1話 出立
「アテナ……。アテナ、起きなさい」
「う、う〜ん。折角、オリエンタルデビルみたいな母様がいないんだから、もう少し寝かせてよ……」
「………………」
あ、あれ?
今日は母様はいない筈じゃ……
寝惚けてとんでもない事を言った気がする。
なお、オリエンタルデビルは猿系の最上位の魔物で、父様曰く、放つ咆哮が母様の金切り声とそっくりだそうだ。
ああ、恐ろしや、恐ろしや。
「アテナはオリエンタルデビルなんて見た事もないでしょう。誰に聞いたの?」
「…………父様」
母様は突風の如く部屋を出て行った。
後に残されたのは残骸と化した扉だったもの。
父様ごめん。
私も自分の命は惜しいんだ!
私の名は、アーティナリスト・バーミリオン。
今年で15歳になるバーミリオン伯爵家の三女だ。
大陸一の領土を持つカナルーア王国の最南に位置したバーミリオン領は、豊かな自然に囲まれ農業が中心の広大な土地を有している。
要するにド田舎である。
だけど、私は今年から王都ナグアの王立学園に通う事になっている。
田舎の芋娘から、都会のシティーガールへと進化するのだ!
今日は王都へ出発する日。
着替えを終えて食堂に行くと、母様にマウントポジションを取られた父様がフルボッコにされていた。
「……アテナ……貴様……裏切ったな……」
「母様、お聞き下さい!」
見ていて痛々しいので早く終わらせてあげよう。
「父様は母様の事をまるでこの世の美を集約した精霊王女ティリシアのよう……」
「もう、あなたったら♪」
「……だったら良かったのに、と嘆いていましたわ」
「アテナあああああああ!!!」
父様の絶叫が食堂に響き渡る。
こんな日常も今日で最後かと思うと少し感傷的になってしまう。
「父様、母様。今までありがとう。私、学園で良い相手を見つけて幸せになります!!」
私は拳を突き上げて宣言した。
2人からの返事はなく、打撃音だけが静かに響いていた……
王都までは馬車で30日程度かかる。
連なる荷馬車はなく、護衛も騎士団副団長のセレスのみで御者も兼任である。
貴族の令嬢が遠出するのにこれはどうかと思うが、金もない田舎の令嬢を襲った所で何の利も発生しないし、そんな無駄な事を賊がする訳がない。
それに、母様の怖さは領内に知れ渡っているため、領民は全員震えながら日々を過ごしているのだ。
出発して10日後……
馬車はまだバーミリオン領を抜け出せていなかった。
広大過ぎるわよ!!
「アテナ様。前方にいる怪しげな集団が道を塞いでおります。いかが致しましょう?」
セレスが可愛い顔を御者台から覗かせて、おっとりとした声で私に判断を仰ぐ。
髪は桃色で童顔なのにスタイル抜群というアンバランスな容姿をしているが、武力は人外の域に達しており、一騎当千という言葉が似合う野心家である。
「まさか、父様の刺客?」
「ありえますね。見送りの時も『許さん!絶対に許さんぞおおお!!!』と叫んでいましたし」
「まあ良いわ。そのまま突っ切りなさい」
「宜しいのですか?」
「恐らくバーミリオン領の事を知らない外部の人間よ。捕まえたら可哀想だわ」
「承知致しました」
セレスは馬を操り、トップスピードで集団に突っ込んだ。
流石に馬の前に立つ者はおらず、雇われた賊達は私達の馬車を呆けて眺め続けていた。
それから更に10日が過ぎて、やっとバーミリオン領を抜けた。
何事もなく関所を通過してラングリッツ侯爵領に入ると早速城壁に囲まれた街に辿り着く。
もう既に都会の波動を感じるわ!
検問を過ぎると現れたのは沢山の人、人、人!
この一角だけでバーミリオン領の総人口よりも多いのではなかろうか。
「食糧を調達後、この街の宿で一泊して明日の朝出発致します」
「えっ?観光しないの?」
「王都はこの街とは比較にならないほどに発展しております。早めに出発して王都をゆっくりと観光した方がよろしいかと」
「……それもそうね」
セレスの提案を受けその日は宿に泊まるだけになった。
20日ぶりの風呂は、体の奥に染み付いた疲れを流してくれる。
隣にはセレスも居るが、同じ女なのに何故こんなに体型が違うのだろう?
