その6
「ついて来ないでよ」
廊下を職員室まで歩く璃緒の後を、関口も進んでくる。
「いや、俺も委員だし、行くと言ったからな」
「あんたねぇ」
彼女は振り返って手のひらを見せ、関口の動きを止めた。璃緒は深呼吸する。
「関口、朝、教室で変なこと言ったよね」
その一言は彼を神妙な顔つきにさせた。
「ああ。一ノ瀬も変なこと言って、すげえ恐い顔をしてた」
関口は確かめるように璃緒に詰め寄る。彼女は後退りして身構えた。
「全く変なこと訊くけど、百瀬、教えてくれ。おまえはリオンと言う名前があるのか」
彼の瞳は真剣そのものだ。蛇に睨まれた蛙のように、さすがの璃緒も眼差しを反らせない。
「だ、だったら、どうするのよ」
「本当なのか。おまえは、ザベリンとか言う王様の娘なのか」
押し黙るしか璃緒にはできなかった。
彼が本当にどこまで知っているのか、誰から聞いたのか、全く分からない状況ではむやみに返事する訳にはいかなかった。それは彼までも、このあり得ない出来事に巻き込んでしまいかねないと考えるからだ。
「まあ、既に半分恐い思いをさせてはいるけど」
真相に迫らんがために更に一歩、関口が踏み出した時だった。
「百瀬君、何してる。こっちだよ」
職員室から金髪、顎髭男が、タイミングを伺ったように顔を出して手招きする。
璃緒は息詰まる今の状況から抜け出すために、職員室の出入口まで小走りする。彼女が部屋にはいると、もう一度クルスが顔を出した。
「関口君、連れて来てくれて本当に助かったよ。すぐに片付きそうだ」
男は不釣り合いな真白い歯を見せた。
「あいつ!」
関口も追って踏み出したが、透明なガラスに当たったように先に進めない。拳で何度か叩くが、それは壁らしきものに当たっているように空間に留まる。
「おい、百瀬!」
**
職員室内はクルス以外誰も居なかった。静寂な室内は、緊張感を璃緒に与える。
「あ、あの先生、資料って何ですか」
彼女は目の前の男を見定めた。クルスは鞄から茶封筒を取り出し、璃緒の前に置く。
「これだよ。開けてごらん」
彼女は不思議そうな顔をして手に取り中を開けてみた。中から二枚、写真らしきものがある。
取り出すと一枚目は、赤く燃える玉。もう一枚は男の顔だ。
その顔は鬼のような荒々しさと、冷ややかな残忍さとが加わったような、この世の者とは思えないような形相だった。背筋が凍った璃緒は急いで、机にそれを戻す。
「あの、これが何か」
クルスは困った顔をした。
「知らないのかい? てっきり、もう始めているかとも思ったのだけれども」
「いったい何のことですか?」
璃緒は話が見えず、戸惑っている。
「君はまだ……、そうか覚醒していないのか」
目を少し吊り上げ、口元を締めたクルスは立ち上がった。身の危険を察した璃緒は二、三歩、後方へ仰け反る。
「覚醒していないのなら、話が早いよ。ここで君を倒してしまえば、地球の将来も明るい」
口元を吊り上げる男は、更に一歩踏み進めた。
「せ、先生?」
「君にこの惑星を滅ぼす権利はない。百瀬璃緒君、いや、ザベリン・ミリディア・ア・リオン姫と言うべきか」
その言葉とともに璃緒は出入口の扉まで駆け出す。必死にこじ開けようとするが、全く動かなかった。
「無理だよ。この空間は、実空間と遮断されている」
「ちょ、ちょっと、先生。冗談でしょ」
クルスは吹き出して笑う。
「冗談? こんな辺境の地まで飛んで来て、君の艦隊に落とされ、命辛々ここまで辿り着いたのに、冗談でこんなことやってないさ」
璃緒の顔が引き吊った。彼女は、地球外周に停泊していたリュークの宇宙船団を思い出す。
