を開いて、時刻を書いた。
「10月1日 21:00 進入準備完了。ロット2」
今回は最初から帰り方も分かっている。右に回して開き、左に回して戻る。ただ向こうで過ごす時間は30日。前回の3日とは規模が違う。
鍵を戸の隙間に当てる。右に回す。
カチリ、と音がした。
戸の向こう側は、夜の森だった。
土と葉っぱの匂いがして、遠くで虫が鳴いている。
一歩、森に踏み出した。
黄色いテープはそのまま残っていた。木の幹に巻いたやつが、月明かりに浮かんで見える。前回と同じ道をたどれば、少なくとも迷うことはない。
前回の沢で水を汲み足して、一晩歩き続けた。途中で一度だけ、茂みの向こうで白い影が動いたが、こちらには近づいてこなかった。一角兎だ。前回の個体とは別だろう。念のため距離を取った。
夜明けとともに、森が終わった。
目の前に轍が伸びている。荷車が通る道だ。土が固く踏み固められていて、両脇には草が生えている。誰かが整備している。人がいる証拠だ。
その日は街道の脇の木の下で眠った。
2日目の昼、遠くに城壁が見えてきた。
灰色の石が積み上げられ、所々に塔が立っている。高さは10メートル以上あるか。壁の上では人影が動いていた。
大きな門の手前に、人の列ができている。荷馬車を引く商人らしい男、鎧を着た2人組、籠を背負った女。麻の服に革の靴、フード付きのマント。この目で見ると、やはり異世界だ。
列の最後尾につく。前の荷馬車の男は革の袋から銀色の硬貨を出して門番に渡していた。なるほど通行料が要るらしい。鎧の2人組は通行料なしで通された。身分か職業で扱いが変わるらしい。
列が縮んで、俺の番になった。
門番は20代半ばの男だった。鉄の胸当てに革の腕貫、腰には長剣。手には木の板が1枚あって、そこに何か印をつけながら人を通している。
「止まれ。身分証を見せろ」
声は低いが、語尾は事務的だ。言葉は通じるらしい。森で会った兎は喋らなかったが、人間は通じるようだ。
「持っていません」
「……持ってない? 旅人か?」
「遠くから来ました」
門番は俺の顔を見て、次にリュックを見て、次に俺のズボンと靴を見た。外観検査だ。無職の40歳がジーンズにスニーカーで門の前に立っている。判定は難しいだろう。
「身分証がないなら通行料は銀貨1枚だ」
「銀貨は持っていません」
「……金貨も?」
「持っていません」
門番はため息をついた。ため息の出し方に慣れが見える。
「なら入れない。帰れ」
「では、これを見てください」
俺はリュックを下ろして、100均のライターを取り出した。表面には「100円」と書かれた小さなシールが貼ってあった。剥がし忘れていた。
「何だそれは」
「火を点けます」
親指でホイールを弾く。カチカチ、と2回鳴って3回目で火が点いた。風が吹いているが消えない。
門番が固まった。
固まったまま、俺の手元だけを見ている。
「……火の魔導具」
「火の魔導具、ですか」
「火の魔導具だ。間違いない。詠唱なしで火を出した。しかもこの風で消えていない」
門番は剣から手を離して半歩前に出た。さっきまでの事務的な目ではない。検査基準を切り替えた顔だ。
「火の魔導具は銀貨20枚はする。いや、この大きさで詠唱なしなら銀貨30枚は下らない。どこで手に入れた」
俺はライターの火を消して、ポケットにしまった。しまいながら手帳を出して、余白に書く。
『ライター=魔導具扱い。銀貨20〜30枚相当』
門番は頭を掻いて、詰所の方を振り返った。年配の門番が出てきて、俺にもう一度ライターを点けさせ、じっと炎を見てからうなずいた。
「本物だ。通せ」
「ですが身分証が」
「火の魔導具を持つ旅人を、王都の外で野垂れ死にさせる方が問題だ」
若い門番は少し不満そうだったが、木の板に何か書き込んで、俺に顔を向けた。
