その10
テーブルに肘を付き一人で座っている璃緒の前に、関口は少し屈む。
「それで、何で、もう一人増えてんだ。一体いつの間に、こいつは来たんだよ」
どう考えても二人までしか座れない席の真ん中に位置しながら彼は呟いた。
「うーん、返事に困るけど、二人ともいい人たちよ」
「おまえ、相変わらず無責任な返答だな。変なことに、巻き込むなよ」
飄々としている璃緒を前に、混乱の関口は口を尖らせる。
彼女の手に巻かれた赤い布と、袖がない隣の軍服の男を見た。
「それ、関係あるのか」
「何でもないよ」
「でも、結構血出てるようじゃんか。おやじに診てもらった方がいいぞ」
関口の父親はこの地域の町医者だ。
「これはいいから、気にしないで」
持っていたグラスを置いて手を隠そうとする。
「気になるから、言ってるんだよ」
その逃げる小さな手を彼は掴んだ。途端に璃緒は顔を顰めて、悲鳴を上げる。
「せ、関口、痛いから、やめて」
大きな音が鳴った。関口の手首寸前に剣がテーブルに刺さっている。
「無礼者、姫から離れろ」
更に彼の頚部にも、青白い指が一本立っていた。
「それ以上姫に触ると、君の頚に穴を開けることになりますよ」
「カオス、貴様の手助けは無用だ」
リュークを見て、カオスは不敵に微笑む。
「あなたこそ、そのようなものをこの場所で振り回したら、敵を倒す前に刃が欠けてしますよ」
「こ、こら、二人とも」
璃緒は制止させた。
中心の顔面蒼白の男は、またもや顔が引き吊っている。
「も、百瀬。明日、学校で説明してくれ」
彼の哀願にも似た眼差しに、璃緒は吹き出しながら頷いた。
*****
「これから、どうしたらいいの。何でもない顔で、家に帰れるのかな。私は百瀬家の娘じゃないんでしょ」
関口と別れた璃緒は、二人の男を背に、公園で立ち尽くし寂しげな表情を見せる。
「どうもこうも、ありません。姫の使命はとうに決まっております」
振り返った璃緒は、赤い顔をして頬を膨らませていた。
「私は、ザベリン大魔王の娘で地球にホームステイしていました。これから侵略するので、どうぞ私の家来になりなさい、って言えってこと」
「その通りでございます。大魔王ではありませんが」
彼女の細く小さな張り手がリュークの硬い頬を捉える。
「馬鹿にしないでよ!」
「それが姫の使命であり、変えられない運命なのです。朝から私は申し上げております。あなた様はザベリン家の末裔『ザベリン・ミリディア・ア・リオン』姫なのでございます」
殴打の仕打ちも物ともせず、リュークは躓いた。
「この惑星で十七年の年月を経たのち、姫はこの地を征し、統治されるのです。それがザベリン家に代々受け継がれてきた、御子孫の繁栄と役割なのです。これまでも、そしてこれからも続いていくことなのです」
「聞きたくない、聞きたくない! どうして地球を私が征服するのよ!」
璃緒は耳を両手で塞ぎ、首を何度も振る。
「どうか、姫。このリュークめの心からのお願いです。御自身のお役目を全うして下さい」
懇願する男の前にカオスが立ちはだかった。
「姫を苦しめるならば、僕の使命を果たす」
カオスはあの時と同じ漆黒の冷血な鋭い目を、再び男に向ける。公園内の空気が一転して冷気と闇が包み込んだ。
「姫が悲しむ状況ならば、ザベリン王が相手でも僕は守ります」
「カオス、おまえ……」
「リューク、所詮僕とあなたとは、闘う運命にある」
二人の男は睨み合う。リュークは剣に手をかけ、カオスは大きく手を広げた。
「ダメ、ダメだったら。二人ともやめて……、お願い」
泣き崩れている女性の前で、男たちは言葉を失う。
「リュークが、決めた事じゃないのだものね。あなたはザベリン家から与えられた役割を果たそうとしているし、カオスは私との変な約束を守ろうとしている」
夏を迎えようとしている公園の夜風が、何故か冷たく吹いた。ざわざわとした木々の擦れた音が闇を深くする。
「ダメだよ。二人が、私なんかのために、傷つくなんて……、やっぱりダメだよ」
「……姫」
リュークは力無く躓いた。
「己の使命を果たそうとすることが、守るべき者を苦しめると言うことなのか」
頭を深く下げ、目を伏せる。
「どうぞお許し下さい。私め、今、大変恥ずかしい思いでございます。姫は我々のことを考えて下さっておられる。しかし私は自分の目的ばかりを、第一に考えてしまっておりました。何よりも姫のお気持ちが大切なはずなのに……。私は家臣として失格です」
ただ呆然とリュークの姿の横に、カオスは佇んでいた。
「リューク、今後あなたには手を上げません」
カオスは、璃緒を見つめる。
「僕が闘うと姫が悲しまれる。それが一番、姫が望まない行為だと知っているのに……」
唇を噛みカオスは呟いた。泣き止まない璃緒の声は、夜の公園の中に沈む。
「……姫」
璃緒の後ろ姿を直視しリュークは頷く。
「姫が地球の皆さんと、一緒に暮らしていける方法を考えましょう。百瀬家のみなさんには、もう暫く姫を預かって頂くよう、お願いをいたします」
彼の言葉は、先ほどと違って優しい響きを持っていた。
「本当に? でも、うまくやっていけるかな……」
「大丈夫です。百瀬家のみなさんも、快く迎えて下さりますことでしょう」
璃緒の顔が不安と微笑みで、歪んだ表情になる。
カオスはリュークを見た。
「支配だけが姫の道でない、と言うことですね、リューク。姫がお幸せになるなら僕も同じです」
慈しむ瞳が、ある事実を確認していた。
「心を操り意のままに星と滅ぼしてきた、宇宙の仇であるカオス。奴の心惰を解き放ち配下した。いや、姫はそれ以上でカオスを従えている。この様な功績を我々の誰がかつて持ち得たか」
男はなおも考える。
「しかし高老院の堅物たちには、姫の行動は破天荒すぎて反って誤解を産むかもやしれん。私が反論出来るだけ、姫を理解をしなければならん。そのためにはもう少し時間が必要だ」
考え込むリュークはある結論を導き出した。
「なんとか帰還への暫しの間の考慮を、王に進言いたします」
「リューク。お願い!」
璃緒は男に、勢いよく絡みつく。
「ひ、姫!」
顔を紅潮させて叫ぶ男は不格好な立ち振る舞いをした。
そして璃緒はカオスの手を取る。
「もう一度、二人ともよろしくね」
*****
「おい、君たち、そこで何してるんだ!」
何処かで聞いた声がする。自転車を置き、その者はLEDライトを照らして歩み寄って来きた。
「お、おまえは……」
光に浮かび上がった男の眼差しは、殺気だったまま威嚇して睨む。
更にそれが二つ浮かび上がった。
「ひいい!」
警官は後方に仰け反って、自転車を倒す。
「い、行ってよし。行ってよし!」
第2話につづく
次回からは新しい章になります。