襲撃
荷馬車の戸が急に開いた。走っている途中に、戸が開くなど思いもしなかった。何故なら、戸は内側には閂があり、走っている揺れで開いたりしないようになっているのだ。
だから、目の前の戸が開いたことに、何が起こっているのか理解するのに時間がかかり、気づくと、剣の柄に手を掛けたまま、開いた戸口から放り出されたのだ。
目の前で、帰ったら懐かしい料理でも食べながら、酒でも飲もうと話し合っていた隣の男が当然いなくなった。いなくなって、はじめて荷馬車の戸が開いて、揺れる馬車に合わせて開いたり閉まったりと、バタバタ音をたてている音が響いていた。それと同時に、知らない男が剣をこちらに向けて、今、まさに振る降ろそうとしている場面だった。
本能的にその剣を受け止めたのは、自分の剣だった。
金属と金属が激しくぶつかる音に、顔を上げると、部下に見知らぬ男が剣を振り下ろしていた。
とっさに、立ち上がると剣を抜き、近くにある小窓に手を伸ばす。御者台で手綱を握る部下に大声で静止を告げる。
僅かに視線を反らせている間に、部下は謎の男が振り下ろした剣の勢いに、立ち上がることなく、徐々に床にねじ伏せられようとしていた。
その時に頭に浮かんだのが、部下が1人いなくなっていると言うことだった。
変な風が、足下を流れて行った。風が来る方向を見るために、邪魔になている荷の影から顔出す。その時響き渡った斬撃音に、何が起こっているのか解らなかった。隣にいた隊長は、小窓を開けて馬車を止めるように叫んでいた。先輩の男は、必死に男が振り下ろした剣を押し返そうとしている。
でも、そんなことより、目が離せななったのは、突然侵入して来た男の顔だった。あの顔は忘れもしない、自分をかばった副隊長を切り伏せた男だった。
「こいつ!」
自分でも思わぬほど素早く立ち上がり、剣と抜くことができた。そして、仲間を上から剣で押さえつけている男に、その剣を突き立てようと突進したのだ。
馬車は止まり、御者台から仲間が走り寄る足音が聞こえた。
すると、ミケーレは、押さえつけていた男の腹を踏みつけ、突進してきた歳若い男の剣を下から薙ぎ払った。ミケーレには、この歳若い男の顔に見覚えがあった。あの《禁忌の森》で、最初に剣を抜いた者だったのだ。
ミケーレは、ニヤリと笑った。本人は無意識だったのだが、今、エイナを攫った男たちに追いついたと確信したからだ。
若い男の剣は、荷馬車の天井に突き刺さっていた。
それをミケーレは素早く引き抜くと、後方にステップをして、荷馬車の外へ出ていった。
「そちらへ行くぞ!」
荷馬車の奥から聞こえた声は、ミケーレが思っていなかった程、冷静なものだった。
御者台にいた男は、剣を抜いて走り寄って来たところ、ミケーレが荷馬車の影から飛び出し、剣を薙ぎ払った。男は、凄い勢いで受けた剣で、自分の剣が振り回されたことに驚きはしたものの、体制の立て直しは素早かった。
ミケーレは、この男達は素人どころか、かなり練度の高い組織に所属しているのではないかと感じた。
「うぉ〜おおおお!」
ミケーレは、雄叫びを上げると、先ほど若い男から奪いとった剣を荷馬車の車輪へと斜めに差し込み、そのまま地面に埋め込んだ。これで、剣を抜かなければ荷馬車を動かすことはできなくなった。車輪を貫くように地面に刺された剣は、鍔が車輪を縫い止めるように止まっている。
後方から、先ほど馬車の外に放り投げた男が走って来るのが見え、そして荷馬車から3人が出て来る。今やっと、放り出され男がたどり着き、その顔を見た。その顔は、あの場所で見た顔だった。
(合計5人だが……あの時の見た者は2人しかいないのか……)
ミケーレは、あの《禁忌の森》で出逢った5人組と、今ここにいる5人組では、ちょっと違った雰囲気を感じていた。
5人を見回すと、1人、荷馬車の一番奥にいた男に目がいった。そして、すぐに解った。あの《禁忌の森》ではいなかったが、この男がこの組織のリーダーだと言うことを。