「通れ。ただし、身分証はギルドで作れ。冒険者ギルドだ。門を入って真っ直ぐ行って、噴水のある広場の前にある」
「承知しました」
俺はリュックを背負い直して、門をくぐった。
◇
ギルドの中は、酒と革と汗の匂いが混ざっていた。
天井は高く、梁が剥き出しだ。壁には依頼書が貼られた掲示板があって、奥のテーブルでは5人組が酒を飲んでいて、ジョッキをぶつける音がした。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうから声がした。
受付嬢は20代前半だろうか。赤毛のポニーテールを揺らして、そばかすの浮いた頬をこちらに向けている。手元には分厚い帳簿と羽根ペン。
「登録をお願いします」
「新規登録ですね。お名前は?」
「志摩恒一」
受付嬢の羽根ペンが止まった。
「……シマ、コウイチ、さん?」
「はい」
「変わったお名前ですね。どちらの出身ですか?」
「遠くです」
受付嬢は少し首を傾けたが、それ以上は聞かなかった。帳簿の1行目に名前を書き込む。
「年齢は?」
「40です」
声は、思ったよりよく通った。
奥のテーブルでジョッキが止まる音がした。次に笑い声が上がる。
「40だってよ」
「冒険者になる年か?」
「剣持てるのか、おっさん」
振り返らない。品質管理の現場でも、外部からのノイズは記録に値しないものとして処理する。
「登録料は銀貨1枚です」
「銀貨は持っていません」
受付嬢の手が止まる。
「でしたら登録はできません。申し訳ありませんが、規則ですので」
「では、買い取りをお願いします」
リュックの底から、100均で買った折りたたみ式の手鏡を出した。
手鏡をカウンターの上に置く。カチン、と軽い音がした。
受付嬢は手鏡を手に取った。親指で縁の留め金を押し、蓋を開く。鏡面が彼女の顔を映した。そばかすの位置まで正確に映っている。
「……え」
手鏡を持つ手が、わずかに震えた。
受付嬢は鏡面に顔を近づけたり離したりしている。角度を変え、光を当て、また戻す。品質管理でいうところの外観検査を、彼女は自分の顔でやっている。
「歪みがない」
「はい」
「王都の鏡師の最上級品でも、ここまで歪みがない物はありません。どれだけ磨いても、端の方は必ず歪むんです。これは……端まで、真っ直ぐ」
受付嬢の声が震えていた。
「歪みのない鏡は、貴族しか持てないんです。それも、上級貴族の家だけ。私、本物を見るのは初めてです」
手鏡は100均のプラスチック製である。仕様ですね。
奥のテーブルで、ジョッキをぶつける音が止まった。
「おい、何だ今の」
「鏡だと?」
「おっさんが鏡売りに来たぞ」
「どこの貴族の使用人だ、あの格好で」
鎧の男が立ち上がって、こちらに3歩ほど近づいてくる。
「見せろよ」
「触らないでください。鑑定中の品です」
受付嬢は手鏡を胸に抱えて、カウンターの奥にある小さな窓を振り返った。窓の向こうに、白髪の老人が座っている。老人は手鏡を受け取ると、外の光に当てた。裏返し、縁を指でなぞり、爪で軽く弾く。
「……鏡面の歪み、なし。縁は、見たことのない素材だが鏡面を歪ませていない。重量は銀鏡の半分以下」
老人は髭を撫でて、それから受付嬢に頷いた。
受付嬢はカウンターに手鏡を置いた。カチン、とさっきと同じ軽い音がした。
「金貨3枚です」
俺は手鏡を見た。100均のプラスチック製、折りたたみ式。会計550円のうちの1点だ。
仕入れ値は110円です、と言いかけて飲み込んだ。
検査基準の外にある情報は、検査結果に影響を与えない。今この場で必要な情報は「金貨3枚」であって「110円」ではない。
手帳の余白に書く。
『手鏡1枚=金貨3枚。仕入原価110円』
「金貨3枚で、お願いします」
奥のテーブルでは、鎧の男が「金貨3枚だってよ」と呟いて、ジョッキを置いた。
