その8
「百瀬、ちょっといいか」
背後から声がして振り向いたが、相手は背中を見せていた。
「何も言わないでいい。俺の話だけ聞いてくれ」
声を出さないでいいという合図に、アデンは納得しそのままにする。彼女は頭にタオルを巻いていることに気づいた。
「リオンと、間違えておるか」
勘違いを訂正しようとは振り返るが、紅潮する横顔だけしか伺えない。彼は何度も向き合おうとするが、なかなか出来ずにいた。
「前にも言ったが、俺……、百瀬に何かあったら……、その……、あの……」
「はっきりせん奴だ」
彼女は思わず声を出しそうになるが、堪える。
「俺、おまえを……、必ず」
アデンはじっと関口を眺めていた。突然彼は振り向き様に、彼女の両肩を掴む。これにはアデンも驚いた。彼女に気安く触れる者など、親族以外いないからだ。
「おまえをずっと守ってみせる。必ず」
その気迫めいた凄みにアデンは顔を引き吊らせる。
「だ、だから……、見いていて欲しい!」
男の持てる限りの告白だった。慄くアデンの頭から、巻いてあったタオルが落ちる。目を丸くした関口の顔が強ばった。紫色の髪が揺れる。
「よい、心がけだ。わらわからもお願いする。妹を守ってやってくれ」
***
彼の頭に勢いよくスリッパが飛んできた。命中する。
「関口! アデンに触るな!」
「おお、リオン。こやつが今、おまえのことを……」
「あ、あ、あ、アデンさん!」
思わず関口は言葉を遮った。璃緒が血相を変えて走ってくる。
「い、今の話は……」
「安心せい」
「い、い、いえ」
アデンは関口を見つめた。
「しかし、おまえの誠意はしっかり口に出して伝えなければ、あやつには通じん……」
思わず彼は、左手でアデンの口を押さえる。
「ど、どうか、今のは内緒に」
アデンは目を丸くして、囁く彼を押し飛ばした。尻餅をついた関口は驚く。アデンの顔は紅潮し、瞳に涙が浮かんだ。
「ど、どうしました?」
彼女は泣きながら、璃緒に向かって走り出した。
「ちょ、ちょっと、アデンさん!? 何!?」
関口の言葉は届かない。璃緒がアデンを抱き受け止めると、その尋常ではない涙の滴に仰天した。あの気丈なアデンが泣いている事実が、彼女には衝撃だった。
「せ、き、ぐ、ちぃい。あんた、何したのよ、アデンに!」
目の吊り上がった璃緒の形相は、怒りが充満していた。
「お、俺は、な、何も! 本当に!」
彼はことの展開に付いていけず狼狽する。ロビーにいる誰もが、その騒動に注目した。璃緒は早紀にアデンを預ける。
「アデンちゃん、どうしたのよ? 関口に何か言われたの?」
早紀は声をかけたが返事はなかった。璃緒は男に向けて歩き出す。まるで蛇に睨まれた蛙のように、彼は動かない、動けない。
「ま、待て、百瀬、話を聞け!」
「聞く耳なんて持たないわ。アデンを泣かせたのが、あんただってっことは事実なんだし」
怒り心頭の彼女を宥める術を知らない、関口は頭を抱えた。
「い、一体、どうなってるんだよ!!!」
***
「ある意味、大変なことになりました」
リュークは璃緒と頭を捻る。彼女は一時的に、宇宙に漂うリューク艦隊旗艦に転送してきていた。周囲にこれ以上、不審に思われたく無いからだ。
「つまりエクティーヌ星で、男性が左手で女性の口を押さえるのは、求婚するってことなのね」
「ええ。しかも王女としては、受けざるを得ないことになります」
リュークは指を立てた。彼女は不思議な顔をする。
「関口を?」
「まあ、そういうことになります」
「可哀想、アデン」
腕を組んで、椅子に腰掛ける。
「い、いや、原因の一端は、姫にも……」
「私が、なに?」
リュークは慌てて話を止める。
「で、どうするの? 本当にアデンは関口と結婚しないといけないの」
「このままでは、恐らく。断ることは、一族の恥に値します」
「ちょっと、待ってよ。もし、アデンと関口が結婚したら……」
眉をひそめて璃緒は考え込んだ。
「ひょっとして、関口が、お義兄さんになるてこと!?」
「そういうことですか、な」
そんなことは、リュークには興味がなさそうだ。
「あいつが、お義兄さん、私は義妹!? 嫌な関係!」
驚くどころか、璃緒は狼狽える。
「姫。そのように、心配されなくとも」
「ダメよ。そんなこと、絶対あり得ない」
彼女は頭を抱えて、辺りを歩き始めた。
「そこまで、彼をお想いなさっているのですね」
リュークは璃緒の行動から、関口への特別な感情があると踏んだ。
「リューク、結婚をやめさせるには、どうするの」
「姫。それは、出来ません。と言いたいところですが、ございます」
璃緒は身を乗り出して、リュークに詰め寄る。戦闘の覇者を名乗る彼でも驚いて後方へ足を擦った。
