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顔だけ男は眠り姫の呪いをかけられる  作者: 里和ささみ


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89/90

お姫様一家の幸せ

リンダが家に戻ってきて一か月が過ぎた。数が減ってよそよそしかった夫婦の会話も、以前よりはぎこちないが回数も増えてきた。


ジェフは時には五時頃まで七番街で仕事をしているリンダのために早めに仕事を切り上げ、夕食を作る。頻度は最初の一週間より減ったが、リンダが昼に帰って来ないので、昼食だけは自分で作っている。


弟子たちは、まだ大人の弟子しかいないけれど、弁当を持参しているので、作るのは一人分だ。たまに茶を淹れてやったり、スープだけお裾分けしたりしている。


ひとりはジェフの工房より大きいが同じように自宅兼工房だったので、賄いを親方の妻で自身の母が作ってくれていたが、親方自身が茶を淹れることなんてしなかった。


もうひとりも同様で、茶を淹れるのは一番若い弟子の仕事、茶をうまく淹れられるようになったら仕事を少しずつ任せ始めるという考えだったので、むしろジェフに毎度毎度「渋くないか?」「薄くないか?」と聞かれると、若い頃に自分が心のうちで思っていたことを見ているようで苦笑するしかなかった。


大人同士の付き合い、しかもジェフは一流の中でも上を行く職人なので、工房の方は割と上手く回っていた。彼の技術をいずれは自分の工房に取り入れられることは大きなメリットだった。デザインに関しても、その才能を間近で見ることで、着想をどこから得ているのかなども知ることができた。


レベッカとは会えば挨拶する程度。レベッカも自宅で仕事をしているが、昼食はエリオットと食べるために外へ行く。同居を始めるのを式を行う十一月まで引き延ばしたので、その間はこうして隙間の時間をエリオットとの逢瀬に充てている。


式はこれから、籍も未だ入れずだけれどエリオットとは夫婦のつもりでいるのだが、同時に恋人同士の気分を味わえて悪くないと思っていた。愛する人との待ち合わせは待っていることも楽しく、心弾むものだというのを知った。


エリオットが立ち上げた御用聞きサービスは順調だった。年会費を払うと、区画ごとに決められた曜日に注文した商品を配達してくれる。一箱いくらではなく年会費にしたのはサマンサとテッドの案だった。一か月無料で試してもらって、そこから続けて利用するかを決めてもらうことになった。


直接見たものを買いたいという要望もあり、一定の購入金額以上ならば店舗の買い物も宅配可能とした。ただし、配送料は別途もらうことになっている。


御用聞きには初め、エリオットが直接回った。利用対象になりそうな顧客は、彼の噂を知っている。それでもエリオットは飛び込んだ。嫌な顔をされたこともあったが、ジョンの住む区画では好意的に受け入れられ、次第にその評判が広がっていった。


店舗にも自ら立ち、配送受け付けを担当することもあった。エプロン姿のエリオットに、この街で生活していたかつての恋人たちも目を丸くした。彼女らの手は大抵子どもの手につながれていて、それに気付くと懐から出す飴玉を見て目玉がこぼれおちんばかりだった。


グッドマンのお坊ちゃんは、随分と人が変わったらしい。


さらに一か月経つ頃には、そんな話が街の中でたまに聞くようになった。


更に一か月後。またエリオットは噂の的になった。


グッドマンのお坊ちゃんは、フラれた婚約者と寄りを戻して結婚したらしい。


知っている者は知っている。国境を守る騎士団まで巻き込んで、ひどい愁嘆場になった上での婚約破棄。接近禁止まで申し入れられ、それがお貴族様に認められたこと。


なのになんで?どうやって?


騙されてるんじゃないの?


もうすぐ教会で式を挙げるんだってさ。


昔の女どもが恨みを晴らしに集まるらしい。


泥でも投げつけるつもりか?


隠し子がいるんだって。


花嫁さんがかわいそうだ。


この前、幸せそうに二人で歩いてるところ見たぞ。


カフェで女に一方的に責められてるのを見たわ。


本当は上手くいってないんじゃないか?