金貨は思っていたより重い。表面には王冠を戴く人物の横顔が浮き彫りにされていた。
1枚を銀貨20枚に崩してもらい、登録料の銀貨1枚を払う。
「次に魔力測定を行います」
受付嬢はカウンターの下から布に包まれた水晶を取り出した。握り拳ほどの大きさで、透明だが中にうっすらと白い筋が走っていた。
「この水晶に手を置いてください。魔力があれば光ります」
俺は右手を水晶の上に置いた。ガラスとは違う、もっと硬い冷たさだ。
水晶の中の白い筋が、ゆっくりと動き始めた。筋が中心から外側へと伸びていく。
3秒経って、筋は水晶の縁の手前で止まり、豆電球くらいにぼんやり光って消えた。
受付嬢は水晶を布に戻して、俺を見た。
「並ですね」
声は事務的だった。落胆も、同情もない。判定結果を伝えるだけの声だ。
「並、ですか」
「はい。木札になります」
奥のテーブルで、誰かがジョッキを置いた。
「並だってよ」
「そりゃそうだ。おっさんだぜ」
「木札で何受けるんだ。草むしりか?」
草むしりなら、出発前に半分やってきた。
「気にしないでください」
受付嬢が小さな声で言って、カウンターの下から木の札を出した。手のひらに収まる大きさで、上部に紐を通す穴が開いている。
「冒険者証です。木札はランクの一番下です。銅札、銀札、金札、白金札と上がっていきます」
札の表面には、王都の紋章と『ルーメン冒険者ギルド』の文字、それから俺の名前が刻まれている。刻印は手作業だろう。文字の太さに少しばらつきがある。
俺は木札を手に取った。角の面取りが甘い。ポケットの中で摩耗するだろう。
手帳に書く。
『判定:並。ランク:木札。面取り不十分』
ふいに外の広場から悲鳴が聞こえた。
女性の声だ。短く、切迫した悲鳴。それから何かが割れる音。金属が石畳に落ちる音。
◇
ギルドの扉を押し開けた瞬間、俺の眼鏡に水滴がついた。
太い水柱が広場の中央で天に突き上がっている。
「ポンプだ! 魔導ポンプが壊れた!」
「誰か魔導師を!」
「詠唱が間に合わねえ!」
水は噴水の台座からゆうに4メートルは上がっていた。脈打つように膨らんでは細くなり、そのたびに周囲へ飛沫を撒き散らす。台座の周りには既に水たまりが広がり、縁石を越えて人々の足元を濡らしていた。
パンを抱えた子供が水たまりで滑って転んだ。母親らしい女がその腕を掴んで引き起こす。誰も台座には近づかない。
「退け! 退いてくれ!」
若い魔導師が1人、台座の前に立っていた。ローブの裾を水に濡らしながら両手を突き出す。詠唱が始まる。唇が早く動く。だが。
水柱は、太くなった。
「な、なぜだ!」
魔導師がもう一度詠唱する。指先に青い光が灯って、それが水柱に当たる。当たった瞬間、水は一層勢いを増した。
「志摩さん! 危ないです、下がってください!」
受付嬢がギルドの入口から叫んでいる。
「下がります」
口ではそう言った。足は動かさなかった。
品質管理の基本に「異常発生時の初動」という項目がある。異常を見つけたら、まず離れて全体を見る。近づいて触るのは、状況を把握してからだ。
転んだ子供は、まだ台座の近くの水たまりで泣いている。
台座の側面に、彫り込まれた紋様がある。さっき誰かが叫んでいた魔導ポンプは、これのことらしい。
俺は一歩、前に出た。
水たまりを踏む。靴の中に冷たい水が入る。飛沫が顔に当たる。眼鏡を外して胸ポケットにしまう。視界がぼやけるが、近くを見る分には問題ない。
紋様は溝になっている。その溝の中を青白い光が走っている。だが。
「溝が減ってる」
俺はしゃがんだ。水たまりに膝をつく。紋様の一部を指でなぞる。同じ紋様でも、上の段は角が立っている。下の段だけ、角が丸く滑らかになっている。ばらつきだ。光の通り道が、広がっている。
品質管理でいうところの「摺動部の経年劣化」だ。金属でも樹脂でも同じことが起きる。溝が減れば、ポンプが「止まれ」という指示を受け取れなくなる。