「ずるいよ。あんなことろに隠れているなんて。やる気満々じゃないか。あの艦隊だったら、一日、いや半日もあれば征服出来るよ」
「もしかして、先生は宇宙から来たんですか」
含み笑いする男は頷き、指を立てた。
「この惑星には同胞がいるからな。おっとと、これは内密に。君の手下に知られちゃあ、いけない」
凝視する璃緒はクルスに問い掛ける。
「先生、一体、何を……」
「何を? さっきも言ったじゃないか。俺は正義の味方さ。この星を征服しようとする魔の手から、救うために来たんだ」
男は満足げに胸を張って言う。
「征服……」
「そうさ、君らの仕事じゃないか。あちこちの惑星を侵略、征服して服従させ必要なければ、滅亡させる」
「そんな」
璃緒は足元をふらつかせた。
「そうやって、ザベリンは宇宙征服王として君臨している。奴が宇宙の秩序であり法だ」
リュークが忠誠を誓う王とは、所詮このような悪人なのか。恐怖と力で全てを制圧していくのか。
「さあ、リオン姫、俺と闘え。そして果てろ」
クルスは両拳に何か装置をつけ、彼女の前で構えた。
「先生、私、どうしたらいいんですか……。私は、この地球に何かしたいと思わないし、出来るとも思えない」
璃緒の声が混乱で戦慄いている。
「今更、何を言ってるんだい。さっき言ったが、既に君の周りにはザベリンの配下の者が集結している。君さえひと声掛ければ、こんな発展途上の稚拙な惑星くらい、一日も掛からず出来るはずだ」
「征服、侵略。いったい何のために……、そんなことを繰り返すの」
拳の前で璃緒は頭を垂れた。クルスは、少し驚いた表情を見せる。
「君は自分の置かれている立場が、わかっていないな」
「わからない……、わからない」
彼女は頭を抱え込んだ。自分に課せられている、使命などどうでもよかった。璃緒はただ地球で平凡な暮らしがしたいだけなのだ。何故、このような夢物語に近い事に巻き込まれているのか理解できなかった。少し時間が経てば、またもとの通りになるのではないか、実はこれは夢なのだとか、頭が逃げ場所を求める。しばしば、自己の存在すら否定したくなるのだ。
「もし、私が先生に倒されたならば、この地球は助かるの」
突き出す拳の動きが止まった。
「君は、何を言ってるんだ」
「先生、私、サベリンとかリオン姫とか言われても理解できないし、何故こんな宇宙戦争に巻き込まれているのかさえも、わからない」
瞳を閉じながら続ける。
「先生は、地球を救ってくれるんですか。ここには私の大切な人たちが住んでいる」
璃緒は身構えていた両手も降ろし、無防備な状態になった。
「先生の話が本当で地球が侵略され滅ぶのなら、私がいないほうがいい」
握っていた拳もゆっくり開き、璃緒は流れに身を任せる。
その行動に目を丸くして男は狼狽えた。
「馬鹿な! 騙されんぞ! そんな言葉が通用すると思っているのか!」
憤る拳をクルスは振り挙げた。
「行く先々で、それは酷い光景を目にしてきた。あの王が何をしたのか。征服と服従、滅亡の繰り返し。間に合わなかった。すべて間に合わなかった!」
呻く声とともに、ゆっくりと璃緒に向かって男は近づいていく。
「君たちは、ザベリンは、我が母星カイザルを消滅させたのだ!」
罵詈罵倒の中、璃緒は塞ぎたい耳をそのままに男の前に出た。
「そんな血が流れて、私の存在が先生の悲しむことならば、私から取り除いて欲しい……」
振り挙げた拳の装置が光り出す。
「そうか、君が嘘を言ってないことはわかったよ。痛みは伴わない。今すぐ、その苦しみから解放してあげよう。君の存在と引き替えに、この地球は守られるのだ」
そう言うと男は、振り挙げている拳を、目の前の女に放った。