この集団のことをいろいろ考えてきた。盗賊集団とは思えないほど、剣の扱いが上手かった。どこかの兵士にしては、その連携は泥臭くなく、かと言ってどこかの騎士団にしては、剣のスジが明快ではなかった。
もしかして、暗殺などを専門としている集団なのかもしれないと、ちらりと頭の隅を過った。動きが素早く柔軟であること、必要なこと意外は口にせず、それでも意思の疎通ができているかのように、連携が取れていると感じる。そして、最も際立っているのは、決してお互いの名を口にしないと言うことだった。
そんなことを考えてはいたが、剣を止めることはなかった。再び突っ込んで来た若い男と同じタイミングで、もう1人が、足下を払うように剣を振るってきた。突いてきた剣を払い、足下を水平に襲って来る剣を、足下に鞘を突き立てることによって防いだ。
すかかさず、鞘を相手の腕に叩き付ける。間髪入れずに、突っ込んで前のめりになった男の足を払って地面に叩き付け、脇腹を蹴り上げた。
どんな手で打ち込んでこようが、ミケーレにはどうと言うことはなかった。が、リーダーと思われる男の動きだけは、常に意識をしていた。その理由は、その男が、この中で最も手強い相手だとひしひしと感じるからだ。そして、もし、エイナが荷馬車の中にいるなら、その男が単独で連れ出すのではないかと考えたからだ。
心持ち、リーダー格の男が、荷馬車の背後に回ろうと動き出した。前に回って、馬を荷馬車から外し、エイナを連れて行くために戻って来るまでに、残りの2人を倒しておきたいと、ミケーレは思っていた。が、そうそう思い通りにことは運ばなかった。
リーダー格の男は、近くにいる男の肩に手をかけて、後ろに引かせた。その時の手振りで、その男に馬でエイナを連れ去れと言っているようだった。そして、残りのもう一人に、同じように手振りや指差しで、荷馬車の中に行くように指示を出した。
最も手強そうな男が、ミケーレの足止めをすることになったようだ。
「エイナをどうするつもりだ」
目の前に対峙する男の眉間に皺が寄る。
「何の話だ」
「荷馬車にいる、私の娘をどこに連れて行くつもりだ」
「娘?」
「そうだ」
男の眉間がますます狭まる。その様子を見ていると、本当にこの男はエイナのことなど知らないのではないかと思えてくる。が、この護り石の在処を示す剣の石は明るく輝いているのだ。
先ほど、リーダーの男に指示されて馬車の中に入った男が、白い布に包まれたものを抱きかかえて出て来た。
「エイナ!」
ミケーレがそう声をかけたが、白い布はぴくりとも動かない。嫌な予感が頭の片隅をかすめ、カーっと血が逆流していくのを感じた。しかし、ここでミケーレは歯をくしばって耐え、剣をゆっくりと下げると、首にかかっている護り石を見せた。
「その子は、私の娘だ……これと同じものを首から下げている」
ここで初めて、リーダー格の男が、白い布を抱きかかえている男と視線を交えた。
唐突に馬車を襲った男は、運んでいた娘、エルナ・ヴァレニウスを自分の娘だと言い出した。この娘を最初から運んでいるのは2人だけだ。《禁忌の森》で目覚めたエルナ・ヴァレニウスが、荷馬車から逃げ出し、それを追いかけていた仲間達は、突然の通行人に剣を抜くこととなった。やっかいなことに、その男の剣の腕は仲間では敵わないほどだったらしい。
お陰で、ゲレオンは、2人の部下を国に送り返すこととなり、子供の頃から傍らにいた男を失うことになったのだ。
エルナ・ヴァレニウスを見ているのは、自分だけなのに思い至った。途中で娘がすり替わることなどがあるのか思いつかない。すり替わったとしたら、エルナが目覚めたとされる、あの《禁忌の森》でのことだろう。が、自分はヴァレニウス公爵の屋敷で、眠っているあの娘を目撃している。そして、合流してからも、その様子を見守って来たのだ。すり替わっているとは思えなかった。
穿った考えだと解っているし、そんなことをあの男が計画できるとも思わなかったが、一瞬、ヴァレニウス公爵の姿が思い浮かんだ。が、それはどの推測の中で、最も可能性が無い話だった。
(あの男に、俺達を欺き通すだけの知恵も気概もない)