だから詠唱が効かない。水を制御する命令が、水を増やす命令に化けている。
「志摩さん!」
受付嬢が水たまりの中を走ってくる。スカートの裾を両手で持ち上げて、必死に足を動かしている。
「駄目です、近づいたら!」
「このポンプ、止められます」
受付嬢の目が丸くなる。
「止められるって、魔導師様でも無理なのに」
水柱がもう一段、太くなった。群衆の悲鳴が上がる。誰かが「宮廷魔導師長を呼べ」と叫んでいる。
俺は台座の根元に視線を落とした。石畳との間に、指が1本入るほどの隙間がある。
リュックを下ろして、軍手を取り出す。新しい軍手は滑りやすいが、水で濡れた石を掴むには素手よりいい。
「元栓がない設計ですね」
呟いて、台座の根元に手を入れた。
「詠唱で抑える構造になってない。魔石から直接、汲み上げてる。止めるなら供給を切るのが先です」
台座の下は暗くて見えない。指先で探る。石の裏側に、丸い窪みがある。窪みの中に固い物が埋まっている。魔石だ。
はめ込まれているだけらしい。回すと、わずかに動く。
飛沫が背中を叩く。首筋に水滴が伝う。
ねじ山はない。ただの嵌合だ。固い。軍手の滑りが邪魔をする。指先に力を入れる。
回す。もう少し。
魔石が、外れた。
手のひらに、握り拳の半分ほどの魔石が乗っている。温かい。動いている間は熱を持つらしい。
水柱が、根元から細くなった。
太さが半分になり、3分の1になり、そして。
止まった。
広場が静まり返った。
水盤の縁から水がこぼれる音だけが残った。
「止まったぞ」
「あの男が、止めた」
ざわめきが広がる。鎧の男も、酒を飲んでいた連中も、子供を抱えた女も、みんな同じ方向を見ている。俺を見ている。
俺は魔石を手のひらに乗せたまま、立ち上がった。
受付嬢が水たまりの中に立っていた。スカートの裾を濡らしたまま、口を開けて俺を見ている。
「これは、どうすれば」
「あ、あの、それはポンプの動力ですから、ギルドで預かって魔導具師に修理を、」
「では、お願いします」
俺は魔石を受付嬢の手に渡した。受付嬢は両手で魔石を抱えるように持って、まばたきを2回した。
「今の、どうやったんですか」
俺は手帳を出して、書いた。
『魔導ポンプ停止。原因:紋様溝の摩耗による制御不能。処置:動力魔石の取り外し。再発防止:溝の定期点検と補修』
「溝が減っていました。見れば分かります」
「見れば」
受付嬢が繰り返したとき、広場の端から声が飛んだ。
「宮廷魔導師長、到着!」
群衆が左右に割れた。
その間を1人の女が歩いてくる。
銀色の長い髪を三つ編みにして背中に流している。前髪の下から覗く瞳は紫で、光の加減で青にも見えた。目の下にはうっすらと隈が浮いていて、睡眠時間が足りていない顔をしている。紺のローブは魔導師長の正装らしく、裾が石畳に触れるか触れないかの長さだ。袖口だけにインクの染みがついていた。
「魔導師長様!」
「魔導師長様が来られたぞ」
頭を下げる者、胸に手を当てる者、道を空けるために後退る者。さっきまで騒いでいた連中が、潮が引くように静かになる。
女は足を止めなかった。
まず噴水を見た。止まった水盤と、縁から溢れて広がった水たまり。次に受付嬢の両手に抱えられた魔石。それから、台座の下の開いた窪み。順番に見て、最後に俺を見た。
最終判定者の目だ。現場を一瞥して、何が起きたかを組み立てている。たぶん、この女は俺の説明を必要としていない。
女は俺の前に立った。
そして、無言で俺の腕をつかんだ。
指の力が強かった。袖の上から、骨に食い込む感触がある。逃がさない、という握り方だ。
「今のを、どこで習いました」
「習ってません。不良の原因を見ただけです」
女の指に、もう一段力が入った。
「……来なさい」




