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二時三十分

 南洞穴の入り口。


 美千代とサトルが洞穴から出てきた時、二人は信じがたい光景を目にした。二人が洞穴に入っていたのは、わずか三十分の間である。その間に、洞穴の入り口で驚愕の出来事が起こっていたのだ。


 なんと、黒川先生が死んでいた。


 いや、殺されていたのだった!


 服の上から腹部を刺されている。


 ああ、そして、黒川先生の顔。


 そこにあるはずのものがなくなっているのだ。


 それは耳だ。


 両耳が刃物で切り落とされていた。


 犯人は殺すだけでは飽き足らず、耳まで切り裂いたのだった。


「ひどい」


 美千代は、それしか言葉にできなかった。しかし、その言葉の中には様々な感情が混ざり合っているのである。人の命を奪う行為そのものだけではなく、死者の肉体を弄ぶという性格に憤りを覚えるのだ。ああ、はっきりとした怒りだ。怒りで、涙が出そうになる。でも、そんな涙を流してなるものか。


 美千代は歯をくいしばる。


 首なし死体を発見した時には変化のなかった感情が、黒川先生の死を目の当たりにした瞬間、芽吹いてしまったようだ。それは黒川先生と会話をして、黒川先生の中に美千代という人間が存在していることを、美千代自身が感じたためではなかろうか。それはわずかであろうと、自己の喪失に他ならないのである。


「おねえちゃん」


 サトルが心配そうに美千代を見た。


「大丈夫だよ」


 美千代は気丈に、やや腹立たしげに言い放った。弟なんかに心配されてなるものか、それが美千代の気持ちだった。


「僕のせいだ」

「サトル、なに言ってるの?」


 サトルが頭を抱える。


「いや、僕は言うべきだった。蒸し風呂の死体は、発見から六時間、場合によっては三時間か四時間だって言っていた。ということは、死後十二時間以上経過している土門さんの殺害の方が先だったんだよ」


 サトルがさらに続ける。


「つまり仲違いをしている三姉妹の誰かが衝動的に殺して逃げたのではなく、土門さんを殺してから三姉妹の一人を殺した。これは間違いなく計画性のある犯行なんだ。舟がないのは、逃亡したことを思わせるだけで、いや、島の人間を閉じ込めておくためだったんだ」


 そう言って、サトルは地面にしゃがみ込むのだった。


「僕が黒川先生に可能性を話しておけば、こんな目に遭うことはなかったかもしれない」


 美千代はしゃがんでいるサトルの腕を取る。


「立ちなさい」


 そう言って、美千代は強引にサトルを立たせるのだった。今やるべきことは、いま何をすべきかということだ。


「サトル、おねえちゃんの方を見なさい。いい?」


 二人が目を合わせる。


「サトル、逃げるよ。考えるのはあと。ここにいたら逃げ場がない」


 それが美千代の唯一の選択肢であった。


「今は逃げるの。ここにいたら、犯人がいつ戻ってくるか分からない。傘だけじゃ身は守れないからね。走って逃げられるところまで行こう」


 急いで美千代はサトルを説得するのだった。


「それに、他の人にも知らせないと。みんな殺される」


 そのひと言で、サトルは意を固めたようだ。


「うん、そうだね。自分が狙われていることを知らないでいるかもしれない」


 姉弟の二人が頷き合う。意見が一致したということだ。


「サトル、走るよ」


 二人は来た道を引き返すのだった。


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