目の前の男は、あの《禁忌の森》から追いかけてきたのだ。荷馬車に目くらましの護符を使用したにもかかわらず。来た道をわざわざ逆行して時間をかけたはずなのに。
どうしてそのようなことが可能なのか、ゲレオンには思いもつかないのだ。
「……確かめてみろ」
そう言われた部下は、一瞬、驚いた表情をした。が、それでもゲレオンの命令に従った。
取り払われた白い布の中の娘は、静に眠っていた。はらりと、白い布が滑り落ちたのを見たゲレオンは、驚きで目を見張った。
荷馬車の中で眠り続けている娘の様子を見守って来たが、掛けてあった布を排で、服装などを確認すようとは夢にも思わなかったのだ。明らかに、着ているものが変わっているではないか。
「馬鹿な……」
そして、追い打ちをかけるように、娘の首には、さきほど男が示した石と同じものが掛けられているのだ。
理由は解らないが、この娘は、エルナ・ヴァレニウスではなかった。
ゲレオンは、強く瞼をとじた。まさか、自分の知らない所で何かが起こり、そして任務は完全に失敗に終わったのだ。魔法に掛けられたかのように、立ち尽くすしかなかった。
「エイナ! 起きろ!」
傍らで、大きな声で娘を心配する父親の声が響いた。
ゲレオンは考えていた。この国のどこかで、エルナ・ヴァレニウスが生きているのか? この娘を返して、この父親が大人しく引き下がるのか? そして、自分たちがこのまま逃げ切る道があるのか?
「バルタサール、あれを見ろ」
マティアスに指差されて、見えたものは、道の端でぽつりと立っている馬だった。
乗っていたものはどこにいるのか、探してみたが、どこにも姿が無かった。そのうえ、近づくと、その馬の背に乗る小さな背中が見えた。
「止まれ!」
バルタサールに号令で、騎士達が馬の速度を緩める。
マティアスはその間に、素早く馬に近づくと、子供の顔を見た。子供の顔は、恐ろしく腫れ上がった眼と口元に青痣を作っていた。怯えた様子で、こちらを伺っているのだ。
「落ち着きなさい、何もしませんよ」
ニッコリ微笑むと、少年は少し力を抜いた。
「この馬に乗っていたものはどうしましたか?」
「……」
「あなたは、いつから1人でここにいるのですか?」
「……」
マティアスが何を聞いても、少年が困惑するばかりで、まともに答えは返ってこない。
「どうしたんだその顔は!」
突然、マティアスの後ろでバルタサールの叫び声が上がった。マティアスには、その気持ちは良くわかるのだが、そんな大きな声を上げたら子供が怯えるので、止めて欲しかったと溜め息をついた。
が、意外なことに、少年は、バルタサールの顔をまじまじと眺めるだけで、怯える様子もなかった。
「この子ではないでしょうか、フランシスと言う少年は」
バルタサールにそう説明すると、少年はマティアスの顔を見た。自分の名が呼ばれたのに、少し驚いているようだった。兵士たちの話しでは、フランシスと呼ばれているこの少年は、言葉を話すことも理解することも出来ないのだと聞いていたが、存外ちゃんと反応を見せるのだ。
「言葉が解らないと言っていたな……では、ミケーレと言う男の所在を聞くのは無理か……」
「そうですね……」
「ミケーレ!」
突然、フランシスの声が響いた。
「おっ、ミケーレが解るのか!」
もの凄い勢いで近づくバルタサールを押しとどめた。子供が怯えるなど、バルタサールは露とも思わないのだ。が、マティアスを心配を他所に、フランシスは怯えた様子を見せなかった。
「ミケーレはどうした?」
「ミケーレ」
フランシスは真っすぐ道の先を指差した。そして、一瞬の間を置くと、指をすーっと自分の所までもどしてきた。
「戻って来ると言うことか」
バルタサールはそう言うと、ヨンを呼び寄せた。
「俺達は先を行く、この馬を引いて後から来い」
「わかりました!」
「マティアス行くぞ、どうせ一本道だ」
考え込んでいるマティアスの腕に手を置いて、バルタサールは馬へと向かった。
マティアスは考え込んでいた。
(何故、この少年はバルタサールに怯えずに、私に怯えるのだ?)