「今は、まだ婚約したに過ぎません。早い内に、双方の申し出があれば破棄することも可能なはずです。破棄するには、アデン姫の口に再び触るのです」
「なんだあ、簡単じゃないの、それくらい」
璃緒は胸を撫で降ろす。
「そのようですか。しかし、これは一族の一大事ですぞ。滅多にあることではありません。アデン姫の御経歴にも、傷がつきます」
「仕方ないわ。で、もう一回左手で触ればいいのね」
リュークは首を振った。
「手ではありません。破棄する方が、口を頬に付けるのです」
璃緒の目が丸くなる。
「き、キスするってこと!?」
「ここでは、そう言いますか。しかし、これは本当に最後の……」
璃緒は考え込んだ。
「挨拶なのですよ。我々の男女の関係では、親愛のレベルとは違うものです」
アデンと最初に逢ったとき、朝、口を付けられたことを璃緒は思い出した。
「そうでも、やるしかないわね」
璃緒は仁王立ちして、不適な笑みを浮かべている。
「アデンを救い出すわ!」
彼女のかけ声とは別にリュークは一抹の不安を感じた。背後のカオスは、それまでも問答を静かに聞いている。
「カオスも手伝って。リューク、転送を」
「御意」
転送装置が動き出し、璃緒は地上に戻った。
***
それに続くために立ち上がるカオスを、リュークは呼び止める。
「あれは、本当か」
「間違いないでしょう。奴が去った異次元の跡がありましたよ」
カオスは表情こそ変えていないが、声が幾分緊張していた。
「今度は何を企んでいる、あの男」
「奴が来る目的は姫のお命ですが、関口君と接点があります。従って、彼と接触した可能性があるでしょう」
カオスは顎に手を当てる。
「関口がアデン姫に近づいたのは、計画的か」
「それは、アデン姫に聞くしかないでしょう」
リュークは不安気な表情となった。
「しかし奴が気づかないことを祈るのみだ。ザベリン家の王位継承者の重要人物が、ここに二人いることを」
「知れば奴は、二人の姫とも闇に葬るでしょう」
「カオス、監視はするが身辺警護を怠るな」
「そんなこと言われなくとも、わかっています。今度はしくじりませんよ」
リュークの顔が普段よりも険しさを増していることをカオスは感じる。
そして一瞬だけ顔が緩む。
「しかし、姫は気づいていないのですね」
「周囲のことには敏感な姫だが、ご自身のことは意外に鈍い……、かもな」
リュークも少し笑った。
***
ーはあああ!?ー
定時に連絡し合っているメイラムは、柄にもなく素っ頓狂な声を挙げる。
ーひ、姫に、そのような不埒なことをするとは、不届き千万! 殺す! 下級下僕の分際で何たること!ー
「気をしっかり持て、メイラム。彼も知らなかったのだ」
ーいくらそのような行動だったにせよ、姫の一生に関わる一大事を黙って見逃すわけにはいかない。今すぐ、そやつと縁切りさせてやる。アデン姫はエクティーヌ星にとって、大事なお方だ!!ー
彼女の怒濤の怒りがフィリップ艇内を響かせたようで、音声出力装置に雑音が入る。
「メイラム、くれぐれも王には連絡を入れるな」
ー当たり前だ! そいつに今から落とし前をつけさせる!!!ー
「ま、待て、メイラム。お前が出ていっては、またややこしくなる。リオン姫に任せるのだ」
ーはあ? 馬鹿な! 我が姫の側にどうしていてやれないー
「いいか、よく聞け。リオン姫の暗殺を企てている奴がいる」
それまでの声色が変わる。
ーリューク、貴様わかっていて、この地に我々を引きこんだかー
「まあ、それを言っても、やめるアデン姫とは思えんが」
ーどうする気だー
リュークは少し沈黙する。
「まだ、アデン姫の存在は知られていない。知っていれば、奴は仕掛けているはずだ。今のところ異次元に隠れていて探索が出来ない。静観するしかないだろう」
ー異次元。まさか、カイザル星の者かー
「そうかもや、しれん。あの爆発から生き延びた者か遠征していたかだろう」
ーしかしカイザル星の爆発だとしたら、逆恨みもいいところだー
またしても、リュークの声は静かになる。
ー貴様も、わかっていることだ。あの星は死にかけていた。だからこそ、父上は……ー
「わかっている。あの時のことは忘れえもしない」
ーリューク、一人だけで背負うな。私はもう、貴様を責めたりしないー
穏やかな女の声が響いた。
「メイラム、俺のことなど重要じゃない。今は姫たちだ。幸いカオスがいる。あいつに任せるしかない」
言葉を遮ってリュークは続ける。
ー貴様、本当に奴にを信じているのかー
「奴は我々には敵意があっても、姫たちには加勢をしてくれるだろう、そう思う」
それ以降、暫し二人とも沈黙となった。