やっぱりあの顔だけ男は変わらないのよ。


噂は尾ひれはひれが付け足され、わざわざグッドマン商会まで買い物ついでにエリオットの顔を見に来る者もいた。そんな折に、お年寄りの話に親切にも付き合う彼を見て、妊婦にドアを開けてやるところを見て、飴玉を子どもに手渡しして別れ際に笑顔で手を振ってやるところを見て、ああ、彼は本当に変わったんだな、と実感するのだった。


「うわぁ、すごいなぁ!」


「モチーフは同じなのね。」


ジェフに呼び出されて、エリオットがやって来たのは十月なかば。若干疲労の色が見える義父に申し訳ない気持ちになりつつも、目の前の品から目が離せない。


「金は太陽神、白金は女神の色として組み合わせてみたんだ。いやぁ、エリオットくんは仕事の邪魔にならないシンプル感じで、レベッカは俺らしい繊細なデザインって言うから悩みに悩んだよ!」


金の縁取りで囲まれたプラチナの指輪は揃いになっている。新しい夫婦の結婚指輪だ。ジェフは家事と仕事の両立をしながら、自分の時間でこれを作っていた。


ミル打ちされた金の間をプラチナの葉が伝う。月桂樹のモチーフのようだ。エリオットの指輪はなるべく平坦に彫られていて無骨ながらも優しく、レベッカの指輪は葉の部分にダイヤモンドが埋め込まれていて女性らしさを感じさせた。普通の職人ならもっと分厚く、幅を広く取らねば彫れないような隙間に、ここまでの世界を表現するとは、我が父ながら恐れ入るとレベッカは思った。これならレベッカの作業の邪魔にも、エリオットの仕事の邪魔にもならないだろう。


「素敵な指輪をありがとう、お父さん。」


「いや、こちらこそ、幸せな時間をありがとう、レベッカ。俺は、今が一番、幸せかもしれない。」


「私も……今が一番、幸せよ。」


「これからきっと、もっと、幸せになりますよ。」


そうエリオットが返すと、そうだね、とジェフとレベッカはよく似た顔で笑った。


「さあさ!おまちどおさま!夕食できたわよ!」


タイミングよくリンダが声をかけた。あれからまた二人は話し合って、仕事で朝早く出なければならなくなったリンダの代わりにジェフが皿洗いと洗濯をすることになった。リンダは朝食と弁当を作り、その間にジェフが洗濯をして、リンダが出て行ったあとに後片付けをやってから軽く掃除をしている。


夕食は週末だけジェフが作り、平日はリンダが作っている。まだまだ料理に慣れないジェフに作らせると長くなるから効率が悪い、とリンダは語る。


レベッカは二人になった後のペースを作りたいから、と言われて、極力手を出さないようにしていた。


「美味しい!リンダさん、これ、あとで作り方教えてください!」


「レベッカ、知らなかったっけ?」


「レバーパテのこと?知らないかも。」


「臭み消しが違うのかな?ウチの商品より美味しいかも。」


「もしかしたら肉が違うのかしら。わたしは鶏を使ってるのよ。」


「なるほど!だから少しあっさりしてるんだ。」


使ってるハーブはどれだ、胡椒はどうだと話す義母と婿をうらやましそうに見ている父にレベッカは声をかけた。


「お父さん。」


「ん?」


「私、お父さんとお母さんの子どもで良かった。今まで育ててくれてありがとう。」


ジェフは数度瞬いたあと、ぽろりぽろりと涙を流し始めた。


「そうかぁ……お父さんとお母さんの子どもで良かったかぁ……」


「うん。だから、お父さんも、お母さんとこれからうんと幸せになってね。」


「ああ。絶対になるよ。約束する。」


何も今生の別れでもない。レベッカは相変わらず実家の工房の機械を使いに来るはずだし、この様子ならきっとエリオットだって頻繁に顔を出してくれるだろう。


それでもやはり、娘が嫁に行くというのは特別だった。


傾けたワインはいつも以上に苦く、そして甘かった。

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