張り裂けそうな胸部装甲に括れた腰、
引き締まった臀部から伸びた足はスラッとしている。
更に、体が温まって火照った頬はまるで完熟した赤い果実のようだ。
「アテナ様、どうかなさいましたか?」
「セレスは何で私の護衛に志願してくれたの?」
「それは……」
セレスの表情が暗くなった。
何か特別な理由があるのだろう。
その日は、それ以上言葉を交わす事なく眠りに就いた。
その後も退屈な馬車生活が続いたが、あと一日で王都に着くという所で賊に襲われている馬車を発見した。
鎧を着た騎士が応戦しているが、劣勢のように見える。
無視して通り過ぎようにも、正面で殺り合っているので完全に通行妨害である。
「アテナ様、いかが致しましょう?」
「助太刀してちょうだい。私は負傷者を手当てするわ」
「承知致しました」
私が馬車から降りるのに手こずっていると、セレスは既に賊を鎮圧していた。
速すぎるって!
「貴様達は何者だ!!」
「助けてあげたのにその言い草は何よ!」
1人の騎士が大声で威嚇してきたので、こちらも大声になってしまった。
「殿下、賊を女の騎士が鎮圧しましたが、連れの怪しい女が近寄って来ました」
「誰が怪しい女よ!」
別の騎士が馬車の中の誰かに報告している。
殿下と呼ばれているという事は王族かな?
「武器を置け、そのままなら敵意があると見做すぞ!」
「はあ?セレス、置かなくて良いわよ。折角、怪我人を治療してあげようと思ったのにやる気が失せたわ。セレス、もう行くわよ!」
「待ってくれ!」
その時、馬車から若い美男子が出て来た。
整った顔立ちにスラッとした高身長。長い金髪は背中で纏められ風に揺られている。
紛う事なきイケメンである!
「私めに何かご用で御座いますか?」
「君は怪我の治療が出来るのか?なら……」
「出来ますがしたくありませんわ」
「えっ?」
「殿下は先ず配下の躾をなさって下さい。セレス、行きますわよ!」
「畏まりました」
呆気に取られる殿下と騎士達を置いてその場を後にした。
私は怒りが収まらず、セレスと一緒に御者台に乗っていた。
「誰が怪しい女よ!どこからどう見てもうら若き乙女じゃない!」
プッ
「……セレス、もしかして今笑った?」
「いえ、笑ってはいません。思わず放屁してしまいました」
「そう。なら仕方ないわね」
「ですが、王族の命令を無視して宜しかったのですか?不敬罪になるのでは?」
「不敬もなにも、そもそも助けなかったら命令される事もなかったのに、従う道理がないわ」
「確かにそうですね。私は護衛の少なさに驚きましたが……」
「どうせ、王位継承絡みのいざこざでしょ」
その後、馬車に揺られる事丸一日。
漸く王都ナグアに着いた。
セレスの言っていた通り、王都の街中には溢れんばかりの人が行き来していた。
建物も所狭しと並んでいて、バーミリオン領と同じ国なのが信じられない。
「馬車を預けて来ます。アテナ様は此処でお待ち下さい」
「ええ。頼んだわよ」
噴水のある広場で降りて脇にあったベンチに座る。
ただ行き交う人を眺めているだけなのだが、興奮が収まらない。
「獣の耳が生えてる……本で読んだ獣人族かしら?」
「あの尖った耳はエルフ族!?伝説じゃないの?」
「皆が着てる服も洗練されてる……」
王都には大陸中の種族が集まるとは聞いていたが、やはり実際に見るのは大違いだ。
「アテナ様、お待たせ致しました」
「セレス。王都って凄いわ!」
「そうですね」
2人並んで暫くの間、目の前の景色を眺め続けた。
「さて、今日はもうじき暗くなるので宿を探しましょう。明日学園に行って今後の予定を確認したら、その後観光出来ます」
「グリモアル大聖堂は外せないわね。流行りの服が売ってるお店にも行きたいし。そう言えば、お金って大丈夫?」
「……学園の入学費用と宿代でかつかつですね。服を買う分には回せないかと」
「母様が学園では制服が支給されるって言ってたし、私服は後から稼いでから買うわ」
やはり、小遣い稼ぎで貯めた金額程度では豪遊は出来ないようだ。
その日は比較的安価な宿に泊まり、翌朝学園に向かった。
「これがアメリア王立学園……」
「凄いですね……」
眼前にそびえるのは格式高そうな豪華な建物。
当時の賢者様の魔法の力で、設立から300年経った今も全く老朽化せずにこの場に在り続けているらしい。
2人で門を潜り建物に入ると、入学受付と書かれた札が置かれた机に1人の女性が座っていた。
「ようこそ、アメリア王立学園へ。入学希望者の方ですか?」
「はい」
「では、こちらに名前を書いて下さい。3日後に入学試験がありますので忘れずに来て下さいね」
「……入学試験?」
「はい。試験に合格した方だけが入学出来ます」
そんなの聞いてないわ!
