その5
「おはよう、一ノ瀬君、と璃緒」
早紀はかつてない程、明るい顔を彼に見せた。並んで教室に着いた二人に彼女は微笑む。
「と、ねぇ」
早紀に聞こえるように璃緒は呟いた。
「何か言った?」
振り向いた彼女に首を振る。
「璃緒、今日、新しい先生が来るんだって」
「こんな時期に? 珍しいね」
璃緒はすぐ側に立ち竦んでいるカオスを、手で払うように席に座らせた。
「百瀬、昼に話がしたいんだけど」
鼻息荒く関口が声を掛ける。
「何よ、話って」
彼女は腰に手を当てて、仁王立ちした。
「ここじゃ、ちょっとな」
背後の早紀の視線を痛いほど感じる。
「誰かに、聞かれちゃ、いけない話?」
「そ、それはそうだな」
周囲のクラスメイトたちが次第に二人に注目しだした。
「早紀はきっと、妄想してる……」
璃緒はため息をつき、関口を手であしらう。しかし今日の彼は動じなかった。
「ここでもいいなら、思い切って言う」
背中で早紀が小さく声を上げる。彼女の妄想が大きく膨らんでいるに違いなかった。
「ど、どんなことよ」
意外なほど関口の顔が真剣だったことに、璃緒は動揺する。
「おまえ……、ザベリンの娘のリオン、……なのか」
瞬間、顔面蒼白となった璃緒は後退りした。聞き耳を立てていたカオスは素早く立ち上がり、両腕を大きく広げて璃緒の前に出て、鋭い眼光を関口に向ける。
「姫! 下がって!」
教室内が騒然となった。そんな事にはいっさいカオスは気にしない。目前の者に向けて、容赦ない敵意を放った。その威圧感に関口は耐えられずよろけて尻餅を付く。
「カオスやめて。彼は何も、知らないはずよ」
璃緒はカオスにだけ聞こえるように小さく呟いた。
「いえ、幾ら辺境の惑星とて、ザベリンの名を容易く口に出すことなど、この全宇宙では絶対あり得ません。彼はやはり何か……」
*****
「はい、はい、はい。お取り込み中、申し訳ないが、みんないいかな、注目ぅ―!」
場の緊張を一気に崩すように、軽快な声が聞こえた。クラスの全員が気が付いたように、壇上を見上げる。片手に出席簿を持ち、それを団扇代わりにしている中肉中背の男がいた。
「このクラスは痴話喧嘩も真剣だねぇ。全く、おめでたくて、いいよ―!」
ちょっとずれた眼鏡を左示指で上げて、男は出席簿を振りながら満足気な顔をする。
「じゃあ、出席とるよー。いない人返事してー! って出来ないか」
ひとりごちして口元を緩ませてた。自分で言って面白かったらしく、堪えきれず腹を押さえ大爆笑している。
「何? 誰?」
クラス全員が珍入者に顔を見合わせた。
「ええ? おいおい、何だよつれないなぁ。今日からクラスの副担任が来るって聞いてない?」
その途端、クラスの委員長は我に返って号令を掛ける。
「みんな、席について!」
それでもカオスは璃緒の前で関口を睨んでいた。広げた両手は、彼女を守っている。
「カオス、戻って。本当に大丈夫だから。関口も早く」
璃緒はクラスメイトが席へ移動している間に、再び小さく言った。カオスは彼女を見つめて渋々席に戻る。
尻餅をしていている関口は、二人の行動から何かを確信したように小さく頷いた。
「えー、改めて挨拶するよ。このクラス副担任、美術専攻教師の山田玖流守だ。前の星……、いや前の学校では、クルス先生と呼ばれていたんで、よろしくね」
クルスはワザと咳払いをして手を挙げる。茶と金色の入り混じった肩までの髪を掻き上げると、金色の顎髭が蛍光灯で光った。女子生徒はカオスの時とは違う声を上げる。
「ダッさ―」
「あいつ……。風貌がちょっと変わっているが、確かに昨日風呂場で遭った白ヘル男だ」
関口は呟く。
「追ってきたのか。このクラスに」
男を直視していた目を璃緒に向けながら、不安気な顔になった。
「あの話が本当ならば、あいつが百瀬に近づく可能性がある」
教室全体にクルスは目を泳がせながら、璃緒を捜して指さす。
「あー、そこの君。今日の帰りに渡す資料があるので取りに来なさい」
「私ですか? 今日の日直ではないですけど」
彼女は訳が分からないままに答えた。日直が「今日俺が」と答えようとする途中で男は静止させる。
「ああ知ってるよ。夏季合宿の事さ。君は委員じゃなかったかい?」
「ああ。そうです」
「じゃあ、お願いするよ。放課後でいいから」
出席簿で今度は肩を叩きながら、男はにんまりとした。
「先生! 百瀬だけに任せておけないので一緒に伺います。僕も委員なので!」
思わず璃緒は振り返って関口を睨んだ。
「はあぁ?」
クルスはニ人を見比べて頷く。
「うーん。ま、いいか。二人ともよろしく」
何かに気づいたようにそう言い残すと、クルスは足早に出ていった。
*****
「関口、今日はやけに璃緒にアタックし掛けるわね」
早紀が背中を突く。振り向かない璃緒は、唇を尖らせずにはいられなかった。
「あいつは何、考えているのよ。偉そうに」
璃緒はカオスに目配せしたが、じっと目を閉じて考え事をしている顔だ。
「一ノ瀬君は関係ないでしょ、璃緒には」
「どうしてよ」
ようやく早紀の方を振り返った。
「じゃあ、何か関係でもあるの?」
「そ、それは、ないけど……」
早紀は胸を撫で降ろして微笑む。
「でも一ノ瀬君、璃緒のこと、『ひめ』って呼んでなかったっけ?」
彼女は眉間に皺を寄せて考え込んだ。慌てて璃緒はそっぽを向いて、聞いてない振りをする。
「まあ、いいわ。それより関口のこと、少しは考えなさいよ」
「あいつの何を、考えるの?」
再び口を尖らせて、璃緒は頬を膨らませた。