母様は「あんな所誰だって入れるわ」って言ってたのに……
「セレス様ですね。出願を受付けました」
「……セレス、何やってるの?」
心の中で母様に罵詈雑言を浴びせていると、セレスが入学希望の紙に名前を書いていた。
「学園でもアテナ様は私がお護り致します」
「もしかして、あなたが付いてきた目的って……」
私が真実を口にする前に、セレスは私に見事な土下座を披露した。
「私はアテナ様に生涯の忠誠を誓います!見逃して下さいませ!何卒!!何卒!!!」
額を打ち付けた地面に涙がポタポタと零れ落ちる。
セレスはバーミリオン家に仕える騎士なので私の一存では……
「良いわよ。一緒に学園に通いましょう!」
「アテナ様!!」
「ほら、可愛い顔が台無しよ」
面を上げたセレスは涙で顔がぐちゃぐちゃだったので、ハンカチで拭ってあげる。
大体、今のバーミリオン領には騎士団など必要ない。
母様の恐怖が領内に伝播しているため、犯罪は起こらないし、魔物も現れなくなっているのだ。
抑止力の極みである。
だが、ここで問題が一つ。
私も容姿は悪くないと自負しているのだが、セレスと並ぶと女として完全に見劣りしてしまう。
私が気に入った男性がセレスに惚れてしまう可能性があるのだ。
逆に、セレスに玉砕されて落ち込んでいる所につけ込む事も出来るが……
まあ、恋もしたことないのにあれこれ考えても机上の空論ね。
きっと私だけを見てくれる男性もいる筈だわ!
それにまだ入学すらしてないし……
セレスを立たせた後に、私も入学希望の紙に名前を書いた。
「アーティナリスト・バーミリオン?」
「はい。バーミリオン家の三女ですわ」
「………………はい、受付けました。3日後に忘れずに来て下さい」
今の間は何?
しかも、受付の人から表情が完全に抜け落ちていた。
まるで怒りが限界を超えて悟りを開いたかのように。
3日後の入学試験までは裏工作に時間を使った。
私は父様達に宣言した通り家に戻るつもりはないが、セレスが戻らなければ不審に思われてしまう。
私は父様宛に手紙を書いた。
私達はラングリッツ領に入った所でドラゴンに遭遇してしまい、私を逃がす為にセレスが囮になり、その後の行方は知れないことを書き留めた。
「良し!これで大丈夫でしょ」
「アテナ様、私は普通のドラゴン程度なら単独で討伐出来てしまうので変えた方が良いかもしれません」
「母様の戦闘意欲が昂らない、程良いドラゴンってこと?」
「そうですね。ホワイトドラゴンなら苦戦するかと」
「雪山に住んでるんじゃなかった?」
「では……」
程良いドラゴンを決めるのに難航したが、何とか決まったので一安心だ。
もう、明日は入学試験。
私は期待と不安を胸に抱き眠りに付いた。




